きらきら光る星明かりとパーティー会場
「──そろそろ出ないと、危ないかもしれない」
ふいに、少年が警戒するように呟いた瞬間、ざあっと木々の葉が揺れる音がした。
少年は、先ほどまで宝物のように見つめていた菫の砂糖漬けが入った瓶をどこかにしまいこむと、シェリアが裏返しに着ている雨避けのコートの裾をぎゅっと掴んでシェリアを見つめた。
森を出ようという合図だろう。
先ほどまでとは打って変わって、少年は、眉を寄せ、剣呑な雰囲気を纏っている。事態は切迫しているのかもしれない。
人間であるシェリアには分からないけれど、妖精である少年には分かるのだ。
シェリアがこくりと頷くと、少年は先導するように歩き始めた。
◆
深くて暗い青の空の下、煌々とした光が辺りを照らしていて、思いの外明るい。
先ほどまでは茜色に包まれていたはずなのに、今は、完全に日が沈んでしまっている。
それほど時間は経っていないというのに。
やはり、“かれら”の森なのだろう。
「星に属する妖精たちか……」
溜め息まじりに呟かれた声から、どうやら星妖精の仕業らしいと分かる。
「るんるんるーん。今日はたのしいお菓子パーティー!!」
「みまわりさんも飛び入りさんかかもー?」
「らいとあっぷはお任せあれー!」
シェリアがそっと耳を澄ませてみると、とても楽しげな声が聞こえてきた。どうやら、この声の持ち主たちが犯人であるらしい。
なんとも楽しげだが、“かれら”の言葉は、人間であるシェリアには少々不穏だった。もしや、近くまで“見回り”がきているのではないだろうか。
シェリアがそう思っていると、ぱあっと辺りが一層明るくなった。
どうやら、遥か上空にいる“かれら”が、なにかをしたらしい。
まるで照明で照らされているようだ。
これはもしかして、とてもまずいのでは。
これでは、少年とシェリアがここにいますよと教えているようなものだ。
「……もう少し、急ごう」
振り向いて提案した少年に、シェリアはこくりと頷いた。
ふたりの歩く速度が上がっていく。
夜空を煌々とした星明かりが点々としている光景は、それはそれは美しいが、残念ながら今は景色を楽しむどころではない。
シェリアの心臓がうるさく鳴る。
先導するように走る少年の後ろ姿を、シェリアはどこかで見た気がしてならなかった。
この感覚は、確か、少年が屋敷にいた時にもあったものだ。
───『気のせいじゃないかな』
あの時はそう言われたけれど、きっと、気のせいではないだろう。
ざあざあと、木々の葉がざわめく音がする。
小走りで進んでいたシェリアは、足がなにかに躓き転んでしまった。
シェリアが顔を上げると、転んだ拍子に手放したバスケットが、目の前で走り去っていくのが見える。
「……大丈夫?」
心配そうに、少年が問いかけてきた。
「……ええ、大丈夫。……ちょっと、びっくりしただけ」
どんどん遠くなっていくバスケットは、まるで足でも生えているかのようだ。
シェリアは気になって、目が離せない。
「……多分、土妖精の仕業だ。普段は土の中にいるんだ。その仕掛けも、多分土妖精によるものだと思う」
少年の言葉によく目を凝らしてみれば、バスケットの下に幾つもの手が見える。
なるほど、土の中から手だけを出してバスケットを動かしているらしい。随分と器用である。
更に、シェリアが転んだ場所には、土が盛り上がって山が出来ていた。
土の妖精は、団体戦で来たようだが、バスケットの中に残っているクッキーは足りるだろうか。
まだ少し残っていたはずだが、きっとたくさんの妖精たちで分けるであろうことを考えると、足りないかもしれない。シェリアは心配になった。
もう少しつくってくれば良かった。
シェリアが後悔していると、少年の申し訳なさそうな声が聞こえた。
「…………ごめん。間に合わなかったみたいだ」
少年がそう言うや否や、人間の手のひらほどの大きさの小さな生き物たちが、シェリアの目の前に飛び出してきた。
銀白色の髪が、星の光に照らされて煌々と美しい。
座り込んだ状態のシェリアの前で並んで仁王立ちするこの三人が、“見回り”と呼ばれる存在なのだろうか。
「侵入者はっけーん」
「はいじょする?食べる?」
「それとも連れてかえるー?」
聞こえてきた物騒な言葉に、シェリアは思わずびくりとした。
妖精は、人間を食べるものなのだろうか。
シェリアが今まで読んできた書物には、そのような記述はなかったが、そもそも食べられたなら証言することは難しいだろう。
「……彼女は、この森の客人だよ。道に属する妖精に連れられて、僕に逢いにきてくれたんだ」
そう言って、少年はシェリアの手首にある瑠璃色の輪にちらりと視線を向けると、シェリアと銀白色の髪を持つ生き物たちの間に立った。
そして、なにかの合図のように少年がシェリアの手首に視線を向ける。
そこにあるのは、道の妖精である瑠璃色の髪を持つ少女がくれたものだ。
───『……離れていても、それに触れると、分かるようになってるの』
手首にある瑠璃色の輪に視線を落としたシェリアの脳裏に、瑠璃色の髪の少女の言葉が蘇る。
───『なにかこまったり、あぶなくなったら、それで呼んでね』
そう言ってくれたけれど、果たして本当に呼んでいいものだろうか。
巻き込んで迷惑かけてしまうのではないか。
「……きみは前にも、にんげんといた気がする」
「それは信用むずかしい」
「あやしいにんげんに味方はんたい」
シェリアが逡巡している間に、少年に対して疑いの目が向けられる。
事態はあまりよろしくないようだ。
「もうすぐ夏至祭。うたげのじかん」
「じょうおうさまを害するものははいじょ」
「…………“おまじない”の匂い?」
銀白色の髪を持つ“かれら”のひとりが“おまじない”について言及すると、僅かな沈黙が訪れた。
静寂の中、言及した本人はシェリアに近寄り、嗅ぐような動作をすると、ぽつりと呟いた。
「…………しかも、いっぱい。…………あれ?それ……妖精の髪?」
シェリアの手首にある輪に気付いた途端、眉根を寄せて考えこむように黙ってしまったが、その発言は、どうやら銀白色の髪を持つあとのふたりにとっては、疑いを更に深めてしまったようだ。
「…………“おまじない”に妖精の髪を持っているとは、もしや、みつりょうしゃ?」
「……どこかのしょうにんから、買ったかのうせい」
しかし、シェリアは“かれら”を密猟するつもりも、危害を加えるつもりもない。
「…………私は、あなたたちの宴を邪魔をするつもりも、あなたたちの女王様に危害を加えるつもりもないわ。この森には、逢いたいひとがいて来たの。……この髪は、貰ったものなの」
シェリアの説明に、当然のごとく警戒は解いてもらえないけれど、これは仕方のないことだろう。
怪しい人間に「自分は怪しい者ではございません」と言われたところで、怪しいことに変わりはないのだ。
銀白の色髪を持つふたりの目付きが鋭いものに変わる。
ふたりにとって怪しいシェリアが説明したところで、なんの意味もなかった。
戸惑うシェリアが周囲に視線を巡らすと、いつの間にか、“おまじない”に言及した銀白色の髪のひとりいなくなっていた。
少年とシェリアの視線が合い、こくりと頷かれる。
シェリアはきゅっと瞼を閉じると、手首にある瑠璃色の輪に触れた。巻き込んだお詫びに、ピクニックに付き合うと心の中で謝りつつ。
すると、柔らかな光に包まれた次の瞬間、道妖精の少女が現れた。




