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迷子のお誘いと“かれら”の森

 この地に棲む妖精(かれら)は、名の通りの性質を有している。


 例えば、シーリティ伯爵家の屋敷にいる赤茶色の髪をした“かれら”は屋敷妖精。屋敷に棲み人間の世話を焼く。


 屋敷妖精にとっては、自分たちこそが屋敷の主であり、屋敷に住むに相応しくない人間だと思った場合、追い出すこともあるのだとか。



 雨がざあざあと降っている。

 あの日も、今日のように雨が降っていた。


 シェリアが“かれら”の森に迷いこんだ、あの子と初めて逢ったあの日も。



 屋敷を出発したシェリアは、ある場所を目指して歩いていた。


 屋敷から歩いて二十分ほどの距離にあり、樹木妖精と呼ばれる“かれら”がシーリティ伯爵家の先代によって目撃されている森だ。


 かつて、幼いシェリアが迷いこんだその場所で、シェリアはある少年と出逢った。


 きっと、そこに行けば逢えるだろう。

 何の確証もないけれど。


 シェリアが歩く度に、ぱしゃりと水が跳ね、ポケットの中の鈴の音が鳴る。

 バスケットを片手で抱え、もう片方の手で四ツ葉のクローバーをぎゅっと握りしめる。


 心臓の音がやけにうるさく感じる。


 雨で見通しは悪いけれど、不思議と不安は感じないのは、赤茶色の“かれら”が送り出してくれたからだろうか。



 シェリアが今日まで忘れていたのは、“かれら”の領域に興味本位で踏み込もうとしたからだった。


 他の屋敷を訪問する際に先触れが必要であったり、夜会への出席に招待状がなければ参加出来ないように。


 “かれら”の領域に入るにもまた、招かれる必要があるのだ。


 だからこそ、招かれていないシェリアが記憶を封印されるのは当然だったし、その程度で済んだのは随分と優しかったかもしれない。



「…………美味しそうな匂いがする。ねえねえ、ぴくにっくしない?」


 そんなことを考えていたシェリアの前に、瑠璃色の髪をした小さな少女が現れた。羽根をひらひらとさせて、瞳をきらきらと輝かせて。


 屋敷でシェリアを送り出してくれた“かれら”いわく、気付いていないふりをすることもまた、道妖精(かれら)のまじないに対して有効であるらしい。


 雨避けのコートを裏返しに着て、十字架に鈴に、お守りは十分すぎるくらいな気もするけれど、対策は『あればあるほどいい』らしい。


 そんなことを思い出しながら、シェリアは少女が突然現れたことへの驚きをそっと隠し、何食わぬ顔をして出来るだけ自然に通り過ぎようとした。


 夏至祭が近づくこの時期には“かれら”のまじないの効果も増す。


 念には念を込めて、万全を期して、無事に帰り、菓子係の務めを果たさねばならない──らしい。


「…………ねえねえ、ぴくにっく日和だよ。遊んでいかない?」


 まるで気付いていない素振りのシェリアに、小さな少女から再度お誘いの声がかかる。


 しかし、シェリアは無事に目的地に辿りつかねばならない。だから、何も見えていないし、気付いていない。


 裏返したコートの裾を引っ張る小さな少女も、シェリアの頭上が、満天の星空に変わっていることも。


 きっと気のせい、気のせいなのだ。


 シェリアがそう言い聞かせていると、ポケットの中の鈴が鳴って、いつのまにか足元に出現していた一面真っ白な花畑も、満天の星空も消え去ってしまった。


「ぴゃう?!」


 自分が用意した幻が崩れてしまい困惑した少女は、そのままへなへなと地面に座り込んで気を失ってしまった。



 ◆


 

 シープリィヒルとその周りの領地に住む者たちの間には、まことしなやかに囁かれている噂がある。


 陽が出ていない時は、上着を裏返しに羽織り、絶対に聞こえる声に耳を傾けてなどならない。

 これを知らなかったり守れなかった者は、もれなく道妖精(かれら)の遊び相手になってしまうのだ、と。



 シェリアは、気を失ったままの瑠璃色の髪をした小さな少女をバスケットの蓋の上にのせると、振り落とさないようにゆっくりと歩を進めた。


 屋敷に棲む“かれら”いわく、道に属する妖精たちは、悪天候の日や陽の沈んだあとに、人間と遊びたくて目の前に現れるらしい。


 “かれら”のつくりだした幻を崩してしまえば、そこで終わりで、即座に新たに幻をつくり直すことは出来ない。大変か弱い存在だそうだ。


 意識を失ったままの小さな少女をそのまま放っておくのは躊躇われたので、シェリアはとりあえず連れていくことにした。



 ざあざあと雨が降る中、シェリアは、遠く向こうに見える目的地の森へ向かう。


「…………うう、ぴくにっく日和なのに……」


 その言葉に、シェリアが視線をやると、瑠璃色の髪をした少女は眠っていた。どうやら寝言だったらしい。


 だいぶ夢見が悪い様子の少女に、シェリアは罪悪感を覚える。


 シェリアが読んだ、シープリィヒルの先代当主の書物には、人間を迷わす“かれら”の記述があった。


 道妖精(かれら)は、陽が出てないことが大変苦手であり、悪天候の日や陽が沈むと、気晴らしに幻をつくりだしては人間を遊びに誘うらしい。


 大変人懐こい妖精で、人間に害はあまりない。

 遊んだあとは、きちんと元の場所あたりに返してくれるからだ。


 遊んだ見返りに幸運を授けてくれるので、過去には進んで迷子になろうとする者もいたのだとか。


 しかし、大事な予定がある人間、例えば商人などには約束を守れないことは死活問題で、対策が伝わったこともあり、道妖精(かれら)の誘いに乗る者も減っているそうだ。



 ざあざあと、雨が降る。あの森まであと少し。

 無事逢えるだろうか。


 ───今日はあの、こわいひとが現れませんように。


 まただ。シェリアは、ふと立ち止まった。


 まだ、思い出せていない記憶があるらしい。

 そして、それは、幼いシェリアには、とても恐ろしいものだったようだ。


「…………ぴくにっく、しない?きょうみたいな日は、ぜんぶ忘れて遊んじゃえばいいよ」


 その声に視線を落とせば、バスケットの蓋の上にぺたりと寝そべる瑠璃色の少女と視線が合う。

 いつの間に、起きていたのだろう。


「この中のお菓子を食べれば、もういっかい、つくれる気がする!こんなくらかったら、元気でないもん。きょうはやっぱり、ぴくにっくがいいよ!」


 この小さな少女は、どうやら、どうしてもピクニックがしたいようだ。


「…………さいきんは、ぜんぜん人間が通らなかったんだよね。……ここで出逢ったのは、きっと、ぴくにっくする運命だったんだと思う!」


 目を伏せた小さな少女は、寂しげに呟いたあと、瞳をぱあっと輝かせた。もしかしたら、この少女は、ここを人間が通るのをずっと待っていたのかもしれない。


 思わずピクニックに付き合いたくなるけれど、それは出来ない。シェリアは胸が痛くなった。


「……ごめんなさい、今日はピクニックは出来ないの。とても大切な用事があるから」


「…………そっか」


 シェリアにピクニックの誘いを断られてしょんぼりした少女は、おもむろに視線を動かし、ある場所が目に留まった。


「……ところで、どこにいくの?このへんに用事って、もしかして……あっち?」


 少女は森の方を指差し訊ねてきたので、シェリアは、こくりと頷いた。


「……この時期は、みまわり(・・・・)があるから、人間にはきけんかもしれない」


 シェリアのコートの袖をぎゅっと掴んで、少女は心配そうに見つめている。初対面の見ず知らずのシェリアを心配してくれているようだ。


「…………心配してくれて、ありがとう。だけど、危険でも、行かなくちゃいけないの。……ピクニックは、帰ってきたら行きましょう」


 シェリアはそう言うと、バスケットの蓋を開いて、少女に赤と白のメレンゲクッキーを一枚ずつ渡した。


「…………そっか」


 少女は、シェリアから受け取ったクッキーを一口かじると、


「じゃあ、ついていこうかな。ちゃんと帰ってきて、ピクニックに付き合って貰わなくちゃ」


 羽根をひらひらとさせて、にっこりと笑った。


 ◆

 

 道に属する妖精だからといって、道案内が得意だとは限らない。むしろその逆で、迷子の天才といってもいいかもしれない。


 ざあざあと、雨が降る。


「……あれ、この木、もしかしてさっきも見た?」


 メレンゲクッキーが入ったバスケットを椅子代わりにして座る、瑠璃色の髪を持つ小さな少女は、羽根をひらひらとさせながら首を傾げた。


 ひたすら森の方へ、一直線といっていいくらい真っ直ぐに進んでいるのだが、先ほどから似たような景色が続いているせいか、少女は、同じところをぐるぐると回っているように感じるようだ。


 どうやら、人間を迷わせるのが得意な少女は、同時に迷いこむのもまた、得意であるらしい。


 道妖精(かれら)のたのしいピクニックに付き合った人間は全く同じ場所に帰されないそうだが、もしかしたら、道妖精(かれら)自身が元の場所を覚えていなかったりするのではないだろうか。


「……ううー。このどんよりとした、くもりぞらのせいで、元気がでない」


 少女は、ぱたりと仰向けに寝転がると、どこからか取り出した白い方のメレンゲクッキーをかじり始めた。


「…………さくさく」


 青白かった顔に生気が戻った少女は、むくりと起き上がると、ひらひらと羽根を揺らしながら、最後までクッキーを食べきってしまった。


 少女の両手で抱えるほどの大きさが、目の前で一瞬で平らげられたことに、シェリアは目を丸くした。

 屋敷にいた“かれら”は、栗鼠のように、端から少しずつかじる者ばかりだったからだ。


 そんな少女の様子を眺めながら、シェリアは、ふと湧いた疑問が思わず口からこぼれ落ちた。


「……どうして、ついてきてくれたの?……天気の悪い日は、苦手みたいなのに」


 小さな少女は振り向くと、どこか温度のないような、“ひとならざるもの”の瞳で見つめた。


「だって、おまじないの気配がするから」


 その言葉に、シェリアは首を傾げた。

 シェリアの知る“おまじない”は、人間を惑わしたり、まやかすものだからだ。


「……うーん、人間のことばだと“祝福”とか“幸運”とか、そんなかんじ?のが、いっぱいする。多分、ひとりひとりの力は強くないから、屋敷あたりに属する子たちのものかなあ」


 少女の言葉に、はっとしたシェリアは、屋敷で送り出してくれた“かれら”の姿を思い出す。


「おもしろそうだから、ついていこうかなって。もしも、みまわり(・・・・)があった場合、これだけ“おまじない”があればだいじょうぶだとは思うけど、一応いたほうが、あんしん?かも」


 少女は羽根をひらひらとさせ、楽しそうに笑う。


「…………“みまわり”って……?」


 少女は先ほども、“みまわり”と言っていた。


 シェリア(人間)が訊いていい話なのか分からないが、シェリアはおずおずと訊ねてみた。


「……あのね、夏至祭の時に扉が開くんだけど、その時にね、いちばん偉いひとがくるの。だからあんぜんのために、じぜんにみまわりするの。なにかがあったら、いけないから」


 ざあざあと、雨の降る音がどこか遠くに聞こえる。

 少女の話す口調は重い。


 秘め事を話すかのように、誰かに聞かれたら咎められるかのように。

 ゆっくりゆっくり言葉が紡がれていく。


「……あのね、じょうおうさまがくるの」

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