第二十話 兎族をさがして(1)
翌朝、わたしはいつもより早く起きて朝食を取っていた。
すると、ジーグルトがマクシミリアンに案内されて食堂に入ってきた。
「う、うそ。もう出発!? ごめんなさい、すぐに……」
「いや、いいんだ。そういえば、詳しい時間を伝えていなかったな。ここで、待たせてもらっても?」
ジーグルトがマクシミリアンを振り返ると、彼は小さくうなずいた。
「紅茶でも、用意させましょう」
「ありがたい。よろしく頼む」
マクシミリアンは食堂に控えていたメイドに指示を出し、食堂から出ていった。
食堂にふたりきりになって、わたしは少しどぎまぎしながら、ミルクティーをすする。
「彼が、君の執事か」
「ええ。優秀で、とても助かっているわ」
問われて、わたしは大きくうなずいた。
「彼が狐の可能性は、低いと思うわ。ユリアヌスも。疑いが、全くないわけじゃないけど」
わたしがこっそり打ち明けると、ジーグルトは首を傾げていた。
「なぜだ?」
「領主の仕事を、一から十まで把握しているもの。そんなの、前からやってないとできないでしょ。狐なら、なりすましても実際は経験がないんだから、ぼろが出るはずよ」
「なるほど。騎士団長は?」
「彼は、騎士団の長よ。ほとんどの騎士が、彼のことをよく知っている。なりすましても、違和感なく振る舞うのは難しいわ。最近あのひとは変わった、なんてうわさは全然ないし。それに、騎士はよく訓練で打ち合うわ。剣筋には、癖が出るっていうじゃない? この前、騎士たちにこっそり聞いてみたんだけど、ユリアヌスの剣筋は全く変わっていないそうよ」
「ふむ。それなら、君に近しいふたりの男は両方とも、狐の可能性が低いということだな。喜ばしいことだ」
「あくまで、わたしの考えだけどね。ジーグルト、あなたはどう思う?」
ジーグルトが口を開く前に、紅茶が運ばれてきて、彼の前に置かれた。
彼はミルクも砂糖も入れずに、紅茶のカップを口に運んでいた。
「俺より、君の判断のほうが信頼できるんじゃないか? 俺はこの城では、部外者だからな。……だが、狐がもっと前から入れ替わっていたら、話は変わってくるな」
「辺境伯一家殺害事件のずっと前に、入れ替わっていたらっていうこと?」
「そういうことだ」
「ううーん」
マクシミリアンなら、父親に執務を教わっているときぐらいに。ユリアヌスなら、騎士団に入ってすぐぐらいに入れ替われば、違和感がない?
「しかし、それだと昔すぎるし、可能性は低いだろう」
ジーグルトの推理に、わたしは「そうね」と相づちを打つ。
そこまでさかのぼって疑ったら、もう誰が狐かわからないものね。
「ところで、エヴェリーン。君は、第三王子と婚約していたんだったな」
ジーグルトが話を変えたので、わたしは戸惑ったが、うなずいた。
「そうだけど、それがどうかした?」
「君は、第三王子を愛していたのか?」
直接的な質問に、ほおが火照った。
「……どうかしら。オトフリート様はね、わたしにとっては都合のいい相手だったの」
「都合がいい、とは――」
「第一王子ほどは責任がない。第一王子は、将来の国王よ。王太子妃にかかる負担も、並大抵のものじゃない。わたしは、王太子妃になる自信はなかった。それに、第二王子はよく政争の道具にされるの。第二王子の妻も、大変だと思うわ。――で、第三王子はね、第二王子ほど政争に巻き込まれる心配もないし、王太子ほどの重圧はかからない。それでいて、王から領地を下賜されるから暮らしは安定する」
わたしが一気に言ってしまうと、ジーグルトは目を丸くしていた。
「だから、狙ったのよ。あらゆる手練手管を使って、陥落させた。わたしは、幸せになりたかったから」
「愛がなくとも?」
「ええ。貴族の結婚なんて、政略結婚がほとんどよ。わたしの父みたいに駆け落ちして、貧乏になるなんてまっぴらだった。わたしを引き取ったヴァイアーシュトラス公爵も、わたしや妹を使って自分の家の有利になるような結婚をさせるつもりだったと思うわ。そんなの、嫌だった」
相手が老人だったり、家の格は高くても凋落していて貧乏だったり。
不幸な結婚の話は、王宮で嫌になるほど聞いた。
「だから、自分でつかみとった……つもりだったの」
オトフリート様は身分も申し分なく、外見も爽やかで、物腰の柔らかい優しいひとだった。
「わたしは、自分が間違えたとは思わないわ。時間が巻き戻っても、わたしは同じ行動を取ると思う」
「……そうか。思い出させて、すまなかった」
「いえ。狼族の婚姻はどうなっているの?」
「狼族は数がそれほど多くないから、大抵は親が決める。ちょうどいい年頃の男女を、めあわせるんだ。だが、恋愛関係になっている男女を引き裂いたりはしない。道理に反していない限りな」
「道理って?」
「血の近い者たちの結婚は、許されていない。親子や兄弟はもちろんだが、おじおばと甥姪だな――。いとこ同士も、あまりいい顔をされない」
「へえ。人間世界のルールと、そう変わらないのね」
いとこ婚はたまに聞くが、それ以外は人間の世界でも御法度だったはずだ。
「人間の貴族の政略結婚よりは、自由が利くのだろうけどな」
ジーグルトの意見に、わたしはうなずきかけたが……ふと、気になることがあった。
「違う獣人同士って、結婚できるの? たとえば、狼族と猫族の結婚とか」
「ああ。それは、禁忌ではなくても推奨されていないんだ。獣型を取れない子が生まれるから」
「獣型を取れない……」
「そう。それに、獣人の混血は狼族の特徴である、よく利く鼻や俊足や強力、猫族の特技である魔法などが使えない子になる。つまり、人間とほぼ同じだ」
意外な真実に、わたしは驚いた。
「不思議な話ね」
「ああ。獣人は獣と人間の血がせめぎ合っている。違う一族の獣人と交わると獣の血が薄れ、人間の血が濃くなるから力が弱まる――と言われているが、獣人と人間が結婚しても、獣型は取れるんだ」
そこでわたしは、またびっくりした。
「人間と結婚しても、獣人の特徴は薄れないってこと?」
「そうだ。不思議だろう?」
「本当に……」
同意しながら、どきどきしていた。
なら、違う一族の獣人同士が結婚するより、人間と結婚するほうが抵抗がない……?
「ジーグルトには、許嫁はいるの?」
思わず聞いてしまい、顔がカーッと熱くなる。
「うん? いないが……」
彼の答えに喜びながらも、わたしは恥ずかしくてたまらなかった。
これだけ顔が熱くなっているのなら、真っ赤になっていること間違いなしだわ。
「俺の婚姻に関して興味があるのか?」
ジーグルトはわたしをからかっているのか、おかしそうに笑って問いかけた。
「いえ、な、ない……。ううん、あるわ。教えて」
正直に打ち明けると、彼は声を立てて笑っていた。
「俺は父の死後、狼族の長を継いだ。一族をまとめるのに必死で、結婚についてなかなか考えられなかったんだ。ディートリヒなんかは、急かしてくるんだがな。早く跡継ぎをもうけて、安心させろと」
「そうなの……」
声が震える。
なら、わたしが――あなたの――
考えをまとめて口にする前に、強烈な喉の渇きを覚えた。
すっかりぬるくなったミルクティーを飲み干し、少し落ち着いたところで食堂の扉が開いた。
「エヴェリーン様。騎士たちの用意ができました」
入ってきたユリアヌスはジーグルトを睨みつけてから、わたしに一礼する。
「ご苦労様、ユリアヌス。ちょうど、食べ終わったところよ。行きましょうか。ジーグルトも、いい?」
「ああ」
ジーグルトは紅茶を飲み干し、カップを置いてユリアヌスに微笑みかけた。
「今日はよろしく、騎士団長」
「……よろしく」
ユリアヌスは無愛想に応答していた。




