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数カ月後、画家は、弟子たちと沢山の作品を携えて現れた。
王太子一家の肖像画は数点あり、どれも素晴らしい出来だった。
「グレースの美しさを絵に留めるなど、お前たちも大した腕前だ。ソフィアの笑顔も、描くのが難しかったのではないか」
アレキサンダーは、絵を見た感想を率直に口にした。
ソフィアは赤子だ。眠っているか、泣いているか、乳を飲んでいるか、ぐずっていることが多い。ソフィアが、機嫌よく笑っているときもある。だが、そうでないときのほうが多い。アレキサンダーが知る限り、それが赤子だ。
「幼いながらもソフィア様はご聡明でいらっしゃるのでしょう。王太子妃様のみならず、ローズ様とブレンダ様には多大なご協力をいただきました」
画家と一門の者達は深々と頭を下げた。
「あぁ、そうだな。ソフィアは皆に愛されている」
「ブレンダは素晴らしい乳母ですわ。ローズも乳こそ出ませんけれども、乳母のようにソフィアを育ててくれていますもの」
「グレース、私の魂。あなたも母として素晴らしい愛をソフィアに注いでいる。ソフィアも、皆に愛され幸せだ」
アレキサンダーは、微笑むグレースに口づけた。
ロバートは静かに控えている。ローズとブレンダはソフィアに付き添っており、この場にはいない。
「そちらも見せてもらおうか」
アレキサンダーの言葉に、絵にかかっていた布が取りはらわれた。
「ほう。これもまた」
ロバートと寄り添うように、並んで立つローズが描かれていた。ロバートの片腕は、ローズを包み込むように抱いている。
「お前達、いつの間にロバートのこの表情を描いた」
絵の中では、ロバートが柔らかく微笑んでいる。
「ローズ様を見つめておられるときのお顔です」
「なるほど。ロバートの外面しか知らない者が見たら、別人と思うだろうな」
「えぇ」
ロバートは、赤面して顔を隠していた。
「お前、今更何を恥ずかしがっている」
アレキサンダーの言葉にも、ロバートは答えない。
アレキサンダーには、ロバートが、何を基準に恥ずかしがるのか、わからない。
ロバートは、人前でローズを慈しむ。ローズの定位置はロバートの腕の中だと思っているのは、アレキサンダーだけではない。描かれているのは、アレキサンダーが見慣れた光景だ。ローズが王太子宮にやってきてから、徐々に当たり前になった二人の関係だ。
グレースが、ロバートは奥手なのか、大胆なのか、今ひとつわからないと首を傾げる。アルフレッドは、ローズが早く成長して、孫の顔を見せてくれないかと無茶を言う。アレキサンダーは、ロバートがもっと素直になればいいと思う。だが、素直でないロバートが、面白いのも事実だ。
「ロケットも見せてもらおうか」
職人達が捧げ持つロケットを、アレキサンダーは受け取った。
ロケットを開くと、ソフィアを抱き微笑むグレースを後ろから包み込むように抱くアレキサンダーが描かれていた。
「これは良いな」
アレキサンダーは、グレースの首にロケットをかけた。
「嬉しいですわ」
グレースも同じようにアレキサンダーの首にロケットをかけた。
「これがあれば、視察で離れている時も、グレース、貴方が側にいるように感じることができる」
「私も寂しさが紛れますわ」
王太子と王太子妃の仲睦まじさは、ライティーザ王国の明るい未来を予見させた。
もう一組のロケットを開くと、向かい合わせに描かれたロバートとローズが、微笑んでいた。蓋を閉じると、見つめ合うようになる。
「なかなか良いと思わないか。ロバート」
アレキサンダーは、絵を食い入るように見ているロバートに声をかけた。
「はい」
ロバートの返事はたった一言だったが、絵に魅入られているのは明白だ。
「一つは後でローズに渡してやれ」
「はい」
ロバートは、二つのロケットを大切そうに手の中に包んだ。
アレキサンダーは、すっかりわかりやすくなった乳兄弟を眺めた。己の身を挺してアレキサンダーを庇うロバートは、まるで死に急ぐかのようだった。生への執着の薄いロバートが、いつか本当に己の身代わりとなり死ぬのではないかと、アレキサンダーは危惧していた。
笑顔を忘れたようなロバートが、誰かを想う日がくるなどアレキサンダーは思っていなかった。ロバートがローズとともに生きることへ執着してほしいと、アレキサンダーは思う。
「変わられましたな」
画家の声には深い感慨があった。
「どうした」
「戴冠式の絵を描いたのは、私共の工房です」
王太子宮の一角に、アレキサンダーの戴冠式の絵がある。国王アルフレッドから、王太子として任命されるアレキサンダーの傍らには、厳しい目をして周囲を警戒するロバートが描かれている。
「あれか。変わっただろう」
アレキサンダーは、ロバートに目をやった。ロバートは、何も言わない。
「恐れながら、殿下も変わられました」
画家の顔の皺が深くなった。
「殿下がお生まれになったときも、私共の工房にご依頼をいただきました。私は、まだ、見習いを終えたばかりで、高貴な方の御前へ出るのは初めてでした。懐かしうございます。あの時、赤子でいらしたアレキサンダー様に姫君がお生まれになり、描かせていただき、感無量でございます」
当然、アレキサンダーにはその記憶はない。王妃の子でないアレキサンダーの誕生は、ライティーザ王国にとり、手放しで喜べる慶事ではなかった。当時アレキサンダーの絵を書いた画家が、アレキサンダーの子の絵を描けることを喜んでくれていると思うと、心あたたまるものがあった。
「そうか。感動するにはまだ早い。これからソフィアも成長し、弟や妹も生まれるのだから。今回の絵も素晴らしい。今後も、そなた達の働きには期待している。息災であれ」
「はい。是非今後とも私どもの工房をご贔屓ください」
画家の言葉に、アレキサンダーは頷いた。