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美しさと醜さ  作者: 木瓜瓜
幼少時代
4/5

祝福の女神 3



 まずはプラネラが、偵察よろしく迷路の出口まで向かい、カリスにお茶をかけた子どもたちが戻ってきていないか確かめた。そうして誰もいないことがわかってから、どうぞ、と声をかけて、カリスについてきてもらう。名前を呼ばなかったのは、誰かに聞かれる可能性を考えたためだった。

 汚れた装いを見られるかもしれない、と思いながら歩くのは恥ずかしいのだろう。カリスはうつむいてかすかに震えている。弟とのほうが歳の近そうな少年が、咎のないことで肩を落として歩く様はかわいそうで、プラネラは先導しながら、なるべく庭木や植え込みの陰になるような場所を歩いた。客に見られるのは恥ずかしいほどプラネラの私的な庭は雑然としていたが、そのおかげでカリスの姿が隠しやすくなったのは皮肉なことだった。



 庭からテラス、書斎へとあがり、プラネラは衣装部屋にカリスを招いた。ソファを勧めたが、汚してしまう、とカリスは遠慮して座らなかったので、なるべく急いで準備を進める。

 トルソーからドレスを脱がせ、横に寝かせると、ボディ側面の、仕立ての細い縦溝に裁縫用のヘラをあてて押し込んだ。そうしてできた隙間に指を入れて……、もうあとは恥ずかしいことに力を込めて押し開くしかないのだが、カリスの困惑した視線を背中に感じて、プラネラはますます羞恥を煽られた。

 さほど力はいらないのです、と言い訳のように口をついて出る。


 ぽん、と軽い、筒の蓋が抜けるような音とともに、トルソーは半分に分かれて中身を晒した。ボディの空洞部分には、布包みが収められている。

 こんなばかみたいなことをしていたのは、母親のよこす監督役の侍女、あるいは母親自身から隠すためだった。そしてそれが叶ったのは、このトルソーが、伯母がかつて用意させたものだからである。

 プラネラは布包みの中から深緑のトラウザーズと、白いタイツを取り出すと、カリスに手渡した。


「どうでしょうか。カリス様のお召し物が伝統的な色とデザインでしたので、こちらのものは古いのですが、違いはさほど目立たないと思います」


 生地の輝きはやや足りないかもしれないが、銀糸による装飾的な縦縞の刺繍も、裾の飾りレースもリボンも、カリスが履いているものと寸分の違いもなかった。


「新品ではありませんが、手入れはかかしておりません」

「……これは誰のもの? 隠してた。大切なものではないの?」


 カリスは落ち着いてきたのか、口調のたどたどしさが薄れている。もしかしたら、最初に感じたのよりも歳は近いのかもしれない、とプラネラは思い直した。


「わたくしの……兄、が、かつて使っていたものです。今はもう誰も使わないのです」

「兄君の……、ほんとうにいいの?」


 カリスは遺品と解釈したのかもしれない。そしてそれはある意味では全く正しいのだった。


「処分するのもためらわれて、困っていました。誰かにいっときでも役立ててもらえるならそのほうがいいのですわ」


 もちろんカリス様がおいやでなければの話ですけれど。

 しばらく黙って、手の中の深緑をじっと見つめていたカリスは、うつむくと、片膝を折って、


「女神の采配に感謝をささげます」


 とつぶやいた。

 一般的な寿ぎの成句で、この場合なら、出会えて嬉しい、ありがとう、程度の意味だっただろうが、そんなことを面と向かって言ってくるような人間は誰もいなかったので、プラネラはとにかく驚かされた。

 これが、あの……。音に聞く。

 プラネラにとっては、他人事、あるいは物語の中での出来事だ。

 祝福の女神を実際に目にしたならばこのような気持ちになるのかもしれない、と膝折の略式礼から立ち上がるカリスを眺めた。姿かたちが女神のようであれば尚更だった。


「……幸運が訪れますように」


 やや間があってから、プラネラも返答した。何の準備もなく突然舞台に上げられたような恥ずかしさで、プラネラの心臓は波立った。

 スカートをつまみ、片手を胸にあてて軽く腰を落とす返礼を、家庭教師から習った日のことを感謝した。理論ばかりではぎこちなかったとしてもだ。それは教師の責任ではない。


 戸惑いの気配に、カリスもまた不思議そうに首をかしげた。プラネラは慌ててそれを取り繕う。


「……そ、ういえば、顔も足も、そのままではご不快でしたでしょう。気が、利かなかったわ。今拭くものを持ってまいりますね」




 それから、プラネラはばたばたと立ち働いた。石炭は準備できないので、アイロン台で重しを使って、トラウザーズに少し残る皺を伸ばしている間に、隣室から洗面ボウルとタオルを3枚、それに湯冷ましの入ったポットを運びいれる。タオルは濡らして絞ってから、ボウルの縁に掛けた。

 壁に寄せてあった衝立を移動させて、ソファの周囲も囲ってしまう。オーダーメイドドレスの採寸で、複数の人間が同室する場合に使うためのものだ。

 プラネラはカリスに同室するわけではないが、目隠しは多いほうがまだ気が休まるだろう、と考えた。



「着替え終わりましたら、扉を3度ノックしてくださいませ。なにか問題がありましたら2度。部屋を出ないほうがいい場合はこちら側から1度叩きますわ」


 そして衣装部屋を退室した。




 待っている間に、帆布の鞄と、パッチワークのクロスを自室から取ってくる。どちらもプラネラが裁縫の練習として作ったものだ。

 特にクロスの方は、試作染料に使ったまだらな染まりの端切れを適当に組み合わせている上に、途中で飽きて、なんの計画性もなくレース織りまで始めた代物だった。統一感もデザイン性も0を通り越してマイナスまで振り切れている。とても他人の目に晒せるようなものではなかったが、衣類を包むのに充分な大きさのクロスはそれしかなかった。


 しばらくすると、控えめなノックの音が3度あったので、プラネラはほっと息をついて、再び衣装部屋へと入った。


「あぁ、よかったわ。問題はなさそうですね」


 カリスは衝立の陰に半分隠れて、うつむき気味に立っている。プラネラの反応を伺うように見上げてきた。不安そうな顔だ。


「……気づかずに申し訳ありません。鏡はこちらに」


 姿見には埃よけに大きなクロスがかけられていて、それを取り払うのを躊躇ったらしかった。仕立ての良質さやたおやかな物腰から、家格は同位か上ではないかとプラネラは考えたが、にも関わらず、それらしく思うがままに振る舞うというところがない。


 クロスを落として、カリスを姿見前に誘導する。


「……あなたの言ったとおりでした。これならわからない、と思う」

「丈が合ってようございました」

「タオルもありがとう。気分がよくなりました」


 カリスは安心したように微笑んだが、後ろに立ったプラネラからは、腰回りのもたつきがやや気になった。カリスは身幅が薄く、ずいぶん細身なのだ。プラネラは自分の体型をどうと感じたこともなかったが、カリスと比べてしまうと、どうにも太っていたのだと思えてならない。


「カリス様、すこし……、ウェストを詰めてもよろしいでしょうか」

「そんなこともできるの?」

「応急処置のようなものですけれど。間に合わせですし、ジャケットの裾で隠れますから」


 針や鋏は怖がらせるかもしれないとプラネラは危うんだが、カリスはまたたきひとつで、たのむよ、と受け入れた。

 部屋に備え付けの裁縫箱を持ってくると、カリスにジャケットを脱いでもらい、鋏で、中央から真下に直角5センチ強、底辺は3センチほど、逆三角の形に生地を切り取った。そこを生地と同色の糸で、しっかりと縫い合わせる。ひどく雑な詰め方だったので、ベルトループを一つ、中央に付け替えて誤魔化してみたが……。ガーデンパーティが終わるまでわからなければそれで良いのだから、関係ないのよ、とプラネラは自分自身に言い聞かせた。

 お腹のすかすかする感じがなくなった、とカリスは喜んだけれど。

 

 全ての始末を終えて、プラネラは、クロスと鞄を差し出した。


「汚れたものはこれで包んでお持ち帰りください。どなたかに聞かれたら、目についたのでクロスを譲ってもらったと」

「……」


 布包みとしてのサイズしか間に合っていない、不出来なクロスを受け取ったカリスは、じっと視線を落とすと、それを衣装部屋の弱い明かりに透かして、ぽつりとつぶやいた。


「おかあさまの色だ……」


 そうして、プラネラに、右上の方に組み込まれた小さな布地を、桜貝のような爪で指し示す。


「きれいだね」


 それは紫色をした布地だった。はっきり言ってしまえば、染料が生地にきちんと入っていかなかったために染めの状態は悪く、まだらでみっともない。その中で一番深く染まった小さなスペースだけが、かろうじて鑑賞に耐えうる、といった具合の端切れだ。けれどそれは、プラネラが求めた色だった。

 カリスが指さしたのはちょうどその部分だ。

 不意をつかれたせいで、プラネラの声は喉に引っかかった。


「……気に入ったのなら、似たような色はお求めになれますわ」


 いくつか店の名前をあげる。布地や糸を生産販売している工房と、紫色の商品を多く扱うブティックだ。カリスは、生真面目に、気になったので、おとうさまとおかあさまに話してみます、とうなずいた。


「あなたにもらってばかりで、ぼくに返せるものがあればいいけれど」

「わたくしが勝手にやったことですから」


 ほとんど押し付けたようなものですわ、とプラネラが言えば、カリスは、でもぼくは助けられました、と真剣な顔で言った。

 そしてジャケットのポケットをから白いハンカチを取り出すと、プラネラに差し出した。


「あなたのしてくれたことには足りないかも」

「素敵なハンカチだわ。けれど、いただけません」


 生地と同色の百合の刺繍、繊細なレース飾りの施されたハンカチだった。それで、パーティの招待客に、百合の紋章を戴く伯爵家があったことに思い当たった。カリスはその家の子だろうか、とプラネラは考える。領地内では、モチーフの全てを生地と同色で刺すことはめったにない。

 パーティで起きたトラブルに対応させてもらったようなもの、本当に気にしなくていい、と首を振ったけれど、カリスは納得しなかった。


「でも……」


 押し問答のうちに、じわ、と涙の膜が張る。大きくてはっきりとした菫色の瞳がくもる様は、プラネラの心をちくりと刺激した。

 あぁ、美しさは、いつだってずるいのだわ、と責任転嫁の末に、プラネラは負けて、カリスからハンカチを受け取った。

 胸元に収めれば、ほんの少し、背筋が伸びるような気がする。仕立ての良い、美しい品だけが持つ力だった。


 ありがとうございます、とプラネラは頭を下げ、カリスの帰りを案内するために、衣装部屋の扉を開けた。


「庭の方から戻られるのは具合がよくありませんでしょう? 使用人のところまで案内しますから、迷ったとお伝えください」

「あの、……もう少し、ここにいさせてはもらえない?」


 プラネラは曖昧に微笑んで、どう素直に戻ってもらおうか、と考えた。


「ここには何もおもてなしできるようなものがありませんの」


 お菓子どころかお茶も満足に出せない。ボードゲームもカードゲームも楽器も。あるのは本ばかり。絵や文字は書こうと思えば書けるが、カリスを汚させずにプラネラひとりで対応できるかどうかはわかりかねた。

 カリスがひどく沈んだ、暗い顔をしたので、プラネラは問いかけた。


「ガーデンパーティはお気に召しませんでしたか?」


 カリスは首を振った。


「お茶も食事もおいしかった。天気がよくて、お庭はきれいで……」


 でも。大人からはじろじろ見おろされるのがつらいし、中にはいつまでも見てくる人もいる。歳の近い子には髪を引っ張られたり追いかけられたりする。それがいやだ。おとうさまとおかあさまの近くにずっとはいられないし、にいさまはついてくるなと言う。ぼくが目立つからいやだって。

 カリスはまくし立てるように喋った。今日限りの不満ではないことを(うかが)わせる語気の強さがある。

 珍しくも美しい髪や瞳の色が、いらぬ関心を集めるようだった。

 これだけ女神を象徴する色そのままを戴いているならば、あやかりたいと近づく人間もいるだろう。憧憬、嫉妬。カリスのような姿形に近しい者のほうが、あるいはより希求するということもあるのかもしれない。

 プラネラのような、遠くにあって、星を眺める心地とは違って。



「……わたくしのようなものが、何を、どう、と思われるかもしれませんが……。そのわずらわしさは少しわかるような気がいたします」


 同情、または、共感?とプラネラは考えた。

 プラネラの髪や瞳の黒に、ぎょっと目を剝く者がいる。眉を顰める者も。あからさまに、死が移ると言った者まで。高齢の家族がいる、近寄らないでくれ、そう言った者には、その者なりの、切実さがあった。

 もし再びプラネラが髪や顔を晒したなら、遠巻きに、アイコンタクトで嫌悪感を共有するはずだ。あの穢れた色、あの呪われた色、と。


 カリスの祝福の色は、まかり間違っても隠すようなことができないために、人の視線から逃れることができずに辛いのかもしれない。

 こんなに違う色で、指の指され方だって違うのに、似たような場所に収束するのはなんだか可笑しいことのような気がして、プラネラはため息をついた。


「とはいえ本当に何も出せません。お飲み物は湯冷ましですよ」

「……こちらは、水もよく知られていると聞きました」


 茶どころであるプラネラの領地は、すなわち水どころでもあるということだ。

 なんてことを言うのかしら、と呆れて、けれど思わず笑ってしまうと、カリスもまた、はにかんだ。




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