“かれら”と繋がる点
用意したクッキーが半分以下の量になったのを確認して、シェリアはバスケットの蓋をそっと閉じた。
赤と白のメレンゲクッキーは、屋敷の外で、妖精に渡すはずだった。
アンディのふりをしていたあの子探す為の、手がかりの対価として。いわば賄賂のようなもの。
きっと、どちらかの色を一枚ずつ配ったなら、ここまで減ることはなかっただろう。
けれど、シェリアにはその判断は出来なかった。
ずらっと並んでいた“かれら”のバスケットの中身を見つめる羨望の瞳が、あまりにもきらきらと眩しくて。
つい赤と白を一枚ずつ渡してしまったのだ。
もっと多めにつくっておけば良かったかもしれない。
しかし、多めに用意したとしても、不思議と今と同じくらいの量になっていたような、そんな気がしてならない。
何故だろうかと首を傾げていたシェリアの耳に、どん、と何かが勢いよく衝突する音がした。
思わず顔を上げたシェリアが振り向けば、“かれら”のうちのひとりである赤茶色の髪をした少年が、壁に背中を預けた状態で、ぐるぐると目を回していた。
「…………このクッキー、スピードすごい……」
ぽつりと呟かれた言葉から、どうやら、シェリアが先ほど配ったメレンゲクッキーで遊んでいたらしいと分かる。
衝突の混乱から立ち直った少年は、両手で大事そうに抱えている白い焼き菓子を床に置くと、椅子のように腰掛ける。
そして、ふわりと宙を浮き、床から一メートルあたりのところまで浮上すると、反対側の壁まで勢いよく飛んでいく。
この分だと、間違いなく壁に衝突するかもしれない。シェリアの予想は当たり、少年は頭から壁に突っ込んでいってしまった。
なるほど。先ほどの衝突音は、壁にぶつかる音であったらしい。
とても痛そうだけれど、少年にとっては大した問題ではないのか、衝突の混乱から立ち直ると、またいそいそと浮上の準備を始めた。
ざあざあと雨が降り、薄暗くどんよりとした外とは対照的に、室内は “かれら”の楽しげな声が響き賑やかだ。
ある少女は、部屋の隅で両手で大切そうに抱えて座り、 少しずつ齧っては幸せそうに笑う。
ある少年は、二枚重ねたそれを頭にのせて、シェリアの頭上より遥か上でぷかぷかと浮いている。
一口に“かれら”といっても、それぞれ個性があるらしい。シェリアは辺りを見渡し、くすりと笑った。
念願の“かれら”との遭遇で、大変名残惜しくはあるけれど、シェリアは行かねばならない。
賄賂は少なくなってしまったけれど、その分自分の足で探せばいいだろう。
楽しげな声を耳にしながら立ち上がり、シェリアはバスケットを両手に抱えた。
そうして、一歩踏み出そうとした時──
「…………おでかけ?」
そう訊ねてきたのは、シェリアの横で床に座っている赤茶色の髪をした少女だった。確かシェリアがこの部屋で一番最初にクッキーを渡した相手だ。
少女は、一口サイズのクッキーを手に、羽根をひらひらとさせ、首をきょとんと傾げていた。
「……ええ。ひとを探しに」
思いがけず話しかけられ、目を丸くしているシェリアに、更に驚くようなことを少女は口にした。
「……それって、この前まで、いた子?」
シェリアの喉がひゅっと鳴る。
もしかして、『この前までいた子』というのはあの子のことだろうか。 いや、シェリアの知らない“かれら”のうちの誰かの可能性はある。
早とちりはよくない。
しかし、シェリアは心臓の音は早くなる。
もしかして。もしかしたら。
「あの、樹木に属する子のことかな」
少女の言葉に、いつか、あの子が木の枝の上で昼寝していた姿が脳裏を過ると同時に、エレンの言葉を思い出した。
『樹木妖精ってやつは、高いところが好きなんです』
その瞬間、風がさあっと吹く感覚と共に、点と点が繋がるような気がした。
ざあざあと降る雨の音がシェリアの記憶を呼び起こしていき、シェリアは、ふと瞼を閉じた。
いつか、妖精の棲む森に迷いこんだあの日。
その森で出逢った少年。
それは、シェリアがずっと忘れていたことだった。
「…………行かなくちゃ」
瞼を開き、何かに急き立てられるように呟いたシェリアを引き留めるように、少女が忠告する。
「…………きょうみたいな日は、にんげんにはおすすめしない。道に属する子が遊んでいるから」
その声に振り向けば、温度のない瞳がそこにはあり、シェリアに思わずぞくりと悪寒が走る。
それは、バスケットの中の焼き菓子に対してきらきらと輝かせていたのとは違う、“ひとならざるもの”のものだった。
腰まである赤茶色の髪と結ぶリボン。
人間の手のひらほどの大きさ。
背中にある美しい羽根。
確かに先ほど、シェリアがクッキーを渡した少女の姿をしているのに。
バスケットの中身を当てて嬉しそうに笑ったり、いつも間に合わないのだと悲しそうにしたりと、可愛らしく感情表現していた少女とは、別人のようだ。
きっと、本当に人間であるシェリアには危険なのかもしれない。
妖精が忠告してくれているのだから。
けれど、間もなく夏至祭なのだ。
夏至祭の前日に、妖精丘の扉は開く。
夏至祭が近づくにつれて、“かれら”の力が強まると言われている。
今日は危険だからと後日にずらしたところで、明日以降も危険であることに変わりはないだろう。
それこそ、夏至祭のあとにでもしなければ。
しかし、それでは遅すぎる。
シェリアは、扉が開く前に逢いに行きたいのだから。
「……それでも行くわ」
「……そっか」
小さな少女は立ち上がると、シェリアの雨避けのコートの裾を引っ張る。
「これ、裏返しにすると迷いづらいらしいから。……あと、首にあくせさりー?つけるといい」
突然の少女の行動に、驚いて目を丸くしているシェリアに、にっこりと微笑んで少女は告げる。
「屋敷のにんげんのせわ、わたしたちの仕事」
少女に促されるがまま、シェリアはコートを裏返しに羽織り直す。生地が反転して少しばかり不恰好だが、どうやらこちらの方が安全であるらしい。
その間、後ろからは“かれら”の賑やかな会話と、じゃらりとするような音が聞こえる。
何をしているのだろうか。
気になったシェリアは、ボタンの代わりに幾つかのピンで留め終えると、少女に御礼を伝え振り返った。
すると、そこには、シェリアがこの部屋でメレンゲクッキーを渡した“かれら”がずらりと並んでいた。
「これ、くびにかけるのおすすめ」
「あればあるほど、あんしん」
そう言って“かれら”見せてきたのは、十字架の銀細工のネックレスだった。
真ん中にいる三人が、それぞれひとつずつ持っている。“かれら”の口ぶりでは、この中のどれかを選ぶのではなく全部つけて欲しいようだ。
「ありがとう」
シェリアがそう言うと、ネックレスを手にじっと見つめてきた少女と目が合う。
つけてくれるのかもしれない、と思ったシェリアがしゃがんでみると、ネックレスを持った“かれら”は、羽根をひらひらとさせてシェリアの背後に回っていく。
「これも迷わなくなるらしい」
待っている間に、今度は赤い紐がついている鈴を渡される。手のひらの上の鈴をそっと揺らせば、僅かに音がした。
「かじんの安全を守るの、これ仕事」
「にんむ成功でおやついっぱい。あの雪玉みたいなの」
「ごほうびはお菓子の家きぼう」
「ぜったい帰ってくる。お菓子係ほうき、反対」
“かれら”の要求に、シェリアは、思わずくすりと笑った。
これは責任重大である。
こんなに熱心に仕事してくれたのだから、意地でもあの子を連れて帰ってこなければならないだろう。
「……ええ、ちゃんと帰ってくるわ」
シェリアの言葉に呼応するように、ぎゅっと握った手の中の鈴が鳴った。




