安兵衛さん
三軒先の安兵衛さんが、
今年も、たくさん出来たからと、
薩摩芋や柿をくれた。
家族二人では食べきれないほど、
土間の真ん中に置いてある。
夜、妻と話した。
「だけど、安兵衛さんは、
一人でよくあんなにたくさん、
作れるよな……」
「うん、特に何にもしないけど、
勝手に出来るんだって」
安兵衛さんは、一人暮らしで、
ふだん、何をしているのか、
わからない。
年が年なので、
何もしていないのが、
普通なのかもしれない。
妻は、その薩摩芋と柿で作った
夕食を終えると、
また、色を塗り始めた。
習い事は今も続いていて、
週に一度、町まで出かけている。
私は、あまり町には行かない。
行かなくても、仕事は出来た。
ネット社会と言われて、
かれこれ三十年ぐらいにはなる。
近ごろはテレワークだとか。
山間の、この小さな村に
住むようになって、
体の調子も良くなったものだ。
ただ、安兵衛さんのような、
風に吹かれたままの人に、
出逢ってみると、
人間は、まだまだ何か、
手放せるんだろうと、
そんな気がしてくる。
「こんばんは……こんばんは……」
誰か来た。
こんな時間に誰なんだろう。
表は、もう真っ暗闇のはずだった。
「いいよ、出るから。
はーい、ちょっと待ってください」
ガタゴト、戸を開けた。
「あっ、いや、遅くに、すいません」
申し訳無さそうに、安兵衛さんが
立っていた。
「あらら…… 安兵衛さん、
どうされたんですか?」
ヒューヒュー風の音がして、
枯れ葉が土間に入りこんでくる。
「いや、いや、一人でいると、
なんだか、寂しいなってきて。
少しだけ、話し相手になって
もらえやせんか……」
妻が、色塗りの手を止めて、
部屋から顔を見せた。
「上がってもらったら……
薩摩芋の天ぷらもまだあるし、
お酒もありますから」
「まあ、とにかく、入ってください」
「すいませんねえ……」
安兵衛さんは、お尻を掻きながら、
土間から部屋へと入って行った。
私は、枯れ葉が入り込んで
来ないように、
ガタゴト、戸を閉めた。
土間には、安兵衛さんにもらった、
たくさんの薩摩芋と柿があって、
近くには、沢山の枯れ葉が
落ちていた。
そうか、安兵衛さんは、
風に吹かれて生きてるんだ。
部屋から、妻と安兵衛さんの
笑い声が、聞こえていた。
私もここらで、
風に吹かれるこつとやらを
教えてもらおうと、
土間から部屋に上がった。