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あぁ、無味、無為、無情  作者: 東東
3/7

 最初におかしい、と思ったのは、もう半年ほど前のことだったと思う。


 切っ掛け、というほどの切っ掛けがあったわけじゃない。ただ単純に、帰りが遅い日が増え始め、それでなんでこんなに遅い日が増え始めたのかな、と不思議に思っただけ。

 確かあの頃から一週間に一度程度、帰りが遅くなっていって、外から電話が入って『ちょっと遅くなりそうだからご飯何か適当に食べててくれる?』等と言われるようになったのだ。

『お父さんが帰って来るまでには戻れるから、幸ちゃんと優希の分だけでいいからね』とも言われた。父の分は帰ってから用意するから、と。

 ちなみに、母は出会った時から俺のことを『ちゃん』付けで呼んでいる。たぶん、継子になる俺に対して親しみを持ってもらおうという配慮から、そういう呼び方になったのだと思う。

 そんな母の気持ちを幼いながらも薄々察した俺は、素直にその呼び方を受け入れはしたのだが、実は当時から思うところがないわけではない。あの頃は幼かったから、『ちゃん』付け自体に取り立てて不満のようなものがあったわけではなく、問題はもう少し根本的な部分だったのだ。


 俺のことを『幸ちゃん』と呼ぶ母は、父のことを『幸さん』と呼ぶ。


 ・・・これ、どうなんだろうと幼いながらもかなり疑問を抱いていた。

 父の名前は幸男で、まぁ、確かに親しみを込めて呼ぶなら『幸さん』なのかもしれない。でもその子供である俺は、亡き母がとても単純な人だったのかそれとも何か深い考えがあったのか、もしくは自分の旦那が大好きだったのかは知らないが、何の思い出も残っていないその母が父の名前から一文字とって『幸太』とつけてしまったものだから、名前から愛称を取ると、父の愛称と丸被り状態になってしまうのだ。

『ちゃん』づけするのか、『さん』付けするのかだけの違い。家庭内でこれだけの違いで呼び分けられるのだから、幼心にもどうなんだろうと思わずにはいられない。

 今まで一応聞き間違ったりしたことはないけれど、なんとなく釈然としないというか、俺のことを呼んでくれている時でも、オリジナリティが欠けているような気がするというか・・・、そんな釈然としない思いをし続けていた所為か、もしくはただ単に周りの今時風にお洒落な名前を持つ友人達を見渡してしまう所為か、実は亡き母がせっかくつけてくれたこの『幸太』という名前自体があまり好きではない。そして好きではない所為か、いっそう『幸ちゃん』呼びが釈然としなくなる悪循環状態だったりする。

 まぁ、その本当に今はどうでもいいはずの問題はとりあえず横に置いておくとして・・・、といいつつ、この問題を思い出すとつい気になってしまうのが、弟の名前だ。

 今時らしく凄く個性的、というわけではないが、それなりに良い名前だと思う『優希』という名前。多少、女の子っぽい気がしないでもないが、それでも俺の捻りの一切無い名前よりはいいのではないかという羨ましさをつい抱いてしまう名前をつけたのは意外なことに父だった。

 なんというか、淡々とし続ける父がつけるにしては洒落ている、という気がする。ただ、その洒落っ気があるのなら俺の名前にも是非発揮してほしかったと思わないでもないのだが。

 そんな、羨ましい名前を持った弟と二人分の食事を一週間に一度ほど作るようになったのが半年前。何週間かそんな日々が続いた頃、流石に帰りの遅い母親がその時間帯に何をしているのかが気になり出したのは、ごく自然な流れだったとは思う。だって一応母は専業主婦なはずで、つまり専門的に主婦をやってくれる人なのに、一週間に一度、夕飯作りという主婦業を放棄してしまっているのだから、気にはなる。

 勿論、いくら専業主婦とはいえ、毎日完璧に主婦業を果たさなくてはいけないというほど俺は亭主関白な旦那みたいな男じゃない。偶に息抜きしたり、さぼったりするくらいは仕方がないと思う。・・・が、そのサボりが一週間に一度という頻度で行われたら何事だと思うし、ましてやその回数が徐々に増えて、一週間に二度、三度となっていけば、流石に息抜きレベルで納得することは苦しくなってきてしまう。

 まだ一週間に一度程度の頻度で帰りが遅かった時、最初に脳裏を横切った可能性は習い事だった。主婦は余った時間で習い事だのなんだのしたがるとテレビで特集が組まれていたのを見たことがあって、だから弟が中学生になり、ある程度手が離れだしたこのタイミングで何か習い事でも始めたのかと、そんな可能性が浮かび上がってきたのだ。

 しかしそれなら何故、そうと言ってくれないのか、大体、夕飯を作りを放棄して夜遅くに習い事をするくらいなら、昼間の余った時間に習い事をすればいいのではないか、以前見たテレビの特集でも、昼間の余った時間に習い事を始める主婦が増加している、という話だったのではないか等、浮かんだ可能性を却下する考えが幾つも浮かび、結果、その案は完全に却下されることとなる。その一番の理由は、徐々に増えていく帰宅時間が遅い日の多さの所為ではあったのだが。

 何度か尋ねようと思ったのだ。どうして最近、帰りが遅い日が多いのか、その帰りが遅い日は何をしているのか、と。

 しかし元々継母ということもあって突っ込んでものが聞ける間柄でもなければ、帰宅が遅くなることは告げてもその理由を自主的に告げようとはしてこない母親の様子に、言いたくない事実があるのではないかと勘ぐってしまう自身の心が、決定的な何かを聞くことを怖れてどうしても口を開こうとはしなかった。

 ただ、いつか父や弟が俺が聞けないでいることを母に問いただすのではないか、また問い質したとして、その結果はどうなってしまうのか等を考えると、具体的な何かを想像出来ているわけでもないのに戦々恐々としてしまって。

 幸いなことに、父は毎日帰宅が遅く、その父の帰宅までには母もちゃんと帰って来て食事の用意をするし、当の父はあまり家庭のことを気にかけて変化に気がつくようなタイプの人間でもないので、俺が怖れていた質問をするようなこともなければ、そもそも半年以上前の日常から変化してしまっている日々に気がついてもいないようだった。

 だから父に関しては何も心配する必要がないのかもしれないが・・・、問題は弟だった。・・・いや、本当は気づかれてなくても、父に対しても問題なのだろうが。

 でも、とにかく直近の問題は弟なのだ。なんせ、母がいない日は俺が食事を作ることになる。そして俺の大して美味くもない料理を一週間に数回も食べるようになっていっている現状を弟が一体どう思っているのか、それを考えるだけで胃が痛くなる思いだった。

 大して美味くもないだけではなく、ヴァリエーションも少ない夕飯を食べることそのものにも思うことはあるのだろうが、そもそもの話、どうして母親が夜、帰りが遅い日が多いのかという疑問は間違いなく沸くだろう。

 そして俺と同じ結論にいつ達しないとも限らない。というか、もう達している可能性だってある。


 出掛ける際に纏っている如何にも女っぽい服装や、派手な化粧、それに時折、家の中で隠れるようにして携帯を握り締めて誰かと楽しげに話す姿。


 ・・・頻繁に重なる不在の夜、それにこれらの母の変化を目にしていれば、誰でも必ず俺と同じ結論に達するだろう。べつにこれ以外の決定的証拠を掴んでしまったわけではないが、それでも達した結論には確信がある。つまりこれだけあれば確信してしまうような諸々なのだ。

 だって他には考えられない。なにより、母の纏う空気が明らかに『女の人』なのだ。それはかつて、父が初めて俺の前に母を連れて来たあの時を思い出させる姿、出会ったばかりの頃、まだ『母』ではなかった頃のあの人と同じ姿。


「気づいて・・・、る、のかなぁ・・・?」


 自然と洩れる呟きは、我ながらかなり情けない口調だった。まだ母からの『夕飯は自分達で』という指示がきていないが、それでも今日もそういう電話がくるだろうと察している手は、冷蔵庫から勝手に探し出したカレーのルーに相応しい食材を取り出し、包丁やまな板も取り出し始めている。

 そしてカレーの作り方が書いてあるルーの箱の裏面に視線を向けながら、しかし自分で洩らした呟きに引きつけられた意識によって、そこに書かれている文字を読むことが出来ない。

 ただ、脳裏に浮かぶ弟の表情の乏しい顔ばかりが気になって。


 味がしない、つまり感情が欠落しているかのような弟は、大人しいを通り越して何かを悟ってでもいるかのように、諸々が平坦だ。


 表情が乏しいのは当然の如くで、声も平坦なら喋り方にも抑揚がなく、行動にも感情的な何かを表したこともなければ、視線にすら何かが籠もっているところを見たことがない。

 よく、感情の起伏が乏しい人間を『人形のようだ』と評すが、それすら通り越して、『置物が機械制御で動いているようだ』と評したくなるレベルなのが、うちの弟、優希だったりする。・・・まぁ、親父とそっくりだと思えば遺伝なのだから仕方ない、という感じかもしれないが。

 しかしやっぱり中学一年というまだまだ幼さの残る子供でありながら、人形を通り越して置物的機械になってしまうのはどうかと思う。どうかと思う、というか、どうかしているだろう。

 母親の愛情を充分に貰えていないから、貰えているように思えないから・・・、父親からの遺伝に加えて、母が俺ばかり構う所為であの機械化状態になっている、というのが俺の分析で、つまり原因は俺にある。

 だから色々と気にかけ、世話を焼き続けた十年ちょっとなわけなのだが、大人には概ね不評なあの感情の乏しい弟を、それでも可愛く思う感情が俺の中には育っていた。

 機械化していると俺自身が思っている相手に対して、どの点がそう思えるのかは俺自身、説明が出来ないけれど、それでも可愛いと思うからこそ、大事だと思えるからこそ、今以上に感情が欠けてしまう可能性を思うと、やっぱり焦るというか、どうにかしなければという気持ちになる。

 ただでさえその愛情が継子である俺に注がれているように見えてしまう現状に加えて、母親が、しかも実母が他の男に走っているかもしれないなんて思えば、弟のあの波のない精神にいっそうの打撃を加えてしまうかもしれない。

 それはやっぱり、嫌だから。


「・・・まぁ、あんまり出来ること、ない気もするけど」


 簡単な料理と、今まで以上に弟の様子に気を配って、世話を焼いて、でもそれ以上のことはきっと出来ない。出来ない、だろうけど、でもそれぐらいは、とも思う。

 味のあまりしないこの家で、というか、味のしない人間を二人も抱えているこの家が、家族が、壊れてしまわないように、俺が出来ること。


 きっと母さんだって、そのうち家の方が大事にだなって思って、変なこと、止めてくれるはず・・・。


 家庭を壊す気はない、ってのが常套句のはずだしな、と何かのドラマか小説、もしくは漫画で見たような気がするそれを思い出しつつ、自分を励ますように一つ、力強く頷いて、滑っていた視線を改めてカレーのルーの箱、その裏面に記載されているカレーの作り方にしっかり焦点を当てて、その内容を確認していくのだった。


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