第三話 王都を出るための話
部屋を出て、階下に行って応接間に入る。
王太子殿下が長椅子に座っていた。
机の上には既に紅茶とお菓子が用意されている。
わたしの分も、あった。
「ごきげんよう、殿下」
入ってきたわたしに気づいた王太子に向かって、一礼した。
「やあ、エヴェリーン。まあ、座って。先ほど、公爵にはお話したんだけどね」
「……婚約の話ですか」
王太子の正面にある椅子に腰かけ、わたしは息をつく。
「そうだよ。弟が、すまないことをしたね」
「……いえ。この表情になって、治らないのですもの。殿下の決断も、致し方ないかと。相手がカーテなら、王家とヴァイアーシュトラス公爵家の婚姻には変わりないのですし」
わたしが淡々と言うと、王太子は困ったように眉を下げていた。
茶色い髪に、青い目。王太子殿下はオトフリート様に、よく似ていた。
「父上も公爵も、婚約破棄を認めた。カーテの訴えていた君の所業は、本当なのかい?」
「まさか。たしかにわたしはカーテに厳しい言葉をかけたりは、しました。でも、手をあげたことなど一度もありません。ましてや、ムチなど……!」
怒りに手が震えそうになって、拳を握った。
「まあ、そうだろうね。僕はなんとなくわかるんだけど……残念ながら、カーテ嬢を信じるひとのほうが多いみたいだ。僕は君が気の毒でね。そこで、悪くない話を持ってきた。公爵も信じているのなら、君はここに居づらいだろう」
王太子殿下は、懐から地図を取り出して、テーブルの上に広げた。
「エヴェリーン。ヴァイスヴァルト辺境伯領に行ってもらえないだろうか?」
イェーアル王国の北方を指さし、王太子はわたしに請う。
「……そこは」
忘れもしない。伯父様が迎えにくる前、住んでいたところ。
「なぜ、殿下はわたしがここから来たと知っているのですか?」
「え? いや、知らなかったけれど……そうなんだ? そういえば、君のお父さんは駆け落ちしたんだったね。実は、ヴァイスヴァルト辺境伯家はヴァイアーシュトラス公爵家の遠縁なんだ」
「そうなんですか!?」
「ああ。おそらく、それを知って君のお父さんはここに行ったんじゃないかな」
「なるほど……」
でも、おそらく援助は受けられなかったのだろう。
父は港の運び屋をして、日銭を稼いでいた。わたしたちが住んでいたのは、小さな集合住宅の一室だった。
ぜいたくなんて、したこともなかった。
「実は、ヴァイスヴァルト辺境伯家は最近、一家惨殺の憂き目にあったんだ」
「まあ。それは、なぜ?」
「わからない。犯人も捕まってないし。でも、狼の仕業じゃないかっていううわさだ」
「狼?」
「君がここ出身なら、知ってるんじゃない? ヴァイスヴァルト辺境伯爵領の北には、狼の獣人が住んでいると」
「そういえば……」
まだ、わたしが幼いときだった。
お使いの帰り、吹雪になったので、わたしは空っぽの小屋に避難したのだった。
凍えた小屋のなかで震えていると、のっそりと大きな黒い狼が入ってきた。
食べられるかと思って、おびえるわたしを包むようにして、狼は横たわってくれたんだっけ。
吹雪が止んで、小屋を出て家に帰るまで黒い狼はついてきた。
でも、家のドアを開けると黒い狼は姿を消してしまった。
『吹雪で足止めされて、小屋で凍えていたら、黒い狼があっためくれたのよ。家まで送ってくれたし』
と言ったら、お母さんは『親切な狼もいるものね』と目を丸くしていた。
ヴァイスヴァルトには、狼の獣人の群れがいるので、そのひとりではないか――と、お父さんが言っていたっけ。
獣人は獣と人間の姿の両方を持ち、当然、普通の獣よりずっと賢い。
小さなころの思い出のせいもあって、獣人に悪いイメージはなかった。
「殿下。どうして、狼の獣人の仕業だといううわさが?」
「傷跡からだよ。肉食獣の牙で噛み殺された、というのが検死をした医師の見解でね。実は、僕はその事件が起こってすぐ、王の代理でヴァイスヴァルトに向かったんだ。なにせ、一族全滅だからね。葬式の手配を手伝った」
「初めて知りましたわ……」
「秘密にしていたからね。ヴァイスヴァルト辺境伯爵家全滅の話も、君の耳には届いていないだろう? 国王が、箝口令を敷いたんだ。むごすぎる事件だからね……。とはいえ、いずれどこからかうわさ話は王都に流れてくるだろうけど」
王太子殿下はため息をついたあと、わたしを見つめた。
「それで、話はわかったかな?」
「――なんとなく。一族が全滅したので、遠縁のわたしに継承権が回ってくるのですね」
「うん、そういうこと。君は王都には、いづらい。ヴァイスヴァルト辺境伯爵家は、跡継ぎを求めている。需要と供給が、合わさった」
「あまり、女領主というのは聞きませんけど……」
「一族の男児がいないときぐらい、だね。今回は、そのケースに当たるし――」
王太子殿下は、口ごもったが、何を言いたいかは、わかった。
今の君に新しい婚約者を探すのは難しいだろう――と、言いたかったのだわ。
なにせ、わたしは凍りついた表情の女。この表情の硬直は、いつ治るか、わからない。
更に、第三王子に婚約破棄された、不名誉な女。
わたしの婚約は、ヴァイアーシュトラス公爵家の威光をもってしても、難しいだろう。
「わかりました。わたし、ヴァイスヴァルト辺境伯を継ぎます」
「うん、うん。それが、君にとってもいいと思うよ。公爵にも先ほど、このことは話したから問題ないね」
王太子殿下は、無邪気にわたしに笑いかけた。
「だけど、凄惨な事件の起こったところだから、重々気をつけて。向こうにも、騎士団がいるけど……」
「ええ、気をつけます。殿下、いいお話をありがとうございます」
事件の起こった城に行くのが怖くない、と言えば嘘になる。
だけど、このままここにいたくはなかった。




