2021-06-17 それぞれのための空間は別物
実は昨日は結構重要なことを書いた気がするのだが、ドーナツちゃんプルプル宇宙論を考察すればするほど、この世界の在り様というものを考えるならば、重力のことを考えるための空間と、素粒子のことを考えるための空間は、別の空間でないといけなさそうという結論になるんじゃないかと思ったり思わなかったりである。
何を言っているかというと、 重力の理論を破綻無しに考えようとするとこの空間に最小の単位がないとどうもうまくいかないな、ということなのだ。
だけど、素粒子の標準模型としては空間は連続であることを前提にした場の量子論でかなりのいい感じの結果を得られているわけで、空間に最小単位が必要とは考えにくい。
あと、超ひも兄さんにしてもループパイセンにしても、空間の最小単位を無限小にする極限を取った時に上手いこと標準模型の理論と整合してれば「やった! 大統一理論だ!」と喜べるわけだが、どちらもそういうことに成功していないという現状がある。
一方で、超ひも兄さんはブラックホールのエントロピーについて良い予測を出せていたり、ループパイセンは重力の量子化が自然に導きだせていたりもして、それぞれ重力についてはなかなか良さげな理論であることは間違いなさそうでもある。
ということで人類はそろそろ「重力も素粒子も上手いこと説明できる便利な空間がある」という幻想は捨てて、「重力は重力、素粒子は素粒子のそれぞれのための空間は別物」という事実を受け入れた方が幸せになれるのではないか と愚考する次第である。
重力のための空間と、素粒子のための空間のそれぞれを突き詰めたあと、それら2つのうちどちらかがどちらかから創出されるという二重構造を考えつくフェーズに人類はあるのだとドーナツちゃんプルプル宇宙論は教えてくれている。わけである。
凄いぞドーナツちゃんプルプル宇宙論。