2021-07-21 分かれて見えるところまで拡大する
高エネルギーになればなるほど、狭い領域での素粒子の振る舞いのことを見ているのだ、という話を考えてみたとして、いまいまの人類の科学ではなんで広い範囲と狭い範囲でチカラが分離したり統一されたりといった違いが出るのかね、というところが謎だったりするわけだ。
空間とか時間は連続して滑らかで、それの一部の領域をどんどん拡大して、より狭い範囲を詳しくみたところで、空間や時間はやっぱり連続して滑らか、つるっとしててそこに見た目としての違いはないはずなのだ。いまの科学の標準的な考え方だとそういうことになる。
なので距離にGUTスケールみたいな区切りがあることはとても不思議なことに思える。
ところがドーナツちゃんプルプル宇宙論だと話が違ってきてしまう。
まずドーナツちゃんの大きさよりもすっごく広い領域を考えたとして、すごく小さいドーナツちゃんひとつひとつは区別がつかない。
例えていうなら水分子は本当はつぶつぶしているんだけど海みたいなドでかい領域で考えるとそのつぶつぶはつぶつぶとしては分からなくて、流れる水という全体としての振る舞いだけがわれわれから見て取れる、そういう話がドーナツちゃんのワラワラにも適用できるだろう。
さて、ここから観測する範囲をどんどん小さくしていく、海をどんどん拡大して水分子と水分子が区別できるくらいに拡大するのと同じように、ドーナツちゃんとドーナツちゃんが点として別々に分かれて見えるところまで拡大すると、今までドーナツちゃんのワラワラ全体としての振る舞いしか分からなかったところが、ドーナツちゃん個別の振る舞いも見えてくるとかそういう話になる。
まずはそこが一つの転換ポイントで、「ウィークスケール」というのはそういうことなんじゃないかと思うわけである。
さて、海と水分子の話ならそれ以上拡大してもしょうがないというか、今度は水分子を形作る酸素原子と水素原子の話になってまた話はややこしくなるのだが、ドーナツちゃんの場合は東西の二つの脚である二次元球が区別して見えるまで拡大するという話が待っている。
遠くから見るとドーナツちゃんは点に見えるわけだが、近くに寄って見ると実は二つの二次元球が 並んだ構造になっているわけで、点に見えているときと二つの球に見えている時とだと、観測できる様子というのは当然変わってしまうというわけだ。
これがたぶん「GUTスケ ール」とかいう話なのだと思う次第である。