目を開けるとそこには
視界が真っ暗になったあと、零子はすぐに光を取り戻した。
ものの数秒もすぎていないだろう。
目をあけるとそこは見たこともない街並みが広がっていた。
いや、見覚えがある。
でもそれは現実のものではないはず。
零子が思案にふけろうとした時、何者かの声がした。
「だ、大丈夫ですか?」
男性の声がするので零子はそちらに視線を送る。
スーツ姿の男性がたっていた。
「え、ええ……」
まだ少し視界がぼんやりするものの零子はそう答えた。
「ここはどこなのですか」
と零子は訊いた。
ほんの少し前までカフェにいたはずなのに、今は見知らぬ街にきている。
「すいません、どうやらあなたもこの街に囚われてしまったようですね」
と男性は言った。
「それはどういう意味ですか?」
「ここはあのカフェのジオラマの街の中なのですよ。私もこの街に囚われて一週間はたつのですよ」
と男性は言った。
「立ち話もなんです、あのビルの中にでもいきましょう」
と男性は人気のないビルを指差した。
二人はビルのロビーに入った。
そこには応接用のソファがおかれていた。
「まさか、あなたまでこっちに来てしまうとは、本当に申し訳ない」
向かいに座った男はそう言い、深々と頭を下げた。
男は高橋と名乗った。
「さっきも言いましたが、僕はこの街に閉じ込められて一週間、一人でいました。今まであのカフェを訪れた人たちに助けを求めたのですが、誰も気づいてくれませんでした。気づいてくれたのはあなただけです」
と高橋は言った。
一週間前、高橋はこの店を訪れた。
彼は妻と仲たがいして、コンビニに行くと言い、すぐには帰る気にはなれず、このカフェに立ちよったのだという。
「喧嘩ですか……」
零子は言った。
「他の人が聞くとなんだそんなことでと思われるかもしれませんが、僕には重大なことだったんですよ」
高橋はため息まじりに言った。
その日、仕事が早く終わった彼が目にしたのはがらんとした自室であったという。
そこにあるはずのものがきれいさっぱり無くなっていたのだという。
彼の趣味の部屋には独身時代から集めていたプラモデルやフィギアがたくさんあった。
だが、それらを気に入らなかった妻が独断で処分してしまったのだ。
「けっこう高く売れたわよ」
妻は言った。
それも自慢気に。
彼女にとって彼の宝物は生活スペースを圧迫する邪魔ものだったのだ。
邪魔ものを金銭にかえたのだから、彼女としては良くやったと自慢したかったのだろう。
コレクションの中にはもう販売していないものも数多くあった。
冷たい雨の日に並んで買ったものもある。
親友からのプレゼントもあった。
それらすべてに思い出があり、高橋にとっては何物にもかえがたいものであった。
だが、妻にはその価値がわからなかったのだ。
「これでオタクを卒業できてよかったじゃん」
妻のその言葉を聞いたとき、高橋は頭がふらふらするのを覚えた。
「ちょっとコンビニに飲み物買ってくるよ」
彼はそう言い、ふらふらと家を出た。
そしてすぐに帰る気にはなれずに彼はこの店立ちよった。
コーヒーをすすりながら、彼はこう言った。
「自分だけの世界が欲しい」
と。
そう言ったあと、気がつくとこの街に一人閉じ込められたというのだ。
「そうですか……」
形のいい顎をなでながら、零子は言った。
高橋の気持ちはわからいわけではない。
零子もオタク的な気質がある。
零子がモデルの仕事をするようになったのはコスプレをした写真をSNSに投稿したことがきっかけだったからだ。
その写真を見た今の事務所の人間が零子にダイレクトメールをおくったのが始まりである。
あのときは困惑したものだ。
「やるだけやってみたら」
当時一緒に住んでいた恵美の言葉で零子は今の仕事を始めたのである。
もし大事にしている衣装を勝手に捨てられたらどんな気分だろうか。
しかもその価値を理解してもらえずに。
それはきっと例えようのない苦痛であろう。
「あなたはここから出たいですか」
突如、二人の間に女性の声が割って入ってきた。
その人物はあの占い師であった。
ローブのフードを下げ、にこりと微笑んだ。
「あ、あなたは……」
突然の出現に零子は驚愕せざる負えなかった。
高橋も絵にかいたようなビックリした顔をしている。
「そう言えばまだ名乗っていなかったわね。私はジャック・オー・ランタン。あなたと同じ魔女の家系よ」
占い師は零子にそう告げた。