小さな世界
居酒屋で晩御飯をすませたあと、零子は恵美と別れて、自宅に帰った。
久しぶりの友人との会話は実に楽しいものだった。
酔いざましに熱いシャワーを浴びた。
いつもはシャワーのあとはビールをのむのだが、今日は控えることにしといた。
あまり飲み過ぎるのは仕事に響く。
たしか明日は通販雑誌の撮影の仕事がはいっていたはずだ。
手帳を確認するとやはり撮影が二件はいっていた。
通販雑誌と情報誌であった。
情報誌のほうはたしか新しくできたカフェの取材だったな。
冷たい牛乳をほてった体に流し込む作業は実に心地よいものだった。
テレビをつけるとあるニュースがながれていた。
とある会社員がコンビニに買い物に行ったきり帰ってこないという。
すでに帰宅しなくなってから一週間がすぎているという。
心配そうに涙を浮かべている奥さんがテレビの画面に写し出されていた。
零子はだまってテレビの電源を消した。
行方不明か……。
零子は一人言う。
十五年前のことを思い出していた。
十五年前、零子が十歳のときの話だ。
彼女がいつも通りに自分のベッドで目を覚ますと母が涙を流しながら抱きついた。
「どこにいってたのよ」
嗚咽混じりに母は言った。
母が語るにはその時から一ヶ月前に零子は突如、姿を消したという。
零子が姿を消してから、母親は気が狂ったように周囲を探し回った。
警察にもとどけ、駅前などでチラシを配り、情報を求めた。
だが、手がかりは一切でてこなかった。
一ヶ月、ほぼ寝ずに探し回った彼女は疲れはて、何度も確認した零子の自室をのぞいた。
そうするとすやすやと眠る零子がそこにいたのだある。
零子自身はその一ヶ月の記憶はまったくない。
いつものように夜に眠りにつき、朝目が覚めるとすでに一ヶ月がすぎていたのだ。
零子にしてみれば何がどうなったのか皆目検討がつかない。
この事件のあと、零子の家庭は崩壊する。
零子が自宅で突然発見されたことを、母親の自作自演ではないかという人があとをたたなかった。
誹謗中傷により、母親は精神を悪くし入院してしまった。
父親はそんな母親を捨て、どこかに消えてしまった。
学校でも零子はひどい扱いを受けた。
彼女が一ヶ月もの失踪期間の記憶が無いのが嘘ではないかというのだ。
クラスメイトのほとんどが彼女を無視した。
失踪前とかわらずいたのは村田恵美だけだった。
「帰ってきてよかったじゃん」
村田恵美はそう明るく言い、いつもどおり零子を遊びに誘った。
彼女がいたおかげで零子はどうにか学生生活を送ることができた。
「思い出せないならしかたないよね」
あっけらかんとした顔で恵美は言うのだ。
そのときはあまり物事を深く考えない恵美のポジティブさにすくわれたものだ。
翌日、通販雑誌のモデルの撮影をすませたあと、零子はもうひとつの撮影現場にむかった。
零子が訪れたカフェは一風かわった店だった。
マスターが一人で十年以上かけてつくりあげたという架空の街のジオラマが店の名物であった。
そのジオラマは本当に良くできていた。
街には路面電車が走り、商店街や団地が精巧に再現されていた。
そのジオラマを眺めながら、マスターがこだわった豆でいれたコーヒーと奥さん手作りのケーキが売りであった。
零子はコーヒーをのむ姿やケーキを頬張る姿、ジオラマを眺める姿など撮影した。
外見が天才的に良い零子はお世辞抜きで絵になった。
撮影は予定より少しはやくに終わった。
一緒に来た雑誌編集者とカメラマンが画像の確認をしている横で零子はマスター自慢のジオラマを眺めていた。
オタク気質のある零子にとって見ていて飽きないものだった。
コーヒーは苦手だが、ケーキーは美味しかったのでプライベートでも来ようかなとぼんやりと考えていると零子はある違和感を覚えた。
ジオラマにいる人物が動いている気がする。
あれ、この人動いてる。
疑問に思った零子は鞄から眼鏡を取りだし、もう一度その違和感があった場所を見た。
ジオラマにおかれたこれまた精巧な人形が手を大きくふっていたのだ。
「おーいおーい」
その人形はそう叫んでいた。
その声を聞いた瞬間、零子の視界が真っ暗になった。