①
『スイーツ凡人』
・・・という、結構な渾名を友達一同から頂戴している俺なのだが、その渾名で呼ばれる度に思うことがある。
勿論、結構酷い渾名だなとか、どうして今時っぽく『スイーツ男子』じゃないんだろうとか、凡人だと思う人間に態々『凡人』って渾名つける必要ある? だったら世の中の殆ど全ての人間に『凡人』って渾名つくだろとか、そういう一般的な感想もある・・・、のだが、それとは別に、たぶん、一般的ではないことを思うのだ。
しかも、結構はっきり、思う。
『俺、凡人どころか、結構な勢いで特別な人間なんですけど』
・・・という、結構な内容のことを。
勿論、口には出さない。出せるわけがない。
今ですら、『王子じゃないのに甘党』という理由だけでテレビに出ている『スイーツ王子』とやらから王子を凡人に変えて『スイーツ凡人』なんて渾名がつけられているのに、こんなことを口にしたら最後、俺の残りの高校生活が終わってしまう可能性が高いからだ。
高い、というか、確実だろう。下手をすると、渾名が『スイーツ凡人』から、『スイーツ変人』とか『甘味の奇人』とかに変わってしまう可能性もある。それ以外の、俺では想像すら出来ないような渾名に変わる可能性すらあるだろう。
だから、決して口には出さない。『スイーツ凡人』と呼ばれれば、とりあえずちょっとした抗議を込めて嫌そうな顔を多少作りつつも『ハイハイ』という感じで返事をするようにしている。
これで本当にその渾名が酷い揶揄や苛めのターゲットにされそうなほどの悪意が籠もっていれば別だけれど、ちょっとしたおふざけ程度の気持ちで口にされている渾名だから、今はもう、その表情以外は何事も無く受け止めているけれど・・・、それでも呼ばれる度に思っているのだ。思わずには、いられないのだ。
凡人ではなく、逆なのだ、と。
──だって俺には・・・、他人の感情を味として捉える力があるのだから。
*******
「ただいまー」
「お帰りなさい」
「うぉっ! 吃驚した・・・、って、えっとぉ・・・、母さん、どっか行くの?」
「えぇ、今からちょっと、ね。あ、幸ちゃん、冷蔵庫に貰い物のドーナッツ、入っているから、食べてていいわよ?」
「分かった、ありがとう」
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
通っている高校から、自宅までは自転車で四十分ほど。
バスに乗ればもっと早いけれど、バスの時間に合わせて家を出るのが面倒だし、バスを待つのも面倒、という気持ちが強すぎて自転車通学を選択した俺は、今日も自転車を四十分ほど走らせて帰宅した。
そして自転車をドアのすぐ脇に止め、ドアに鍵を差して回し、解錠の音と共にドアノブを回しつつドアを引いて玄関の中へ突っ込んでいって・・・、自然、俯きがちになっていた視界に自分以外の足が見えたところで慌てて顔を上げると、そこには母が靴を履いて立っていた。
俺には大変そうという感想しか存在しない高めのヒールの靴を履いた母が目の前に立っていることに驚いて上げた可笑しな奇声まみれ問いに、母は動じた様子もなくにこやかな笑みを浮かべて頷くと、同じ笑みを維持したまま俺におやつの存在を示してから、これまたにこやかな笑みを維持しつつ俺がたった今通り抜けてきたドアを逆方向、つまり外に向かって歩き去って行った。
その後ろ姿が閉まるドアに完全に消えた後、自分でも誰に気を遣っているのかはっきり分からない・・・、というのは嘘で、確実に今出て行った母に気を遣って音を立てないようにしながら鍵を締める。
出て行った人に聞こえるような音を立てて鍵を締めると、まるでその人が居なくなったことを喜んでいる、もしくは二度と戻って来てほしくないから締め出そうとしている、そんな悪意を抱いているように思われそうで、どうしてもこうして鍵を締める時は気を遣わずにはいられない。
それは母だけではなく、父、弟、つまり家族全員に対して共通するモノ。
あの人が母としてこの家にやって来るまでは、そんな気遣いをしたことはなかったっけ。
最近、昔のことをよく思い出す。元々、昔のことをしょっちゅう思い出すタイプの、過去を振り返りまくりな性格をしてはいるけれど、それにしても最近はその振り返りの頻度がかなり高まっている自覚がある。
その理由は明白で、でもそんな明白過ぎる理由をどうしても直視したくない俺は、ついつい振り返って見てしまう過去から目を逸らすように、もう少し向こう側にある過去、つまり視線を向けてしまう過去より更に昔につい視線を向けてしまう。
意図的に向けた先の過去は、当時の俺にとっては多少の辛さを味わう現実で、それが過去となった今の俺にとってはある種の栄光にも似た日々だった。
あの人がこの家にやってくる少し前、五歳かそこらの頃のこと。
自分が、他の人間とは『違う』のだと知った時のこと。
・・・気がついた時には、『母親』という存在はいなかった。まぁ、でもそれもべつにもの凄いドラマティックな理由ではなく、俺が生まれて間もなく、体調不良で亡くなった、というだけのことだ。
だけのこと、といってもまぁ、それなりのことではあると思う。もの凄いドラマティックではなくても、多少はドラマがあるとは思うし、なにより、体調不良の理由が元々病弱だったのに無理をして子供を生んだことが原因と言われているのだから、俺の所為かよ、という感じで、つまり何も分かっていない小さい頃はともかく、多少知恵がついてくると思うところが多発してしまう理由だったからだ。
それはともかく、まだそういった難しいことを思う時期ではない幼少期、周りは『お母さん』がいるのに、俺だけ『お父さん』しかいなくて、保育園の送り迎えも他の子供達は母親がしている中、自分だけがいつも父親に連れられている事実は、何も分かっていない子供でもなんとなく違和感を覚えるわけで、不思議には思っていた。
それでも当時はただそれだけのことだった。幼すぎて、周り子達も俺だけが父親が送り迎えに来ることに疑問を持てなかったし、周りの事情を知る大人は、俺の母親が死んでいる事実に触れようとはしないので、特に問題が発生したわけではなく。
ただ、そんな客観的な事実に伴う問題ではない問題が俺には起きていたのだ。
味、という問題が。
何が切っ掛けで気がついた、というわけでもない。それは俺にとって自然なことで、周りの全ての人間が同じように感じているのだと信じ込んでいたのだ。
食べ物を口に入れてなくても、口の中で『何か』の味がしている、ということを。
それは常時感じているものではない。保育園で友達から離れて一人で遊んでいる時、お昼寝の時間なのにふいに途中で目が覚めてしまった時、そして・・・、家にいる時。
何も味を感じない時は感じないのだが、しかし口に何かを含んだわけでもないのに、ふいにその空っぽの口の中に味が広がる瞬間、というものが多々発生したのだ。
一体何の味なのか、何故、口の中が空っぽなのに味を感じるのか等、疑問が浮かぶはずなのだが、これが自分だけに起きている現象だと知らなければそんな疑問が浮かぶわけもなく、ましてや生まれて時から自然と発生している事象に今更思うことなどあるわけもなく、幼い俺は誰かに味のことを話すことなく、ごく普通に過ごしていた。
時折口の中にする味に、『あ、甘い』とか、『苦いなぁ』とか、『なんか、変な味!』とか、胸の内で小さな感想を洩らしながら。
ただ、家の中では食べ物以外の一切の味がしなかった。特に疑問も持たず、そういうものなんだ、と受け入れていたけれど。
そんな疑問を抱くことのない状態に転機が訪れたのは、五歳になったかならないかぐらいの頃、特に切っ掛けもなく、それは訪れた。
確か、保育園で砂遊びか何かをしていた時だったと思う。俺は一人で穴を掘っていて、今とはなってはどうしてそんなことを思ったのか分からないけれど、とにかく深い穴を、誰よりも深い穴を掘る、そんな熱意に駆られてひたすら穴を掘り続けていたのだ。・・・本当に、あの熱意が何なのか、幼少期を脱してしまった今の俺には心底理解不能だけど、とにかくそんな熱意に駆られていて。
砂場で砂を掘っているのだから、当然、砂っぽかった。口呼吸状態の俺の口の中も砂っぽく、ざらざらとした不快感を感じていたのだが、それでも構わず掘り続けていたはずのその時、ふいに、口の中に砂っぽさ以外の味を感じたのだ。
くっきりとした、強烈なほどの甘みを。
それは、掘り続けていた手が止まるどころか、その手から連なる肩が跳ね上がるほどの強烈さを持った甘みだった。父親の方針なのか、それとも甘味を好んで食している姿を見たことがない父親のただの嗜好の問題だったのか、当時の俺は偶に仄かに口の中に広がる形なき甘み以外は、果物とか仄かな甘みのクッキーくらいしか甘味に馴染みがなく、つまり突如口に広がった強烈な甘みは初体験で、正直、あまりの甘さに甘い味がしているという認識すら追い着かないほどだった。
たぶん、それは喩えるなら溶けきらないほどの砂糖を詰め込んだ生クリームレベルの甘さで、甘みを好むはずの幼少期の俺ですら、あまりの甘さに嘔吐きかけるレベルの甘さだ。
それまでも何かを食べていないのに味がするなんて日常茶飯事で、特に意識すらしていなかったが、しかしその時ばかりは意識しないわけにはいかなくて・・・、半ば反射的に顔を上げた幼い俺は、無意識に周りを見渡していた。その行為が、感じる甘すぎる味に対して誰かに何かを言いたかったのか、それともその原因を探していたのかは定かではないが・・・、見渡した視線で見つけた光景に、俺はその探していたのかどうかが定かではない原因を見つけてしまう。
若い保母さんと、その保母さんに話しかけられている若い父親の姿。
勿論、俺の父親じゃない。俺の父親は、なんていうか、今でも禿げているわけでもないし、腹が出ているわけでもない。不潔な感じもしないし、もの凄く冴えないおっさんという感じもないのだが、今も当時も、堅物のおじさん、という感じが前面に出ている所為か、女にもてることはない。
それが父親かと思うと我が身を振り返って何か諸々が心配になってしまうが、もてることはなくても、もの凄く嫌われることもないので、その辺りをある種の慰めのように出来なくもないのだが・・・、まぁ、それは置いておくとして。
とにかく、その時に話しかけられていた父親は俺の父親以外にその保育園に来る男親の一人で、毎日来るわけではないが、ごく稀に来る人だった。
俺の父親よりも若く、イケメンというほどではないけれど清潔感溢れる好青年という感じで、顔立ちが多少、甘い感じがし、今思えば女にもてそうな感じがある。
勿論、既婚者ではあったのだろう。だって殆どは母親の方が送り迎えに来ていたのだから。ただそれでも、もてる男というのは子持ちだろうと結婚していようともてるらしく・・・、話している若い保母さんは、それはもう、嬉しそうな笑みに赤らめた頬をして、胸の前で両手を組み、半ば前傾姿勢になるくらいの勢いと熱意を持ってその父親と話していた。
話の内容なんて分からない。ただ、足元にいる、まさに今、預けに来たのだろう子供をほったらかしにしてまで父親に夢中で話しかけている様は、どれだけその保母さんがその父親に夢中なのかよく分かる姿ではあった。勿論、今思えば、というだけで、当時の幼い俺の目には、楽しそうだな、くらいの感想しかなかったわけだし、なにより、もっと気を惹かれる点があったのでそれ以上の感想が抱けるわけもなかったのだが。
甘さは口の中でいっそう強まり、口を埋め尽くす勢いで広がっていく。際限なく、終わりなく。
喉の奥まで浸蝕されそうなその甘さに、当時の俺はたぶん、飲み込んだ息すら甘いという状態だった思う。口の中の隅々で感じていた、溶けきれない砂糖がざらざらと溜まっていくような、そんな違和感すら覚えていて。
流石に感じる不快感に顔を歪めながらも、何故か視線は話し続けるその保母さんから離れなかった。理由は分からない。少なくとも、見ていた当初の俺には分からなかった。ただ、それもやがて朧気ながら理由を察したのだが。
まだ物事を順序立てて考えられない当時の俺には、本当に朧気にしか分かってはいなかったけれど。
保母さんが話しかける度に、相手の言葉に強く頷く度に、笑みを輝かせる度に、甘さが増していく。
溶けきらない砂糖のじゃりじゃりとした感覚も、その度に増えていく気がしていた。だからごく自然に・・・、難しく物事を考えたりしない幼子特有の単純さで、察した。
あの保母さんが、この甘い味をしているのだ、と。
どういう結論だ、と今の俺なら思う。でもあの時は本当に単純にそう思って、思った丁度次の瞬間、軽いお辞儀をしながら若い父親は踵を返して去って行った。
その途端、口の甘さが唐突に消え失せて。
改めて見た保母さんは、しゃがみ込んでその父親の子供に並び、去って行く後ろ姿に子供を促して二人で手を振っていた。いってらっしゃい、と声までかけて、見送っていて。
顔は、笑顔。子供の顔を、さっきまで完全にほったからしにしていた子供の顔を、さも、可愛くて仕方がないとでも言いたげな笑みで覗き込みながら、本当に優しく笑っている。
でも、その時にはもう、俺の口の中には何の甘さもなくて。
パパがいないと、甘くないんだ。
・・・と、そう、何の根拠も説明もないそれをただ単純に、俺は思った。
思って、砂遊びをごく普通に再開させていた。
過ぎてしまえば、ただの出来事。でも、一度経験すればそれなりに気になるのが経験、というものなのだろう。
結局、その一件を切っ掛けに、俺は味と周りの反応との関係を無意識に気にするようになっていった。
幼い俺の興味は簡単に移り変わるから、常に感じている味について考えたり周りを見渡したりしていたわけじゃない。ただ、あの時の甘さのように、かなり強めの味がした時だけ、周りを見渡す習慣が無意識のうちに出来上がっていたのだ。
そうして暫く経つと、幼いとはいえ繰り返すほどに気がついていく。自分の口の中に突如広がる味と、それ以外の関連性を。漠然とではあるし、その気がついたことを整理出来るようになるのはもっと後になってからになるのだが、整理は出来なくても、なんとなくは分かってしまった。
周りの喜怒哀楽が、味として俺の口の中に広がっているのだ、と。
子供の経験に対する吸収力は凄まじい。それはただ一点以外は平凡以外のなにものでもない能力値しかない俺でも言えることで、つまり子供という存在は洩れなく天才なのだろう。
成長するにつれて、本当に天才的な能力がある子供以外、凡人に育ってしまう、というだけで。
そして当時の、まだ子供という天才性を失っていない俺は、大体察してしまう。たぶん、悟った一番の理由は、怒っている人がいる時に口に広がる味、笑っている人がいる時の味、あの保母さんのように誰かに好意を持っている時の味が、全て統一されていたことによるのだろう。
だからこういう時はこういう味が口に広がるのだと経験し、学習した俺は、遡って、この味がそういう感情であることを察して・・・、同時に、周りの反応や俺がその時感じている味に関して共感を求めて周りに声をかけた時の反応で、察してしまった。
これが、俺だけの能力なのだと。
自分以外には、誰もこういう味を感じることがないのだと理解した時に抱いたのは、単純な優越感だった。幼くても、そういった感情は存在するのだ。
他の誰よりも得意なことがあること、誰かに特別に好かれていること、誰にも出来ないことが出来ること、それらはひたすら幼い優越感を満足させるが、すぐにその満足では足りなくなり、当然のようにc幼い俺は新たな優越感を求めてしまう。
すなわち、他の誰か、俺と同じことが出来ない凡人達に対して、俺はこんなことが分かるんだぞ、出来るんだぞ、と知らしめて、羨ましがられたい、凄いと言われたい、そんな気持ちが沸き上がってきたのだ。
幼いから、それは具体的な言葉で説明出来る感情ではなかったけれど、確かにそういう感情で。
そして子供だった俺は、素直にその感情に従って行動してしまう。具体的に何をしたかというと、味がしたら周りを見渡して、味の感情の持ち主が分かると、その相手に元に行って、『今、怒っているでしょ? そういう味がしたんだよ!』とか、『ねぇねぇ、本当は笑っているんでしょ? 僕、分かるんだよ!』等々、得意げに相手にその感情を言い当てて、自分はそういう味が分かる、と主張して回ったのだ。
・・・本当に、幼かったとはいえ、どんだけ考えが浅いんだオマエ、と言いたくなるほど、浅慮な行動だったと思う。もし今、過去の自分の元に行けるのなら、マジ、止めろ、それやるとハブになるから! ・・・と、全力で止めてやるのに、とも思う。
でも実際には未来の自分、という救いの主が現れなかったあの時の幼い俺は、哀れなことにハブになってしまいました。
そりゃ、そうだと思う。そもそも周りにいるのは子供ばかりなのだから、感情なんて顔に思いっきり出ている。それを『こういう気持ちでしょ!』と得意げに言われても、見りゃ分かるだろ、という話であって、しかもそれを味で分かる、なんて言われたら、『コイツは何を言っているんだ?』ということにもなるだろう。そんな変な子供、他の子供が仲間として認めてくれるわけがない。
大人に至っては、顔に出していない感情も諸々あるわけで、そういう感情は当然、知られたくないから顔に出していないのに、突進してきた子供がいきなりその感情を得意げに、しかも意味不明な理由で暴いてきたら、それはもう、こんな子供に関わりたくないと思うに決まっているわけで。
保母さん達は、それでもにこやかな笑みを維持して俺に接してはくれた。俺が言うことに、『そうなの?』とか『そうかしら?』とか、曖昧な返事をして、決して安易な肯定を返すことはせず、所謂、大人の、職業的プロな対応を続けていたが、他の大人達は勿論、俺のことを変な子供と認識して距離を置くようになった。
そうして誰もが離れていって、子供達の中には俺を苛めようとする奴も出始めて、外遊びの時に仲間に入れてもらえなかったり、砂を投げつけられたりするに至って、俺はようやく理解した。
俺の『特別』は、決して口に出してはいけないことなのだ、と。
理解して、だから言えなくなったことがある。聞けなくなったこと、とでも言うべきか。
味を感じて騒いでいた時、俺を『変なことを言う子供』と判断した保母さん達は、その可笑しな俺の言動を唯一の保護者たる父親に報告していたのだ。勿論、俺が傍に貼りついているので、やんわりとした物言いで、お宅のお子さんはちょっと面白いこと言うんですよ、という説明の中に、同じ大人である父親似だけ伝わる、『お宅のお子さんちょっと変なこと言うので、ご家庭で気をつけるように言って下さい』というニュアンスを込めたそれは、当時の俺には分からないまま、ちゃんと父親には伝わっていたらしい。
だから俺はその当時、自宅で父親に、その言動の真意を聞かれたことがあるのだ。声を荒げたり、キツイ物言いをする人ではなく、穏やかといえば聞こえがいいが、ちょっと淡々としすぎる感じの父親なので、俺も特に問い詰められてるとか叱られているとかいう印象はなかったそれに、このことは他の誰にも話すべきではないということをまだ理解出来ていなかった俺は、素直に『分かるんだもん! 味が!』という、絶対に誰にも分からないだろう主張を繰り返していただけだが・・・。
しかしそれらを口に出してはいけないのだと理解した途端、その時の父親とのやり取りや自宅での生活を思って、強い疑問が沸いてきてしまったのだ。
父親に、聞いてみたいのに聞けなくなってしまった、ソレ。
──どうしてお父さんは、味がしないの?