2020-11-27 ドーナツちゃんも恐ろしい
球の恐ろしさを堪能頂いたばかりだというのに大変申し訳ないことなのだが、こんどは素敵甘味なドーナツちゃんわはーっ!の話を続けなければならない。
なんだろう、ここで書いているお話は恐ろしいばかりでちっとも楽しくないぞどうなってる宇宙。宇宙怖い。
それはともかく、さっきの天竺ワナビーさんたちの話は球の場合と全く同じで、我々人類が実はチタマ星ではなく素敵甘味なドーナツ星で暮らしていたとしても、ワナビーさんたちは東京に戻って来てしまうのである。
結果論で語るならヒキコモリ勢と大差が出ないとかそういう話なのだ。
それは素敵荒野を目指そうとヴィンランドを目指そうとアトランティスを目指そうと全く話はおんなじで、ずんどこずんどこ真っ直ぐ進むといつかは東京に帰り着いてしまうのだ。
球ばかりでなく素敵甘味なドーナツちゃんも恐ろしい存在なのである。
そういえば話は脱線するが昔のゲームで二次元時代のRPGだと、西へ西へと進むといつか世界の端っこをくるりとまわり、東から帰ってくるというシステムになっているものがあったが、あれが実は素敵甘味なドーナツちゃん世界の場合の例である。
一見チタマ星の例と変わらんではないかと思ったりもする向きもあろうとは思うが、そこが二次元しかイメージできない神に見放されし存在たる人類の限界というやつである。
嗚呼もちろん、人類にも天賦の才でもって「球とドーナツの違いを見分ける方法考えちったわはーっ!」という者も実はいるのだが、しかし大抵の人にとってチタマに暮らそうがドーナツ星に暮そうが世界の見え方には大差がないのである。
まあ、最近は人工衛星からのお写真とかでパシャリと一発「おおう!わしらのチタマむっちゃ丸いやんけ!(ガガーリン)」とか疑いようのない証拠を突きつけられたりもするわけだが、まあ、そんなことは今はどうだっていい。
二次元に生きる二次元の人々に想いを馳せるならば、ズンドコ天竺ストーリーは東京ヒキコモリ物語と大差がないのである、球でもドーナツでも、ということを覚えておけば話は先に進むことができるのである。