2021-01-20 気にせずズンドコできる
さて、ここまで二つの屁理屈を並べ立ててドーナツちゃんが無数にぶっ刺さっているのがこの宇宙の形だったとしても見え方とかそういうのは何ら問題はないのであるとか主張を試みているわけであるが、まあ実際にこんどは光じゃなくてわれわれ一般の物質からすると、まっすぐ進もうと思ってもちっちゃいドーナツちゃんに行手を阻まれてにっちもさっちも行かなくなるんじゃないかとか、そういうことを心配して頂いている読者諸賢もいるのではないかと思ったり思わなかったりするわけである。
意外と読まれてると自画自賛しているこの電波フリート、きっとこの長文を読んでいるのだから皆々様におかれましてはきっと大変に賢い方々なのであろうと推察することしきりであるが、もし本当にそんな賢い方々が読んでるとするとそのお時間をかなり無駄な内容で浪費させてしまっていることになっちゃったりなっちゃってなかったりといろいろだろうと思うので、ちょっぴり申し訳ない。
ほんと、この電波文はいい加減なことをテキトーに誤魔化し誤魔化し暇つぶしに書いているだけなので、嗚呼ジョニー、こんなことをしていないであなたの隣にいるその愛しい人々の眼差しをもっとじっくりと見つめて楽しい人生を二人手を取り合って歩んでいって欲しい。
よし。
てな訳で、結局いろいろ屁理屈を並べていて思ったのは、空間にいっぱいドーナツちゃんがズンドコを妨げる存在として満ち満ちていても、ある種の何物かはうまいこと考えるとドーナツちゃんのことは気にせずズンドコできたりするんだよな、ということである。
例えば、屁理屈その2が光の場合で、屁理屈その1がわれわれ物質についての話だとか、そう考えると我々も光もドーナツちゃんのことは気にせずズンドコできるんだけど、そのズンドコの仕方はそれぞれちょっとことなっちょるんよ、とまあそういう世界観を構築できたりもするわけである。
どっちがどっちなのか、はたまたさらに第三の屁理屈があったりするのかはまだ思いついていないが、まあ、何とかなりそうというところだけイメージとして感じておいてもらえればいいんじゃないかと思うわけである。
嗚呼ジョニー、ここまでまた無駄なものを読み切ってしまいましたねジョニー。