第二十二話 失踪
マクシミリアンの報告どおり、ヒルダは忽然と姿を消していた。
彼女の部屋からは貴重品が失われていた。
わたしは彼女の部屋のクローゼットを開けながら、傍で控えるマクシミリアンに声をかける。
「何か、心当たりはない?」
「いえ、何にも。ヒルダはいつもどおり、立ち働いておりました。しかし、昼頃に彼女の姿が見えないとメイドが知らせにきたんです」
ヒルダはメイドたちと一緒に食事を取る。――マクシミリアン以外の使用人は、みんな一緒に食事を取る決まりだ。
マクシミリアンが例外なのは彼は他の使用人より多忙なので、食事の時間がしばしばずれるからだ。
昼食の席に現れないヒルダを不審に思って、メイドたちが捜したのだろう。
「待って。マクシミリアン。もしかしてヒルダは、今日わたしがどこに行くかあなたに聞いた?」
「ええ。言いましたよ。まずかったですか?」
「ううん、聞きたいだけ。それは、いつのこと?」
「午前のことです。エヴェリーン様が出発してすぐ、ヒルダがわたしに問うてきました。エヴェリーン様は、どこに行くのか――と。わたしは、兎族を捜しにいくのだと教えました。彼女に、言っていなかったのですね?」
確認されて、わたしはうなずいた。
「ひとつ、わかったことがあるわ。兎族を捜されて、狐族の生き残りをわたしたちが見つけたら、まずいことになると思って、ヒルダは姿を消したのよ」
「……エヴェリーン様、まさか」
「そう。狐は、ヒルダだったのよ」
わたしの一言に、マクシミリアンは唖然としていた。
わたしは城中のひとたちを広間に集めて、質問した。
「ヒルダがいつ入れ替わったか、わかるひとはいる?」
わたしの質問に、みんなが首を横に振る。
メイドのひとりが、おずおずと手を挙げた。
「すみません、エヴェリーン様。発言してもいいですか」
「もちろんよ。あなたには、心当たりがあるの?」
「いいえ。いつか、はみんなわからないと思います。ヒルダは元々、違う家の奥方の侍女をやっていたんです。その方が引っ越すということで、ちょうど奥さま付きの侍女を探していたうちに来たんです。それまで、奥様付きだった老齢の侍女が、引退することになったので。それで、ヒルダはわたしどもとは少し距離がありました。その……最初は、わたしたちも積極的に話しかけたんですけど、ヒルダはあんまり打ち解けてくれなくて。上級使用人だという、矜持があったのでしょう」
「なるほどね。あなたたちは、ヒルダと親しくしていなかった。だから、入れ替わりに気づかなかったと」
「そうです。おそらく、ヒルダと一番よく話していたのは奥様だと思います」
「前辺境伯の奥方しか、ヒルダのことをよく知らない。これ以上ないってほど、うってつけの人物よね」
わたしは腕を組んで、ため息をついた。
この無表情を呪いかもしれない、と教えてくれたのはヒルダだった……。
どういう意図があって、ああ言ったのだろう。
ちらりと、隣で興味津々な顔で使用人たちを眺めるギーゼラを見やる。
「ギーゼラ。さっきも聞いたけど、このなかに狐はいないのね?」
「うん。あたし、嘘はつかないよ」
「結構。――狐の夫婦のひとり……女性のほうね……彼女は、ヒルダに化けて、夫を引き込んであの惨劇を引き起こしたのね。ヒルダは、どこに行ったのかしら? ギーゼラ、心当たりは?」
「全然わからない」
ギーゼラは、正直に肩をすくめていた。
「……いいわ。とりあえず、そろそろ食事の時間だし、みんな解散して!」
わたしが手を叩くと、使用人たちは散らばっていった。
「あの、エヴェリーン様」
マクシミリアンに声をかけられて、広間を出るべく歩き始めようとしていたわたしは振り返る。
「なあに?」
「ヒルダがいなくなりましたので、エヴェリーン様付きの侍女をどうしますか? 新たに雇うとなると、募集をかけないといけませんが……」
「そうね――。新しく雇うとなると、時間がかかるでしょう。今いるメイドのなかから、あなたが侍女にふさわしいと思える女性を選んで、わたしの侍女にしてちょうだい」
わたしの提案に、マクシミリアンは渋い顔になった。
「今いるメイドで、侍女が務まる教養を持つ者は、いないかと。仮の侍女を決めておき、募集もかけるというので、どうでしょうか」
「うーん。新しく雇うのは、気が進まないのよね。……そうだわ。ギーゼラを、わたしの侍女にするわ。教養は……わたしが少しずつ、教えるわ。これでも、一流の家庭教師に学んだことがあるのよ」
わたしが胸を張って言い切ると、マクシミリアンは呆れたようだった。
「わかりました。しばらくの間、身の回りの世話をするメイドは、わたしが指名します。将来の侍女にするため、ギーゼラの教育をお願いします」
「ええ、よろしく!」
わたしはマクシミリアンにうなずきかけ、ぽかんとしているギーゼラの肩を叩いた。
「さあ、ギーゼラ。食堂に行きましょう」
「エヴェリーン様。あたしが本当に、侍女になれるの?」
「ちゃんと、勉強をすればね。……って、どうしたのギーゼラ!」
いきなりギーゼラが泣き始めたものだから、わたしは仰天した。
「あ、あたし……居場所ができるんだ、って思ったから」
「ギーゼラ――」
親を亡くして、閉じ込められて。
彼女はずっと、不安だったのかもしれない。
「泣かないで、ギーゼラ。さあ、何はともあれ、とにかく食事よ」
努めて明るい声を出して、わたしはギーゼラの手を引いた。
食事のあと、わたしはすぐ湯浴みをした。
湯浴みを手伝ってくれたのは、マクシミリアンが選んだ『しばらくの間の仮侍女』のベラだった。
湯浴みを終え、頭を拭いてもらいながら、わたしは鏡を見る。
鏡には、無表情の女と緊張した面持ちの黒髪の女性が映っていた。
「ねえ、ベラ」
「はっ。何でしょう、エヴェリーン様」
「あなたも、ヒルダとはあまり話さなかったの?」
「そうですね。用事があるときに、言葉を交わすぐらいでした。ヒルダは無口でしたし」
「……そう」
手がかりは、得られそうになかった。
「ヒルダは、外に出ることはあった?」
「もちろん。奥様の散歩に同行することがありましたよ。奥様が出かけるときは、ヒルダも付いていきましたし」
「奥様ね……」
奥方がいたときに、狐がヒルダを襲ったとは考えにくい。
「ひとりでどこかに行くことは、なかったの?」
「さあ……。用事でひとりで出かけることも、なかったと思います。そういうのは、わたしたちメイドや下男の仕事ですし」
「庭に行くことは?」
「そのぐらいなら、あったと思いますが。庭で奥様の好きな花を摘んだりすることは、あったでしょうね」
狐がヒルダに入れ替わるとしたら、そのタイミングだ。
辺境伯一家殺害が起こったのは、秋。秋に咲く花もある。
庭で襲われたと、見るべきね。それまで、狐族の夫妻は使用人や辺境伯一家を観察していたに違いないわ。
それで、最も露見しにくそうなヒルダに狙いを定めた――。
でも、どうしてヒルダのまま残っていたのかしら。
そして、夫のほうはどこに行ったの?
わたしがぐるぐる考えていると、膝にコルネールが乗ってきた。
柔らかな毛並みを撫でながら、わたしは鏡をにらみ続ける。
考えがまとまらないまま、ベラはわたしの髪の手入れを終え、「おやすみなさいませ」と言って退室した。
「ねえ、エヴェリーン様」
コルネールがわたしの膝から降りて、人間の姿を取る。
「何?」
「ずいぶん、考え事していたみたいだね。何か、気になる?」
「気になることだらけよ。どうして、ヒルダはここに残り続けていたのかとか、夫はどこにいるのかとか……」
「前者は、そんなに考えなくてもよくない? ヒルダは多分、連絡係だよ」
「連絡係?」
「そう。名前、何だっけ……狐族の夫婦が一番困るのは、狐族を連れてこられること。目を光らせていたんだよ。ヒルダは、夫のところに行って知らせているはずだろうね。そのまま人間の町に身を隠しているのだろうけど……ヴァイスヴァルト辺境伯領には、もういないかもしれないよ。しらみつぶしに狐族に探されたら、見つかるから」
コルネールはあくびをして、ベッドに座った。
一足先にわたしのベッドで眠り込んでいるギーゼラを見つめ、コルネールは彼女のオレンジ色の髪を撫でていた。
「じゃあ、どこに行ったっていうの?」
「僕の予想は、王都。ひとが多いからね。身を隠すには、もってこいだ。町の規模が桁違いだから、探すのも不可能に近いと思う」
「王都――ね。いいわ、どうせ王都には行かないといけないから。ギーゼラも連れていきましょう」
「それはいいけど……さっきも言ったように、王都に行って誰かに化けていたら探すのはほぼ不可能だよ。それでも、諦めないの?」
「諦めないわ。このままでは、狼族への疑いが晴れないもの。真犯人を見つけて罰を受けさせる。それが、わたし――新しいヴァイスヴァルト辺境伯エヴェリーンの使命よ」
わたしがきっぱり言い切ると、コルネールは呆れたようにため息をついて猫の姿に戻り、籠のベッドに収まった。
「君の覚悟は、わかったよ。もちろん僕も協力する。でも、気をつけてね。相手は、たくさんのひとを殺しているやつらだ。君を殺すことにも、罪悪感を覚えたりはしないだろう」
「……わかったわ。忠告、ありがとう」
「どういたしまして」
コルネールは目を閉じて、丸まった。
わたしは部屋靴を脱いで、ベッドに上がる。
広いベッドなので、ギーゼラがいても狭いとは感じなかった。
ふと、わたしは髪に手をやる。
昨日まで、ヒルダが手入れをしてくれていた髪。
あの手は、真っ赤に染まった手だった――。
そう考えるとゾッとして、わたしは布団に潜り込んで、目を閉じた。
無性にジーグルトに会いたくて、たまらなかった。




