2020-12-03 二次元の住人の気持ちになって
お団子とドーナツの素敵甘味コラボレーションに思わず、我を忘れて前回はフリートを投げ出してしまったが、とにかく話を進めようではないか。
お団子とドーナツなので話はまだ二次元である。
なのでこの場合の世界の在り方を想像する時には二次元の住人の気持ちになって周囲を見渡してみる必要がある。
ここで話をわかりやすくするために、お団子の大きさはすっごいデカくて例えば我らが母星たる青いチタマくらいなのだとする。
ドーナツちゃんはニンゲンの身長と同じくらいの大きさだとする。
ドーナツの太さはそうなるとニンゲンの頭の直径くらいになるだろうか。
そんな光景をまずは思い浮かべるのである。
さて二次元人がこの大きなお団子に突き刺さったニンゲンくらいの大きさのドーナツの近くにいたとする。
ドーナツから離れている場合はこの際あまり話には関係がない。
ドーナツが突き刺さっていない場所だと、お団子はほぼほぼチタマ星で考えたズンドコ天竺と話は一緒になるからだ。
なのでここでは、ドーナツの近くをうろうろしている二次元人の気持ちになってみるわけである。
さて、巨大なお団子の表面で這い回る人生を送る二次元の視点で見ると、この突き刺さっているドーナツはどう見えるだろうか。
実は、二次元人にとって、ドーナツはわれわれ三次元人が認識しているような輪っかっぽいなにかのようには見えない。
二次元人は上下方向を見るための感覚器を備えていないので、チタマからそそり立つドーナツ部分がわからないのだ。
いや、わからないというのはちょっと違うか。
チタマの表面と、ドーナツの表面、どちらも彼らからすると特段には区別がつかない、というべきだろう。
例えばドーナツの根本にいる二次元人にとってみれば、ドーナツを避けてその脇を通った時と、そそり立つドーナツを登ってぐるーっと上の方を回って反対側に降りてきた時、どちらもまっすぐ目の前の空間を歩いてきたように感じられるだろうにちがいないのだ。
しかし、二次元人には違いがわからなくとも、その移動した有様に違いがあることは、われわれ三次元人には分かる。
つまり、二次元人には理解できない何かがそこで起きていて、それがちょっとした違いとなっているはずなのである。
それを考えてみようではないか。