アンディのささやかな計画②
「───どうして、こんなことに……」
アンディは、橙色の混じった完成品を前に、頭を抱え立ち尽くしていた。
◇
屋敷に帰ってきてからというもの、口にするのもの全てに苦手な人参が入っていることにうんざりしていたアンディは、気分転換にと、おやつ兼“かれら”への献上品として、ドロップクッキーをつくることにしたのだが───
「───どう見ても、人参……だよね」
人差し指と親指で挟んで摘まみ上げ、まじまじと確認してみれば、どうみても入れた覚えがないものが入っているのだ。
好物であるナッツをふんだんに入れた、シンプルなドロップクッキーをつくっていたたはずだったのに。
完成した物語には、どういうわけか、暖色系の何かが混じっていた。
混乱したアンディが辺りをきょろきょろと見渡してみると、見覚えのない瓶が視界に入る。
作りはじめた時にはなかったはずだ。
橙色のすり潰されたものが、底の方に僅かに残っている。
蓋は空いたまま。
十中八九、これが犯人だろう。
「───なんで……」
用意した覚えも混ぜた覚えもないけれど、無意識に混ぜてしまったのだろうか。そんなまさか。
しかし、事実として、混ざってしまったものがそこにはある。
認めねばならない……のだろうか。
アンディは、目の前の現実を受け止められる気がしなかった。
今回、アンディが作ったドロップクッキーは、およそ百個ほどで、これから暫く続くかもしれない、クラリスからの人参攻撃のあとの癒しになるはずだった。
因みに、“かれら”への献上品を兼ねているので、半分以上は、皿に乗せて窓辺に置いておくつもりだった。
そのままにしておけば、数日ほどで無くなっているはずである。
……数日もてばいいが。
ここ一年ほど、三日ほどで空になっていたお皿が、半日で空になるのが珍しくなかった。
シェリアが社交デビューで王都へ滞在し、“かれら”への菓子をつくる人間が減ったことにより、そのしわ寄せがどうやらアンディにきたようである。
アンディは、“かれら”への供物を自作するだけではなく、市場で購入したり、美味しいと評判の菓子を他の領地から取り寄せたりもした。
我ながら頑張ったと、アンディは思う。
そして、その苦労も、シェリアが帰ってきたことにより、ようやく終わる。
十歳であるアンディも、二年もすれば、領地を離れて、領主としての勉強をしなくてはならない。
これはとても大切なことで、“かれら”を邪な考えを持つ者たちから守る為に必要なのだ。
“妖精”の存在を空想上のものだと笑い飛ばす者がいる一方で、捕獲して売り飛ばそうだとか考える者も珍しくない。
“かれら”の棲む場所にこっそり忍びこもうとする者もいれば、領主に堂々と取引を持ちかけて、“かれら”を手に入れようとする者もいる。
自分が領主になった時に、うっかり足をすくわれない為にも、アンディは学ばねばならない。
物思いに耽っていたアンディは、クッキーに視線を戻したのだが───気のせい、だろうか。
こころなしか、天敵である人参入りのドロップクッキーが減っているように思えて、アンディは首を傾げた。
まさか。そう思ったアンディは、咄嗟に四ツ葉のクローバーを取り出してぎゅっと握りしめ、瞼を閉じた。
“かれら” の姿が見えるようになる塗り薬の、原材料である四ツ葉のクローバー。
これのみでは“見られることがある”という確率を上げるものだが、僅かな時間であれば、かなりの確率でアンディは目撃出来ていた。
それはもしかしたら、“かれら”の気まぐれによるものもあるのかもしれないけれど。
アンディがそっと瞼を開くと、予想は的中し、そこには羽根をひらひらとさせた小さな生き物がいた。
純白の羽根をひらひらとなびかせ、腰までのびた赤茶色の髪を持つ小さな少女は、指笛を吹くや否や勢いよく叫んだ。
「はーい、ひとり一個までー! 破ったら、ひゃくねんおやつ抜きです!」
少女は、小さな身体に合わせた大きさの箒を片手に仁王立ちし睨みをきかせながらも、空いた方の手でさりげなくクッキーを浮かせて手元に引き寄せるのを忘れない。
「ひゃくねんって、おやつ何回ぶん?」
「なんか、いっぱいいない?」
「あのクッキー、他のよりちょっとだけおおきい……」
アンディ以外誰もいなかった、静寂だったはずの厨房に、賑やかな声が響いている。
少女と同じように赤い髪をした小さな生き物たちは、楽しそうに各々の取り分を確保していく。
大半が赤茶色の髪をしているが、よくよく見ると、違う髪色を持つ者もいるようだ。
──これは、“かれら”の集会だろうか。
アンディは、この屋敷内で“かれら”の集まりを見たことはなかった。初めての光景に、アンディの胸は高鳴る。
「──噂は、ほんとうだった……! みんなに知らせなきゃ……!」
きらきらとした日差しのような明るい髪を持つ少女は、クッキーを両手で大切そうに抱え、小さな羽根で窓の外へと飛んでいった。
───噂?
アンディが首を傾げていると、今度は勝ち誇ったような声が聞こえる。そちらを向いてみれば、
「──雪玉の恨み、晴らしたり……!」
赤い髪をふたつ編みにした少女が、橙色の何かが入っている瓶の上に座り、嬉しそうに笑っていた。先ほどはずされていた蓋は、締められているようだ。
少女は、そのまま暫く足をぷらぷらしていたのだが──はっと何かに気付いたような表情をしたあと、しょんぼりと肩を落とした。
「───おやつ、もうなくなってる……」
その言葉に視線をやれば、焼きたてのクッキーが百個ほどあったはずの場所は、既に空っぽになっていた。
どうやら、この小さな生き物が人参混入の犯人であるらしいが、今にも泣き出しそうなものだから、アンディは同情してしまいそうになった。
思わず、何かないかと衣服のポケットの中を探ると、がさりと包みのようなものに手が触れた。
アンディが取り出して包みを開いてみると、それはシンプルなドロップクッキーだった。
天敵である橙色の代わりに、チョコチップが混ざっているようだ。
──何故、このクッキーが?
首を傾げつつ記憶を掘り起こせば、そういえば執事のジェームズから受け取ったのだと、アンディは思い出せた。
確かシェリアがつくったと、聞いた気がする。
瞳に涙をいっぱい溜め、今にも零れ落ちそうな少女の前に、アンディは、そっと包みごと置いてみた。
すると、突然目の前に現れたおやつに、少女は辺りをきょろきょろと見渡したあと、そのうちの一枚を嬉しそうに抱えて、はにかんでみせた。
その様子に、アンディは、ほっと胸を撫で下ろした。
将来この地を継ぐアンディは、この小さな生き物たちには悲しんで欲しくないのだ。
今はまだ無力ではあるけれど、“かれら”の世界を守れるだけの力が欲しいし、“かれら”がどのように暮らしているのか、知りたい。
それこそが、アンディが今回入れ替わった理由である。
人間に干渉されることをとても嫌う“かれら”の領域に踏み込めば、場合によっては記憶を消されたり、妖精丘の向こうにある妖精界に連れていかれる可能性も十分にあった。
こうして、アンディが無事に帰ってこれたのも幸運と呼んで良いだろう。
だから、クラリスが怒るのも当然であるし、アンディはこれ以上、“かれら”の理に必要以上触れるべきではないのだ。
そう分かっているが、今回の共犯の妖精が少しだけ気の毒になったので、ひどく鈍そうな姉に少しばかり仄めかすくらいは許して欲しい。
いつの間にか空になってしまった包みを見て、アンディはくすりと笑った。




