邂逅
1.
辺り一面白銀の世界。吐く息は真っ白で、雪が際限なく降り続けている。
それだけ聞けばロマンチックで、まるでおとぎ話の中のようだ。
しかし
(さっっっっむい!!!!!!!!)
現実の白銀の世界は命の危険すら感じる寒さで、美しさに感情を委ねるような余裕は全くない。太陽は出ているというのに吹雪という奇妙な天気で、外套で口元まで覆っても息を吸うたびに冷たい空気が体に入ってくる。苛々する感情のままに叫べれば、いくらか気持ちも落ち着いたかもしれないが、寒さに歯の根が合わないし、この状況では無駄に体力を奪われてしまうだろう。
私はそんな吹雪の中で人を待っている。
(聞いてはいたけど、こんなに寒いなんて……!)
私の出身は今いる“雪の国”と正反対の辺り一面が砂で覆われた灼熱の国だ。国名は“機械の国”なのだが、その環境や国の状況を揶揄して“砂漠の国”と呼ばれる事が多い。
祖国は砂以外ほとんどなく、資源はほぼ枯渇している。生き残るために機械技術を伸ばし、他国との貿易を行い今日を生き延びてきた。
森の国・海の国は共に現状に満足しているらしく、ほぼほぼ貿易は無いに等しい。
雪の国は生存が難しい環境柄、比較的貿易が盛んな国であり、我が国のライフラインといっても過言ではない。そんな国との結束を強めるために、機械の国第一王女である私、アイリス・フィルカニスが雪の国に嫁ぐことになった。
所謂政略結婚だ。今日はそんな嫁入りの日で、こうして雪の国入口で迎えを待っている状態なのだが……。
(これじゃ婚約者に会う前に凍死してしまう……!!)
入り口で降ろされてからまだ30分も経っていないが、勢いを増す吹雪に傘などあっという間に吹き飛ばされてしまった。
直接身体に吹き付ける吹雪に私の体力はすでに限界に近い。防寒具を着込んでいても奪われていく体温に、だんだんと意識が朦朧としてく。
力が入らなくなり、膝をついて身体を抱きしめながらゆっくりと目を閉じる―――その時だった。
遠くから生き物の息遣いと、どかかっどかかっと重量のあるものが雪中を駆ける音が結構なスピードで近づいてくる。目の前でその足音が止まり、獣の匂いと生暖かい息遣いを眼前で感じる。
先ほどまであんなにうるさかった吹雪の音も一切聞こえなくなっていた。
(ああ……国の為に来たのに、獣に食べられてしまうなんて情けない)
吹雪は止んだようだが、逃げる体力はない。
もう無理だと覚悟を決めたとき、熱いぬるぬるした何かが顔全体を撫で、どろりとして生臭い液体が顔にまとわりつく。
「……は?」
目を開けると目の前には長い毛に覆われた巨大な獣の顔があった。黒いつやつやした鼻は私の顔の半分くらいの大きさはある。
おそらく目の前の動物に舐められたのだと気づき、よだれのしみ込んだ外套から思わず顔を引っ張り出した。
「な、なに、こ……」
「わーーー!だめだめ!早く拭かないと!」
「え?わぶっ!!!」
獣の背から何者かが飛び降りてきたかと思うと、自分の裾で私の顔をぐいぐいと拭う。
「ちょっ、いたっ痛い!」
「すぐ拭かないと1分くらいで顔の突起が全部落ちてしまいますよ」
「もっだいっ……うぶっ、丈夫っですから!」
「んん~~もうちょっと。よし」
満足するだけ拭けたらしく、その人は満足そうに微笑むと手を差し出した。
「おまたせしてすみません。アイリス・フィルカニス様ですね?お迎えにあがりました」
差し出された手を取ると、ぐっと引っ張られ雪の中から楽に立ち上がる事ができた。そのまま相手の姿をしっかりと確認する。
性別は女。亜麻色の髪を一つに束ね、耳には丸い耳飾り。透き通るような白い肌、意志の強そうなこげ茶色の瞳。歳は私と同じ19くらいだろうか?少なくとも身長は私よりも高い。
雪国独特の真っ白い毛皮の服に、小さく見える首元の刺青は間違いなく雪国の人物だと示していた。
「いいえ、お迎えありがとうございます。ええと……」
「ああ、私はアゥイ・クライェといいます。どうぞ、アゥイと呼んでください」
「ありがとうございます。アゥイ」
「いいえ。さ、乗ってください」
「乗るって、この動物にですか?」
「はい、カカルという動物です。この子は私のカカルで名前はヨムです。四足動物に乗ったことがありませんか?」
アゥイの言葉に、私は改めてカカル――ヨムを見上げる。
全身が白くふさふさした長毛に覆われている四足獣で、躯体を支える足は太く成人男性の腕より一回りは太い。黒い蹄の先は二つに分かれているから、カカルは山に適応した生き物のようだ。
面長の顔に黒い鼻、黒く澄んだ瞳が顔の側面側についてるので草食獣だと推察できる。頭にはぴんとたった耳と、特徴的な鉤型の太い角が左右に生えている。他の動物と一緒ならばヨムはオスのカカルなのだろう。
「いえ、それはあるのですが、あの、高さが……」
乗る事事態は別に嫌ではないが、ヨムは体高が200cm以上はある。簡単に飛び乗れるとは思えなかった。
「ああ、なるほど。大丈夫です。ヨム」
アゥイがヨムの身体を3回叩くと、ヨムはゆっくりと膝を折り座りこんだ。アゥイは鞍の後ろ、ヨムのお尻部分に私の荷物を括り付ける。
「さ、どうぞ。前後に揺れるのでしっかり掴まっていてください」
私が乗ったのを確認すると、アゥイがまた3回ヨムのお尻を叩く。すると、ぐんっと目線が高くなり、真っ白な銀世界と青空が眼前に広がった。
「わ……ぁ」
広がる青空に、はらはらと穏やかに降る雪がきらきらと光る。辺り一面がしんと静まり返っていて、聞こえるのは私達の息遣いと、雪が木から落ちる音だけだ。
「気に入りました?」
アゥイは鞍の後ろ側に飛び乗ると私を抱えるように手綱を握り、ゆっくりとヨムを歩かせはじめる。
空気は相変わらず冷たくて、息を吸うと肺が痛くなる。それでも背中に感じるぬくもりのおかげで、不快どころか心地よくさえ感じた。
「ええと、ここから村まではどれくらいの距離なんですか?」
「そうですね、大体半日くらいでしょうか。長時間獣に跨ったことはありますか?」
「いいえ」
「そうなると、休憩がいるでしょうからもう少しかかりますね」
確かにアゥイが支えてくれているとはいえ、動物に乗るのは体力がいる。
故郷でたまに乗っていたコブのある動物も穏やかな子ではあったけれど、やはり数刻も乗ると疲れてしまったものだ。
「荷物もあるし、ヨムに負担をかけてしまいますね」
目の前にあるヨムの白い毛をいたわるように撫でると、ヨムがぶるると鼻息を吐いた。
「気にするなって言ってるんですよ。それにあんな少ない荷物、ヨムにとったら無いのと同じですよ。……本当に荷物はあれだけなんですか?」
アゥイの不思議そうな声に、どう答えたものか逡巡する。確かに嫁入り道具の一つもないのは違和感があるだろう。経済的に困窮している我が国では嫁入り道具など用意できるはずもない。
「ええ。機械の国の服や道具は、雪の国では使えないだろう思ったものですから」
嫁入りとはいえ私は機械の国の王女だ。国のマイナスな部分を人に話さないように、もっともらしい言葉で答える。
「そうですか。たしかにそうかもしれませんね」
アゥイは納得したのか、ヨムの手綱一度揺らした。
「雪の国は初めてですか?」
「ええ。今まで『間の国』に行ったことはありましたが、他国に入るのはこれが初めてです」
「ああ、ではあの吹雪は大変だったでしょう。申し訳ない」
「いいえ、まぁ大変ではありましたが、こればかりは仕方がありませんから」
この世界は5つの国に分けられている。
『森の国』『海の国』『雪の国』『機械の国』『間の国』だ。それぞれ独立した大陸で他国に向かうには中心にある『間の国』を経由しなければならない。国境を越えればいいのだが、どの国に入っても自然現象に阻まれ生きて入ることも帰ることもできないのだ。
真意はわからないが、国ではこんな話がある―――
むかしむかし、神様は自分の国を分けて、子供たち4人にそれぞれひとつずつ渡すことにしました。子供たちはそれぞれの国を大切にしていましたが、ある日森をもらった子供が
「海が少しほしいな。きっと森と海があれば、とっても素敵になると思うんだ」
と海の国の領土を奪おうとし、それ嫌がった海をもらった子供と喧嘩になりました。喧嘩はだんだんと白熱し最後には他の子供も巻き込んだ戦争へと発展しました。
悲しんだ神様は子供たちをそれぞれの国に閉じ込め、出ることも入ることもできないようにしました。最初は反発した子供たちも何年何十年何百年と経つと誰ともしゃべれない毎日が、もうさみしくてさみしくて毎日泣くようになってしまいました。
その姿を見た神様はさすがにかわいそうだと思い、子供たちに“証”を渡しました。持っていれば自分の国を出入りできるようになる“通行証”です。神様はそれぞれの国の真ん中に国を作り、子供たちが会える場所を提供しました
子供たちは大喜びしました。そして神様に真ん中の国に住んでほしいとお願いをしました。私たちがまた喧嘩をしないように、あなたには見守っていてほしい。そう言われて、神様は真ん中の国に住み、いつまでも仲のいい子供たちを見守り続けたのでした。
―――子供の時何度も絵本で読んで昔話だ。
おとぎ話だとされているけれど、実際のこの世界の成り立ちを子供向けにアレンジしたものなのだと思っている。
実際に“通行証”とされているものは存在していて、それぞれの国境を通行証なしで通る事は出来ない。
もし通行証なしで他国に侵入しようとしたのなら、海の国であれば大時化が襲い掛かり、あっという間に波にのまれ、山の国であれば険しい崖を登る最中強風に煽られ転落し、雪の国であれば吹雪と恐ろしい寒さに阻まれ、20mも進めず雪にうずもれることになる。
しかし、機械の国だけはこれが起こらないので、それがおとぎ話とは異なる部分だ。おそらく、おさまりを良くするためにおとぎ話には創作を入れたのだろう。
「どうかしましたか?」
「あ、いいえ。防壁の事を考えていました」
考え込んで黙ってしまった私を気遣うように、アゥイが声をかける。
「機械の国は防壁がないと聞いています」
「ええ、不思議なことに誰であろうと出入りは自由ですね」
「あなたの国は世界一広い国なだけあって、懐の広い国なんですね」
「ふふ、ものは言いようですね」
思わず笑うと、アゥイが肩越しに私の顔を覗き込んでにっこりと微笑んだ。
「ああ、よかった。やっと笑ってくれましたね」
「え……」
「お会いしてからずっと険しい顔をしてましたから。まぁ無理やり結婚させられるのだから、そりゃあそんな顔にもなりますよね」
(私、そんな顔をしていたのか)
アゥイが元の姿勢に戻ると、私は知られないように唇を噛んだ。一国の王女としてこの結婚に対して不満があるなど悟られてはならない。所作ひとつで国にとってどんな不利益が舞い込むか分からないのだから。
「たぶん初めての吹雪で疲れてしまったのだと思います」
「なるほど、では休憩を多めに取りましょうか。体調を崩すのはよくないですから」
「いえ、大丈夫です」
「しかし……」
「早く村につかないと心配されてしまうでしょう?」
「ダメです。私はあなたを元気に村にお連れしないといけません」
アゥイは思ったよりも心配性なようで、このままでは無理やりにでも休憩を長くされてしまう。来て早々疲れて約束の時間に遅れてしまえば、雪の国に適応できないと思われてこの婚約がなかったことになってしまうかもしれない。それだけは避けたい。
「あの、アゥイ」
「なんでしょうか?」
「どうかお願いします。休憩を取ってしまえば婚約者の方を待たせてしまいます。心配をかけたくないんです」
「ああ!それなら大丈夫ですよ」
私の言葉を聞いてアゥイは「なぁんだ」というような声で答える。
「なんでわかるんですか?」
背中越しにアゥイが少し笑ったのがわかる。馬鹿にされたのかと内心むっとしながら尋ねる。その雰囲気が伝わったのか、アゥイはまた少し笑ってから口を開いた。
「私ですよ」
「え?」
「私があなたの婚約者です」
後で聞いた話だが、静まり返った雪原に響き渡った私の声は、村にいても聞こえたそうだ。