第六話 黒狼
すっかり腰を抜かしたわたしに、黒い狼が近づいてくる。
他の狼より体が大きいし、さっき遠吠えで合図していたから、この狼が群れのリーダーなのだろう。
「わ、わたし……食べても、おいしくないわよ」
必死に言いつのると、黒い狼の姿が溶けるようにして消えて、人間の姿に変わった。
黒衣をまとった、見目麗しい青年だった。
つややかでまっすぐな黒い髪は背中の真ん中あたりまで伸ばされていて、目は神々しい金色だった。
「人間……?」
「狼の獣人だ」
ああ、それで――変身したのね。
「名前は、ジーグルト。災難だったな」
彼は名乗り、手を差し出した。
わたしはその手を取り、なんとか立ち上がる。
「どうして、助けてくれたの?」
「……最近、ヴァイスヴァルトは治安が悪い。盗賊が増えている。俺たちは、自主的に警備をしている。この近辺を見張っていた仲間が、怪しい馬車に王都から来た娘が乗るところを見ていてな。知らせてもらって、駆けつけたら盗賊に襲われていた……という次第だ」
ジーグルトは、淡々と説明してくれた。
「そうなの……。わたし、あの馬車にヴァイスヴァルトからの迎えだと言われたのよ」
「それは嘘だろう。あの馬車が盗賊に襲われるなり、御者はとっとと逃げていたぞ。馬に乗った人間も」
「そんな!」
やっぱり、紋章がない馬車を信用するんじゃなかった。
盗賊と、ぐるだったのだろうか?
考え込みそうになったところで、わたしはジーグルトが不思議そうに見下ろしていることに気づいた。
「あ、ごめんなさい。こちらも名乗るべきよね。わたしは、エヴェリーン・フォン・ヴァイアーシュトラス。ヴァイスヴァルト辺境伯の遠縁よ。このたび、女領主になるべく、ここに来たの。よろしくね」
「領主? あなたが? …………ふうん」
ジーグルトは、わたしをじろじろ見てきた。
何よ。そんなに、おかしいかしら。
「なら、ヴァイスヴァルト城に行くんだな? 幸い、馬は逃げていない。送っていってやろう。俺が獣姿になって乗せてやってもいいが、城の者が驚いてしまうだろう」
ジーグルトは馬車につながれていた馬のところに行って、興奮した様子の馬をなだめた。
馬車との連結を解き放ち、馬を自由にする。
よく訓練されているのか、馬は逃げなかった。
「エヴェリーン。馬に乗れるか?」
「え? ええっと……乗馬は、習っていないの」
「なら、俺と一緒に乗っていこう。誰か! 人型になって乗馬し、同行せよ!」
狼たちに呼びかけると、狼たちはひそひそ話し合ったあと、灰色毛の狼が人間の姿になった。
「王よ。わたしが、同行します」
「ディートリヒ。荷物を頼んだぞ」
「はっ」
ディートリヒと呼ばれた青年は、わたしのトランクを持ち上げていた。
「王……? あなた、王様なの?」
「人間の言うような王とは、少し違うがな。国を支配しているわけでもなし。狼族の長、とでも思ってくれ」
説明しながら、ジーグルトはわたしをひょいっと抱き上げて馬に乗せてくれた。
すぐに、彼はわたしの後ろにまたがる。
「何人かは、俺たちの後を隠れて追ってきてくれ。また盗賊が現れないとも、限らない。他の皆は、引き続き見回りを!」
ジーグルトが指示を出すと、狼たちはアオーンと遠吠えをもって返事をしていた。
馬が走り出し、わたしは『狼の仕業じゃないかっていううわさだ』という王太子の言葉を思い出した。
ど、どうしよう。
うろたえながらも、馬から飛び降りる気はしなかった。
それに、彼らは助けてくれたのだし。
わたしの戸惑いなどいざ知らず、馬は街道を駆けていった。




