第4話 家への来訪者
第4話です。人が来ます。
4.
「お前なんかアゥイの番候補として認めねぇ!」
まなじりを吊り上げた少年は唸るように凄んだ。ただ残念ながら変声期を迎える前の少年では、怖がるどころかむしろ愛らしささえ感じてしまう。
アイリスはそんな感情を表に出さないようにしながら、注意深く目の前の人物を観察する。亜麻色の髪に焦茶色の瞳、身長はアイリスとほぼ変わらない、この国の基準でいくと相当小柄か子供、声と顔つきから考えるにおそらく後者だろう。これだけ腹を立てていてもアイリスに掴みかかる事も、部屋に押し入る事もしないから、情操教育がしっかりとされているようだ。総合的に見て、この少年は今の所脅威ではない、とアイリスは判断した。
「……ええと、それはどういうことでしょうか」
「お前は信用ならないって言ってるんだ」
「それは、よそ者だから?」
「そうだ」
やはり子供だ。少年の発言にアイリスは正直安心した。もう少し含みのある理由かとも思ったが、見た目通りちゃんと“子供”なようだ。アイリスは困ったような笑顔を作り、戸惑うように少し声を震わせて少年に話しかけた。
「それは、そうだと思います。私はよそ者です」
「そうだ、だから」
「ですが」
相手の声をあえて遮るように、声はさっきより芯を通して、お腹から出す。視線は一度外してからもう一度少年の瞳を射抜くように合わせ、
「私はこの国と祖国をよくするために来たのです。だから退くわけにはいかないんです」
「……」
少年はその言葉を聞いて目を瞬かせると、すっと顔を右に向けてばつが悪そうに首の後ろをかいた。そのまま視線だけアイリスに向ける。
「それはいいんだけどよ……アゥイの事をさ……」
「はい」
「好きなのか?その、ちゃんと」
「え」
今度はアイリスが目を瞬かせる番だった。昨日の今日で王女の自分が抜けきっていなかったのだ。どうやら少年の関心ごとはあくまでもアゥイなのだと再認識し、アイリスは困ったような恥ずかしいような表情を貼り付けた。あまり間をおいて、少年の心象が悪くなるのを避けるために当たり障りのない言葉を探す。
「ごめんなさい、まだはっきりとは断言はできないけれど、ええと、良い印象を持っているのは確かです」
「……とりあえず今日はそれだけだ。あんたがアゥイに相応しいか、俺が見張ってるからな」
去っていく少年の姿が見えなくなってから、部屋に戻り慎重に鍵をかける。床に腰をおろすと同時に、アイリスの口から深いため息が吐き出された。今日一日中張っていた緊張の糸がついに切れたのだ。
「つっっ……つかれた……」
身体を清めるどころか、お湯を沸かす元気すらない。しかし今日1日の事をまとめなければとアイリスはのろのろと身体を起こすと、少ない荷物から鉛筆と冊子を取り出す。婚約者との出会い、雪中の移動、国長との会合、国長任命に伴う一連の流れ。事前に頭になかった情報が多く予定外のことばかりだ。これからも先ほどのような来客が頻繁にあるのだろうか、とアイリスは原因の栗色の髪の少女を思い描いた。柔和な笑顔に穏やかな物腰そして
「……基本的な構成要素がどれも高い。あれなら人気があって当然だわ」
身体的特徴については雪の国の基準がわからない分客観的な判断はできないのだが、少なくともアイリスにとってアゥイの見た目は好印象だった。そして自身や他の人との会話から知性も感じられる。寒い中長時間カカルに乗り続けるだけの体力、他人を支え続ける筋力は間違いなくある。
「国長候補の1番に選ばれるのは伊達ではないのね……」
自分の婚約者第一候補は、おそらくこの国で一番頼りになる存在であり、同時に油断をしてはならない相手だとアイリスは肝に銘じた。
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翌朝日の出ごろに目を覚まし、湯を沸かす。アゥイが置いていった茶を入れ、昨日の入れ方を真似して花蜜と乳を入れる。朝食がわりに飲みながら今日の予定を考えていると、扉を叩かれた。
「おはようございます!あなたがアイリス様ですね!」
扉の向こうにはアイリスよりも少し背の高い同い年くらいの女性が、にこにこと人好きする笑顔で立っていた。
「はじめまして。ユカイさんからしばらく貴方と共同生活を送る任務を仰せつかったカイデと申します。よろしくお願いします」
「カイデ、ね。はじめまして」
「早速ですが入っても?」
どうぞ、と招かれるままに入ったカイデは、床を触ったり、机や椅子を見たり、水場の確認をしては「なるほど」「へー」といった感嘆の声をあげた。アイリスはその間カイデのことを観察する。髪の毛はこの国にしては珍しい黒髪で、まろみのある目に意志の強そうな眉、瞳の色はほぼ黒に近い茶色。身長はアイリスより少し高く、この国の人間としては小柄だ。
「お茶を飲んでたんですか?」
「ええ、朝食がわりに」
「え!?駄目ですよぅ!ご飯はちゃんと食べないと。アゥイから朝食の話って何もなかったですか?」
「え?ええ、特には」
「ぇえー!?何してるんですかあの婚約者は!」
カイデは大きくため息を吐くと時計を見て、あと1時間かと小さく呟いた。そのままぐるりと部屋を見渡して、アイリスに視線を戻すとにっこりと笑顔を作り、とりあえずちょっとお話しましょうか。と席に誘ったのだった。
「改めてまして、私はカイデといいます。どうぞ呼び捨てで、敬語も不要です。年はアイリス様と同じ19歳です」
「よろしく、カイデ。私の事も呼び捨てで、敬語もいらないわ」
「ありがとう。で、早速なんだけど朝ごはんというか、ご飯の事って何か聞いてる?」
「いいえ」
「わかった。じゃあまずご飯の事からね。これが重要だからね」
カイデは少し胸をそらすと、ありもしない髭をなでつけるような仕草をしながら説明をし始めた。なんの真似か聞けば、国長だとか。あまり似てはいない。
「この国っていうか、この村ではご飯類は基本的に共有の食堂でとるよ。一気に作ってみんなで食べて、活動を開始する。理由は燃料の節約、交流、把握。人が集まれば温度が上がって焚べる薪の量を減らせるし、料理も一回で終わりにすれば都度使う薪を減らせる。村の人が集まるから食事をしながらいろんな話ができる。情報交換に、村人同士の繋がりを持つことができるね。いつも来てる人がいなければ様子を見に行けるし、他人の体調の把握もしやすい。まぁこれは番が大体いるから一人で倒れてる。なんて稀だけど、たまに番を無くしてから独り身を貫いてる人もいるからそういう時役立つね。昼も夜も似たような感じだけど、狩人は帰ってこない事も多いから、そういう時は村の守人達だけでの食事になるんだ」
「……理にかなってる。ただ、それ寝坊したり遅れたらどうなるの?」
「そうしたらご飯抜き!」
「え!?」
「なんて事はなくて、大体はその分を調理番の人が残しておいてくれるよ。温めるのはちょっと難しいかもだけどね」
冷たいと食べにくいんだよねぇ。と冷めた食事を思い出したようにカイデが苦笑する。アイリスの国ではものを温める事には困らなかったため、そういった燃料の問題もあるのかと記憶をする。木があるのなら大量に薪用の材木を生産できないのかを聞けば、薪にできる材木を冬越し前に集めるにも限度あるし、生木を乾燥させるにも人手が必要だという。要するにあまり現実的ではないのだ。
「夕飯を抜く、とかはしないの?」
質問を受けて、カイデが目をぱちくりと瞬かせる。考えた事も無いような反応だ。
「そっちの国ではするの?」
「……たまに?」
「え、え、なんで。食べ物が手に入らなかったとか?」
「場所によっては、あるかもしれない理由だけど……。そうじゃなくて、お腹があまり空いてなかったりとか、少し太ってしまったから控える……とか」
どれもピンとこないようで、カイデは「なるほど?」と言葉では返すものの、首を傾げる仕草でそういった状況を必死で想像しているようだ。繰り返すが年間のほぼ半分が雪に覆われる雪の国では、体温の低下は死を招く。脂肪はその体温と命を繋ぐ防護服のようなものだ。増やしこそすれ、それを減らす行為はまるで
「自殺?」
「まぁこの国だとそうかもしれない。食べない期間が長いと死ぬけれど、別に2〜3日食べなくても水があれば生きられるのよ。人間は」
「ふーん?あ、機械の国の場合は水の方が重要なんだっけ」
「そう。雨はあまり降らないから、私の国では燃料より水を節約しているわね」
機械の国の年間降水量は低い。森の国や海の国はそもそも水に限らず資源が豊富な国で、比べるまでも無い話だが、半年間雨ではなく雪が降る雪の国よりも低いのだ。機械の国では数少ない水を貯蔵できるように砂漠地帯に水を収集する機械を配置したり、都市部に降った雨水を効率よく回収する仕組みが作られている。そのおかげで今の所砂をばら撒くように使用しなければ脱水で死ぬような事は避けられている。
国の水事情を聞く間、カイデは目をキラキラと輝かせていて、まるでお御伽話を聞く少女のようだ。
「なんだか楽しそうね」
「え?あーうん。機械の国の話を聞けるのは楽しい。髪とか目を見たらわかると思うけど、私には機械の国の血が入ってるんだよね」
「やっぱり」
アイリスの言葉にカイデは頬をかいてはにかんだ。
「私自身は一度も行ったことがないし、この国には他国の文献とかないからさ、実際の話を聞けて今嬉しいんだ」
「そう」
「機械の国の人にとって水はとても大切だから、雨が降ると皆嬉しいって本当?」
「……それは」
ーーどうだろうか。そう続けそうになったのを、アイリスはすんでのところで堪えた。これはあくまでも彼女個人の話であって、国民たちの大半は雨を喜んでいた。それは事実として「そう言う人が大半ね」と答える。幼稚な反抗ですぐに自己嫌悪が襲ってくる。それを誤魔化すように
「実は、私は雨が少し苦手なの」
本音を少し混ぜた言葉を吐き出した。
「そうなの?どうして?」
「雨が降ると子供の時からなんだか寂しくなってしまって、大きくなるにつれて頭痛や倦怠感も出るようになったし、雨と相性が悪いみたい」
大変だね。純粋にかけられる気遣いの言葉が今のアイリスには少しきつい。それを気取られないように曖昧に笑って感謝の言葉を重ねた。
「そういえば、さっき1時間がどうって言ってたけど、何かあるの?」
「大体ご飯ができ始めるのが1時間後くらいなの、まだ時間あるな……私ちょっと様子をみてきてもいい?」
「ええ、もちろん。むしろありがたいわ」
じゃあちょっと行ってくるね。そう言い残してカイデが部屋を出て行く。アイリスはほっと息を吐いて、窓の外を眺める。雨も雪も降っていない。今の時期から春終わりまではこの国では雨は降らず、全て雪になる。アイリスはそれがありがたかった。
カイデに伝えた言葉は嘘では無い。嘘では無いが本当でもない。アイリスが雨を嫌いな理由は彼女の出自に深く関わっており、そしておそらくこの国の文化では真の意味でアイリスの感じた事に寄り添える人間はいない。
「……雨なんて、ずっと降らなければいいのに」
窓の外に広がる青空を見上げながら、アイリスは静かに昔の事を思い出し、鈍く痛む頭に小さく毒づいたのだった。