第九話 狼の言い分
「まず、あなたの話を聞かせてちょうだい」
わたしは彼に顔を近づけ、声をひそめた。
「……ああ。さっき言ったのは、本当か? 俺を、信頼していると」
「そうね。あなたは覚えていないかもしれないけれど、幼い頃に黒い狼に助けてもらったことがあるの。あれって、あなたでしょう?」
わたしは吹雪の日の出来事を語った。
「たしかに……子供が凍えていたので、温めてやった記憶はあるが。まさか、あの子が……?」
ジーグルトは信じられないように、わたしをまじまじと見ていた。
「成長すれば、変わるものよ」
「なるほど。その記憶も手伝って、俺を信じてくれるんだな」
「そういうこと。ユリアヌスは自作自演かもしれない、って言ってたけど――そうは、思えないのよね。狼たちは殺さないようにしながらも、本気で盗賊にかかっていったように見えたし」
わたしは腕を組んで、あの恐ろしい情景を思い浮かべた。
「……とにかく。あなたは、この城に来るのもしばらくは難しいでしょう? だから、出ていく前に話を聞かせてほしいのよ」
本当は、彼を護衛として雇いたいぐらいだったが、さすがにそれはユリアヌスが許さないだろう。
「わかった。だが、何を話せばいい」
「あなたの言い分よ。ヴァイスヴァルト辺境伯を殺していない、という主張をしてちょうだい」
「了解した。俺たち狼族は、たしかに獣人税が課されるという話を聞いて憤っていたし、俺は何度もこの城に直談判に来た。血の気の多いやつもいたが、ヴァイスヴァルト辺境伯を傷つけないようにと厳命していた。俺は、王都へ行って王に嘆願するつもりだった」
その話を聞いて、わたしは感心した。
国王に命令されれば、ヴァイスヴァルト辺境伯は課税を止めざるを得なかったはず。
獣人税という差別的な税金は、国王陛下は他国の目も気にして止めさせる可能性が高い。
「だから、俺たちがヴァイスヴァルト辺境伯を殺す理由にはならないんだ。最悪でも、王に直談判したあとでないとおかしい」
「うーん」
ジーグルトの主張は理解できるし、説得力もある。
だが、ユリアヌスとマクシミリアンを説得するほどではないだろう。
「次に聞きたいのは、『では誰がやったのか?』ということよ。狼族でないなら、誰があの惨劇を招いたの? 獣の噛み痕だということは、たしかなのよね? あなたたちでないなら、誰? 疑い、程度でも構わないわ。あなたの意見を聞かせて」
「……狐だと思う」
「狐?」
「狐の獣人も、ヴァイスヴァルトに住んでいる。狐は俺たちと違い、誰かに化けることができる」
「あなたが人型になれるのとは違って……たとえばわたしにそっくり化けることができる、ということよね?」
「そうだ。狐はその特性をもって化けて、あちこちの貴族の家で悪さをやらかした。だから十年前、狐狩りがあった。狐が化けて悪さをするといっても、そんなやつらは一部だ。大半の狐は、ここで静かに暮らしていた。だが、当時の国王は狐の獣人の殲滅を命令。それに、ヴァイスヴァルト辺境伯も協力した」
むごい話に、わたしは息を呑んだ。
「狐の集落は襲われて、女子供も構わず皆殺しの憂き目にあったそうだ。他の獣人族は、狐を助ければ同じ目に遭うぞという脅しを受け……助けには、行かなかった」
悔いたように、ジーグルトは目を伏せる。
「知らなかったわ……」
国の暗部とも言える歴史だからか、そんな凄惨な事件があったとは、今まで聞いたこともなかった。
「そっか。なら、狐族は国や辺境伯を恨んでいるのね」
「おそらくな。俺はあの件以来、狐の獣人を見たことがない。生き残りが、人間に紛れて暮らしているのだと思う」
「狐は、誰かに化けていたとして――わかる方法は、ないの?」
「狐の変化は同族同士にしか見抜けない。俺の鼻も、効かない」
狼の鼻ですら、狐の匂いはたどれない。
つまり狐がこの城に潜んでいても、おかしくない……。
あらためて、わたしはゾッとした。
さっき初めて逢ったユリアヌスやマクシミリアンが狐でも、不思議ではないのだ。
「失礼なことを聞いて悪いけど、あなたが狐という可能性は?」
わたしのぶしつけな質問にも、ジーグルトは真面目に答えてくれた。
「ない。狐は、人間の姿にしか化けられない。つまり、獣姿に化けることはできない、ということだ」
「なるほど……」
獣人たちは、狐候補から外れるということね。
「どうすればいいの、ジーグルト。わたし、この城では誰も信頼できないわ」
「そうだろうな。狐が、誰かを殺して化けている可能性は否定できない。だが、落ち着くんだ。エヴェリーン、あなたは十年前の事件に何も関与していない。狐があなたを殺す理由がない。当分は、安全だろう。危険があるとしたら、あなたが狐の正体を見抜いてしまったときだ。そのときは、気づいていない振りをして俺に知らせてくれ。狼たちで、狐を取り押さえる」
ジーグルトは懐から、黒曜石でできた小さな笛を取り出した。ペンダントの形になっている。
「これを、エヴェリーン」
渡されて、わたしはそれを見下ろす。
「……笛?」
「いわゆる犬笛だ。この犬笛は魔女が作った特殊なもので、狼族にしか聞こえないようになっている。合図を決めておこう。危険なときは、余裕がないだろうから長音を一回。何か話したいことがあるときは、短音で二回」
「わかったわ。ありがとう」
わたしは犬笛のペンダントを首にかけ、服のなかに仕舞った。
「獣人は、狼族と狐族以外にもいるの?」
「この地方だと、あとは猫族が多いな。猫族には魔女が多い。仲良くしておいて損はないぞ。兎族もいるが、警戒心が強くて滅多に顔を見せない」
獣人のことを教わりつつ、わたしは遠慮がちに頼んでみた。
「あの、お願いがあるの」
「何だ?」
「もう一度、狼の姿になってみせて」
「……」
ジーグルトは眉を寄せながらも、狼の姿になってみせた。
わたしは思わず座り込んで、彼を抱きしめる。
「何をしている?」
「ふわふわもふもふ……いえ、感触をたしかめているの」
遠き日にわたしをくるんでくれた狼の感触と、同じだった。
「あのときも、ありがとう」
「別に――。たまたま吹雪から逃れて入った小屋に、先客がいただけの話だし」
狼の姿なのでわかりにくいが、ジーグルトは照れているようだった。
「そろそろ、離れろ。長時間になると怪しんで、騎士団長が入ってくるぞ」
「わかったわ」
わたしが離れてすぐ、ジーグルトは人の姿に戻った。
「くれぐれも、あれに気をつけるように」
「ええ。あの……でも、今更だけどあれは――狼ほど大きくないわよね。大人を噛み殺せるものなの?」
「獣人の獣姿は、普通の獣よりも体が大きい。私たちより、少し小さい程度だ。獣人の狐族なら、余裕で人間を噛み殺せる」
「そうなのね……」
あらためてゾッとして、わたしはジーグルトに一礼する。
「今日は本当にありがとう。また、会いましょうね」
「ああ」
ジーグルトは微笑み、扉を開けて出ていった。




