風の噂と宴のおやつ
外套のあちこちにぴったりと張り付いた妖精によって連れてこられた厨房は、シェリアが立っても天井に頭がつかないくらいの高さと、身動きが十分に出来る広さがあった。
この丘に人間を招くことはあるそうなので、人間でも使えるようにしているのかもしれない、とシェリアは思った。
テーブルには、所狭しと並べられた食材たち。
小麦粉、ミルク、卵、バター、色鮮やかな果実など。
食材の包装は、よくみると個々に違っている。
小麦粉の包装の色や材質だったり、ミルクの入った瓶の形状や大きさだったり。
きっと、あちこちの家から拝借したのだろう。
恐らく無断で拝借だろうけれど、このシープリィヒルでは物が消えることは珍しいことではなく、むしろ歓迎されている。
拝借したものの代わりに、妖精は祝福を授けてくれるからだ。
ある時は作物の出来を良くしてくれたり、収穫量を増やしてくれたり。
雨風に負けないよう、家を丈夫にしてくれたり。
「今年は、れいねんより参加者がおおく……」
「おいしいお菓子にありつけるという噂がなぜか」
「風のやつが、ながしたとか、ながしてないとか」
「つごうよく人間がおちていて、本当によかった」
「これも、かみさまのおぼしめし」
「じょうおうさまのご加護かも」
ほっとした様子で、妖精は口々に言葉を発する。
その様子を眺めていたシェリアは、ふと気になることがあった。
赤褐色の髪色が多いようだが、一体どこに属するのだろう。
少年なら、知っているだろうか。
訊ねようとシェリアが振り返ると、そこには、不満げな表情の少年がいた。
「──どうかした?」
「別に、手伝わなくてもいいんじゃないかな」
どうしたのかと問いかければ、思いがけない言葉が返ってきて、シェリアは目を丸くした。
妖精にとっても予想外だったに違いない。
安堵の雰囲気から一転して、あわあわとしはじめた。
「それは、こまる」
「宴のおやつがたりないのだ!」
「われわれでは、つくれない」
「ばくはつするのだ」
妖精は、背中の羽根と同じように、両手を大きく広げて上下にぶんぶんと振りながら、少年を説得しようと試みる。
「別に、僕は困らないし。……それに、妖精たちが満足する量をつくるとなると、大変だ。僕も他の妖精も手伝えないから、君ひとりで作業することになる」
少年はそう言って、シェリアを見る。
どうやら心配してくれているらしいが、少年が不満げな理由はそれだけではないような気がする。
「……私でよければ、つくるわ。それで、完成したら少し分けてもらえないかしら」
つくる量が多いことに関しては、シェリアはある程度は慣れている。
それは、このシープリィヒルに住む人間の多くがそうだろう。
予想外に参加する妖精が多いらしく大変かもしれないが、今手伝える人間はシェリアだけなのだから仕方ない。
シェリアの言葉に、妖精は、ぱあっと笑った。花が咲いたように。
否、実際に花びらが撒かれると同時に、何故か床には花が咲いている。
確か、先ほどまでは咲いてなかったはずだ。
「もちろんだ!」
「ねんのために、もっと、材料をはいしゃくしてこよう」
羽根をひらひらとさせながら、妖精はこくこくと頷いた。契約成立である。
そして、妖精のうち何人かは、ぱっと、どこかに消えた。
きっと、食材の調達に向かったのだろう。
「……その、出来たら食べて貰えるかしら。まだ、なにをつくるかは決めてないのだけど」
シェリアがおずおずと訊ねると、少年は目を丸くしたあと、こくりと頷いてくれた。
少年の不満げな表情が少し和らいだ気がした。
◇
カシャカシャと、ホイッパーでボウルの中身をかき混ぜる音が、丘の厨房内に響く。
宴に出す菓子をなににするか決めたシェリアは、ただひたすらに作業を進めていた。
「おなかすいた……」
着々と準備を進めるシェリアの背中を見守っていた妖精のうちのひとりが、ぽつりと呟いた。
羽根をひらひらとさせながら、今か今かと、菓子が出来上がるのを待ちわびている。
残念ながら、まだ生地をつくっている段階なので、出来上がりは当分先なのだが。
「まだ、つくりはじめて、そんなに経ってないではないか」
そわそわと待つ妖精のひとりに、また妖精の誰かが呆れ混じりに突っ込んだ。
「そうだっけ?もう、ひゃくねん待ってる気がする」
待つ時間は、いつだって長く感じられるものだ。
つまみ食いしたいのはやまやまだが、近づけば“おまじない”が混ざりかねないので、羽根をひらひらとさせながら、作業中のシェリアの背中を睨むように見つめて自重している。
完成したら、我慢したご褒美が欲しいと、先ほど呟いた妖精のひとりは思った。
少年や道妖精の少女も含めた妖精は、シェリアから離れた場所にいるのだが、これは菓子に“おまじない”混入防止の為である。
妖精の持つ“おまじない”の力は、その小さな身体から僅かに滲みでていて、その状態で、例えば焼き菓子をつくれば、生地を撹拌している間に空気と共に少しずつ混じっていくらしい。
妖精は、それぞれ違う属性を持つ為、自身と違う属性を摂取しようとすると反発して、妖精の言う爆発になる。
料理されたものの場合、香りだけでも駄目だとか。
とはいえ、妖精同士でも例外はある。
同じ属性同士であれば問題ないのは勿論のこと、屋敷妖精のような個々の“おまじない”の力が弱く、集団で暮らすタイプの場合は、反発しないのだ。
因みに、この厨房にいる大半は赤褐色の髪色をしていて、赤茶色の髪をした屋敷妖精に大変よく似ているが、間違えてはいけない。
温厚な屋敷妖精たちに比べて、遥かに大雑把な考え方をする生き物なのだ。
「──できた」
作業をはじめて、どれくらいが経っただろう。
積み上げられたプロフィットロールで出来た塔を前に、シェリアは胸がいっぱいになった。
プロフィットロールは、中が空洞になっているシュー生地の菓子。
今回は、何種類かのクリームを詰めた。
ひとつは、王道のカスタードクリーム。
それから、妖精が拝借してきた材料の中に、いちごやマーマレードのジャムのがあったので生クリームと混ぜてつくった。
そして、そのプロフィットロール同士の隙間を埋めるようにクリームや果実たちを飾って。
最後に、チョコレートソースをかけた。
このシープリィヒルで高級品であるチョコレートは大変珍しいので、もしかしたら商人から拝借してきたのかもしれない。
参加妖精で分けやすく、見た目も可愛らしく色鮮やかなこの菓子は、きっと妖精に喜んで貰えるだろう。
そう思って、シェリアはこの菓子を選んだ。
「これは、なんと、みごとな……!」
シェリアのその予想は当たったようだ。
羽根をひらひらとさせて、塔の周りをぐるぐると回る者もいれば、早速ひとつを手にとって口に入れ、恍惚とした表情をする者もいる。
拝むように両手を身体の前で組んで、ただただ見つめている者もいれば、背伸びをして覗きこむように見る者もいる。
どうやら気に入ってもらえたらしい、とシェリアはほっと胸を撫で下ろした。
だが、“ひとならざるもの”に気に入られるというのは、時になかなかにややこしい事態へと進むものである。
屋敷の書庫にある手記などで読んで知っていたはずなのに、シェリアはすっかり失念していた。
「──ぜひ、せんぞくのお菓子係に」
「うむ。一家に、ひとりほしい」
「お菓子、たべほうだい」




