第十二話 視察
日々は、あっという間に過ぎていった。
手早く減税を行い、家のない失業者たちを簡易宿泊所で保護し、炊き出しを振る舞った。
幸い別邸が広大だったこともあり、全ての希望者を収容できた。
今は失業者に農地をあてがい、農業の指導を行っているところだ。冬でも育つ穀物を植えさせている。
古くて広い農家を改造した新しい刑務所はまだ修繕が終わっていないので、もう少しかかるだろう。
刑務官は面接を経て、選抜を終えた。失業者のなかでも、責任感と腕っ節の強い者を新しい刑務官に選んだ。彼らには今、刑務所の修繕を手伝ってもらっている。
前辺境伯の借金は、完全に返済。
その代わり、やはり初期投資には足りなかったので伯父に手紙を書き、お金を貸してもらうことになった。
利子なし、期限なし、という破格の条件だが、借金は借金。計画的に返していかなくては。
わたしの施策は、今のところなんとか上手くいっている――と思う。
今日も、マクシミリアンが運んできてくれた書類に目を通してサインしていく。
なんとか書類の束がなくなったころ――
「城下町の視察に行きたいわ」
と、わたしはマクシミリアンに頼んだ。
仕事の合間に、わたしはユリアヌスから乗馬を習っていた。
まだ上手とはいえないが、町を歩くぐらいなら問題ないだろう。
「……わかりました。手配しましょう。護衛に、ユリアヌスを付けます」
「お願いね。昼食は、町で食べるわ」
壁時計を見ると、まだ午前十時だった。
「町で、ですか?」
マクシミリアンは、顔をしかめていた。
「町のひとの話を、聞きたいのよ」
「そうですか……」
マクシミリアンは引き下がり、手配をしに書斎から出ていった。
一時間後、わたしはフードつきのマントをまとって城から出た。
門のところには、ユリアヌスが既に騎乗して待機している。
わたしも鐙に足をかけて、馬に乗った。
女性が馬にまたがるのははしたないとされているので、馬の左側に両足をそろえて腰かける。
「行きますか、エヴェリーン様」
今回はお忍び視察ということで、ユリアヌスにも平民の服を着てもらった。
彼も、質素な長いマントを着込んでいる。
わたしもマントの下は、平民のよく着るワンピースだ。
「ええ」
わたしたちは、城から離れていった。
城下町の大通りを進んでいくと、懐かしくなった。
そうだわ。わたし、ここに住んでいたんだものね……。
潮の香りがする。
北部の海は冬になると凍ってしまうが、ヴァイスヴァルト辺境伯領にあるこの町の港は海流の影響で、凍らない。
そのため、この港は北部の重要拠点と見なされている。
州都がここに置かれているのも、そのせいだろう。
わたしは、ゆっくりと馬を進めていく。
町ゆくひとの顔は、みんなどこか暗い。
(わたしの施策で、この領地を救えるかしら)
不安が胸にきざしたが、まずはやれることをやるしかない。
「エヴェリーン様。あの店、オススメですよ」
ユリアヌスが指さした先には、何かを炒めるフライパンの絵が描かれた看板が下がっていた。
「では、あそこで昼食を取りましょう」
わたしはうなずき、馬を降りた。
ユリアヌスも馬を降りて、わたしの馬と自分の馬の手綱をつかんで、店先の柱につないでいた。
わたしとユリアヌスが入ると、元気のいい少女が「いらっしゃいませ!」と言って飛んできた。
「二名様ですか? 奥のテーブルにどうぞ!」
案内されて、わたしとユリアヌスは奥の席に座る。
「注文は任せたわ」とわたしが頼むと、ユリアヌスはウェイトレスを呼んで、メニューも見ずにさっさと「昼食のセットふたつ。それと温かい葡萄酒をふたつ」と注文を済ませた。
少し待つと、プレートに載った食事と、葡萄酒の入った木のカップが運ばれてくる。
温かい葡萄酒を、ひとくち飲んでホッとする。
凍えた体が、ほぐれていく。
木のプレートには、パンと鶏の香草焼き、それにゆでたニンジン、キャベツが載っていた。
少し遅れて、スープも運ばれてくる。こちらは、コンソメスープだった。
一通り食べて、わたしは「おいしいわ」とつぶやく。
「そいつはよかった」
ユリアヌスは微笑んで、葡萄酒をぐっとあおっていた。熱くないのかしら。
「どうだよ、商売は」
「まあまあ。減税されたとはいえど、まだまだ客足は戻らねえな」
客の話に耳を傾けながら、わたしは食べ進めていく。
減税の効果が出るのは、まだ先だろう。長い目で見ないと。
少しぐらい明るく「新しい領主が減税してくれた」と言ってくれるのではないかと期待していた自分に気づいて、わたしは自分を恥じた。
ユリアヌスはわたしより先に食べ終わって、もう一杯――今度は冷たい葡萄酒を注文していた。
わたしはいくぶんぬるくなった葡萄酒をすすりながら、ユリアヌスに尋ねた。
「ねえ、ユリアヌス。辺境伯一家の遺体を一番に目撃したのは、誰?」
「……いきなりですね。ええっと、たしか侍女ですよ。いつも朝起きると、おのおのがベルを鳴らして侍女やメイドを呼ぶんです。だけどあの朝は、ベルの音が響かなかった。不審に思った侍女が、夫妻の寝室をのぞいて叫んだんです。それから、大騒ぎ。一家も、見張りの騎士たちも、死んでいました」
「侍女というと、ヒルダ?」
「ええ、そうです」
「そうなの……。あなたは、遺体を検分した? 本当に、獣の噛み痕だった?」
「息があるか一応たしかめましたが、傷をじっくりとは見ていません。それに俺は医者でも漁師でもないので……。切れ味の悪い剣でも、ああいう傷になることはあるかもしれない。なんです? 医者の見解を疑っているんですか?」
「一応の、確認よ。医者が誰かに買収されていることだって、有り得るでしょう」
わたしの意見に、ユリアヌスは呆れたようだった。
「そうすると、犯人がぐっと広がってしまいますよ」
「わかってるわ」
「まさか、俺も疑ってます?」
「……いいえ。あなたには、動機がないもの。そうでしょう?」
騎士団長になりたいから、騎士団長を殺した――という推理は通らない。
騎士たちは、あくまでついでで殺されているのだ。
標的は辺境伯一家に違いないし、そもそもそこまでして騎士団長になるメリットが見いだせない。
「そうですね。でも、エヴェリーン様は、あの狼を信じている。聞いたんでしょう? 狐が犯人だと」
ユリアヌスは、どこか嗜虐的に笑った。
尋問のときに、ジーグルトは狐が犯人だと主張したのだろう。
「……ええ」
「そうすると、俺も狐かもしれませんよね。そういう意味では、疑っているんじゃないですか?」
「わからないわ」
正直に答えると、ユリアヌスは葡萄酒を飲み干し、息をついていた。
「素直ですね。疑ってない、とでも言えばいいのに」
「狐が犯人で、誰かに化けているのなら、誰が犯人でもおかしくないもの」
「それなのに、俺を護衛につけた?」
「誰が護衛でも一緒よ。あの城のひとなら。全員、疑わしいわ。……怒らないでね」
そっと付け加えたが、ユリアヌスは明らかに気を悪くしていた。
「ねえ、ユリアヌス。今日はこのまま、獣人の住居を訪ねたいのだけど」
「それは無理ですよ。獣人のところに行くのなら、あと五人は騎士を連れていかないと。危険だ」
「ジーグルトは、危険だと思えないわ。自主的に町の警備もしてくれているというし」
「点数稼ぎですよ。そうすりゃ、自分への疑いがそれると思っている。実際、あなたは誰よりジーグルトを信じている」
ぎくり、とした。
図星だったからだ。
「とにかく、俺は騎士団長として、あなたと俺だけで獣人のところには向かうのは危険と判断し、却下します。出直しましょう」
「わかったわ」
ここは、引き下がるしかなさそうだった。