キャロットケーキと偽物疑惑②
翌日になっても、雨は降り続いたままだった。
いつものように自室の窓辺に置いていた空になった皿とカップを回収すると、シェリアの足は自然に書庫へ向いた。
なんとなく、自室でじっとしていたくなかった。
昨日と同じように本棚を眺めて歩いていると、一冊の本がシェリアの目に止まった。手に取りぺらぺらと捲れば、“かれら”に逢う為の方法が記されている。
眉唾ものの伝聞から、実際に遭遇出来た方法まで。
他国にある、同じように“かれら”が棲む地の領主から得た情報もある。
ふいに、何かがひらりと床に落ちた。
本の頁に挟まっていたようだ。
シェリアが屈んで拾い上げようと視線を落とせば、それは四ツ葉のクローバーだった。
──何故、四ツ葉のクローバーが?
シェリアは首を傾げつつそっと拾うと、椅子へと移動して腰をおろした。そして、改めて確認した四つ葉は、どこか懐かしいような見覚えがある気がした。
本に挟まれていたのは、栞代わりか、押し花をつくるつもりだったのだろうか。
それとも、他になにかあるのだろうか。
シェリアが再び首を傾げていると、頭上から声がした。
「──それ、四ツ葉のクローバーだよね。ねえさん、“かれら”探しするの?」
──“かれら”探し?
驚いたシェリアが顔を上げると、アンディは不思議そうな表情をした。
「あれ?前にしていたよね?それ持って」
アンディの言葉に、シェリアは手の中の四つ葉に視線を移した。
「“かれら”が見えるようになる“塗り薬”って、四ツ葉のクローバーをすり潰して、なにかを加えたものだから、四ツ葉のクローバーのみでも、運がよければ逢える……って、本当に覚えてない?」
シェリアは雷に撃たれたような衝撃を受けた。
全く記憶にないことにもだし、突然現れて饒舌に喋るアンディにもだ。
今まで、書庫で鉢合わせたことはある。
だが、お互い話しかけたことはないはずだ。
この亜麻色の髪の少年は、本当にアンディだろうか。それとも、弟のふりした誰かだろうか。
シェリアが、思わず訝しむようにアンディを見つめると、アンディは、どこか気まずそうに、ケーキのようなものが載った白く大きなお皿を目の前に出してきた。
凝らして見れば、何等分かに切られている四角い形をした橙色のケーキに、レーズンやナッツがちりばめられている。
恐らく、クラリスがつくったキャロットケーキだろう。
「…………昨夜の食事は人参まみれで、今朝も人参の練り込んだパンのサンドウィッチだった。……これは、今日のおやつ。……一応、一切ちょっとは食べた」
眉を顰めて話すアンディの言葉に、もう一度ケーキに視線をやれば、一番端のものが少しだけ欠けていた。
「…………食べるの、手伝って欲しいんだ」
頑張って食べたが、食べきるのは難しかった、ということらしい。
懇願するようにシェリアを見つめているアンディは、どうやら協力を求めているようだが──果たして、このアンディは本物だろうか。そもそも現実だろうか。
なにせ、シェリアは、一緒に過ごしていた相手が本物のアンディではないのだと見抜けなかったようなのだ。
疑ってしまうのも仕方のないことだろう。
とりあえず夢か現実か確認しようと、自身の手の甲をつねってみたところ、痛みを感じたので、どうやら現実であるらしい、とシェリアは理解した。
──それならば、偽物の方だろうか。
「…………アンディ。試しに、今ここで一口食べてみてくれないかしら。それから考えるわ」
顔に手を当て思案したあと、シェリアがそう提案してみると、アンディは、ひどく目を丸くした。
「……………分かった」
僅かな沈黙のあと、アンディは、覚悟を決めたような表情で、食べかけのケーキを人差し指と親指で摘まむと、口の中に放り投げた。
アンディの好物であるナッツが入っているとはいえ、人参への嫌悪感は相殺されるわけではない。
アンディの眉間のシワが深くなる。
「…………ごめんなさい。本物のアンディだったのね」
シェリアがぽつりと呟くと、アンディは、ぱっと顔を上げてシェリアを見た。
もしも、この地に棲む“ひとならざるもの”、そう、例えば“妖精”ならば、このような反応は見せまい。
“かれら”は甘いものが大好きで、とても喜怒哀楽が分かりやすい生き物らしいのだから、キャロットケーキの甘さに喜びを隠しきれていないだろう。
シェリアは、恐らくこのアンディは本物だろうと結論を出した。
「お母様と同じことを言うんだね……」
シェリアの言葉に、アンディは、恨みがましそうな目で見つめた。




