6.クレア・ダスティス
その後、講義をどのように過ごしていたかはよく覚えていない。
気づけば僕は帰路についており、夕暮れの街の中をトボトボと歩いていた。
己の影が長く伸び、茜色の道を暗く染めていた。影へと一歩、一歩、亡霊のように歩みを進める。
仕事終わりの雑音も、酒場の喧騒も、何もかもが遠くの出来事のようにはるか向こうから聞こえてくるようだ。
しかしそんな中でも、いや、そんな中だからこそ、一つの看板が目に入った。
盾に二本の剣をバツ印に交差させた看板は、この国の冒険者ギルドのシンボルだった。
一瞬脚が止まったが、すぐに動き出してスイング扉を押して開けた。
中では冒険者達が酒を飲み交わし、昼間の冒険譚に花を咲かせていた。
当然、僕の事など誰も気にはとめない。僕は冒険者ギルドでも最底辺のFランクなのだから。
無造作にクエストボードに張り出されていたゴブリン討伐の依頼用紙を引っぺがして受付に叩き付けた。
「お願いします」
金髪をボブにしている受付嬢は依頼用紙を勢い良く叩き付けられたからか一回目をパチクリと瞬かせたが、すぐに気を取り直して用紙を受け取った。
「は、はい! えぇと……ゴブリン討伐ですね。ギルドカードを見せていただいて良いですか?」
「はい」
僕は木のプレートで出来た最下級のギルドカードを提出した。
「ぇ……Fランク、ですか?」
彼女は僕のギルドカードを見て顔を曇らせた。
「それが、何か?」
ゴブリン討伐はFランクでも受けられる依頼のはずだ。
「あの、ゴブリン討伐自体は確かにFランクでも受諾できます。……できますが、可能であればパーティーを組んだ上で受諾することをお勧め致します」
受付嬢の言い分は尤もだ。ゴブリンが最下級の魔物とは言っても、あくまで単体での評価でしかない。比較的徒党を組みやすい傾向にある彼らは場合によってはEランク相当になることもある。また、ゴブリン以外の魔物が介入してくる可能性も否定はできない。
諸々の可能性を考慮すれば、同じFランクでパーティーを組むか、もしくはより上位の冒険者に同行をしてもらうのが至極当然な判断だろう。
しかしーー
「関係ありません。僕は今、このクエストを受けます」
ーー強く、僕は言い返した。
冷静さをかなぐり捨てた愚かな発言だろうが、そんなもの、とうの昔に放棄したも同然だ。
もしも僕に冷静さの欠片でも存在していたとするのであれば、非才の極みたるこの身で《英雄》を目指すなんて愚行を続けてはいないだろう。
金髪の受付嬢は心配そうな表情を浮かべていたが、僕の決意が硬いと判断したのか軽く溜息を吐きながら依頼書を受理した。
「本当に気を付けてくださいね。ゴブリンだからと甘く見て死んでいった新人冒険者さんを、私は数多く見てきたので」
「ええ、勿論です」
◇◇◇◇◇
そう言って僕はゴブリンの潜む森に侵入し、あっさりと、いとも簡単に、追い詰められることとなる。
眼前に広がるゴブリンシャーマンの魔術式。
全身を焼かれた僕には最早、それを回避するだけの力は残されていなかった。
一説によると、走馬灯は己の経験の中から生存する術を探し出すために行われると聞いたことがあるが、僕の人生のどこを探してもこの窮地をきり抜ける術は存在していなかった。
「……そうか、……ここまでか」
口から零れたのは、諦観の言葉。
分かっていた。遅かれ早かれ、こうなるのは当然の結果だったのだ。
僕は《英雄》とは程遠い《凡夫》だった。ただそれだけの、当たり前で、でもだからこそ僕にとってはなによりも残酷なその事実に僕の心は打ちのめされてしまった。
分不相応だということは、心の奥底では分かっていた。けれどそれを見ようとしていなかったのは僕だ。
理由は分かっている。ただひたすらに、真実と己の非才と向き合うのが怖くて、苦しくて、だから僕は努力は報われるはずだと僕自身を誤魔化して欺き続けてきた。
叶えるためにあったはずの夢がいつの間にか、僕自身を蝕む呪いになっていた。
でも、それでも、例え呪いであったとしても……綺麗だと思ったのだ。
御伽噺の中の英雄たちは誰もが輝いて見えた。だからこそ僕はその生き様を自身で体現したかった。
御伽噺ではなく、現実に、この世界に希望をもたらしたかったのだ。
だがその資格は僕には無かった。
それを持つのはきっと、勇者と呼ばれる少年や彼と対を為す天才少女ぐらいだろう。
僕は生存意思を放棄し、もうすぐこの身を焼き尽くすであろう魔術を受け入れるかのようにそっと己の瞳を、未来を閉ざした。
しかし次の瞬間に伝搬したのは、薄氷を砕いたような甲高い音の連鎖だった。
パキキキキィン!
「ゴブゥ!?」
「な……ッ!?」
ゴブリンシャーマンと僕の驚愕の声が重なった。
眼前に広がっていたのは粉々に砕かれた術式の残骸と、その粉光を全身に浴びている黒髪の少女だった。
長く艶やかな黒髪をポニーテールにした少女は、次の瞬間には目の前から掻き消えた。
何処に!?
「G……ッ!?」
疑問を抱いた瞬間には既に勝負は決していた。
先程まで僕を嬲り殺そうとしていたゴブリンシャーマンの背後に、刀と呼ばれる片刃の長剣を振り抜いた少女は佇んでいた。
「ふむ……」
少女は敵に一瞥もくれず、その横を通り過ぎた。だが一見するとゴブリンシャーマンの身体にはどこにも傷はついてなかった。
そして彼女が刀を鞘に収めると同時に、ズルリと奴の首が落ちドサリと肉体も地面に倒れ伏した。
「み、見えなかった……」
その身に纏う異常な魔力も、剣筋も、何もかもが理解の埒外だった。
一太刀で脳髄に現実を叩き込まれた。これが、才能の差ってやつか……。
「大丈夫かい? 少年、いや、ユリウス君?」
「ど、どうして僕の名前を……」
僕の疑問に、彼女はふんわりとした微笑を浮かべた。
「少し、君に興味があってね。悪いとは思ったけど跡をつけさせてもらったんだ。まあ、結果的に君は助かったってことで許してもらえないだろうか?」
助けられた身で文句などあろうはずもない。
「そ、それはもちろ――痛ぅ!」
ズキリ、と、全身の火傷が悲鳴を上げた。
命の危機を乗り越えてほっとしたからか、徐々に痛みが増してきていた。
「ああ! 悪かった! ほら、これを飲めるかい?」
そう言って彼女は屈みながら、ポーション瓶を僕の口元に持ってきた。
コクリ、コクリと喉を鳴らしながらそれを飲み込むと、みるみるうちに火傷跡が消えていった。
これだけの効果をもたらすポーションといったら、最低でもハイポーション以上だろう。
後で返さなくてはとは思うが、今は値段を考えるのは止めておこう。絶対に僕の手持ちでは足りないことは明白だ。
月明かりにより、僕を救ってくれた彼女の表情が照らされる。
「クレア・ダスティス先輩………」
「ん? ユリウス君は私の事を知っているのかい?」
彼女は不思議そうな顔をしながら、僕に手を差し伸べてきた。
彼女の手を掴みながら立ち上がり、質問に答える。
「知ってるも何も、貴方の事を知らない人間を探す方が難しいくらいですよ」
彼女は《勇者》と呼ばれるゼオン・アーカーシャに比肩すると言われている学生の一人だった。冒険者のランクはAで、Sランクのゼオンよりは低いものの、Sランクに上がるのは時間の問題だと言われている。
そもそも、Aランクにすら到達できない人間すら星の数ほどいるのが現実だ。事実、僕は学院に入学してから今に至るまで、最底辺のFランクのままなのだから。
「そうかい? それは勿論いい意味と捉えて良いんだよね? ふふふ……、嬉しいなあ」
心から嬉しそうに、微笑みを浮かべる彼女の表情が、月明かりで彩られ少しドキリとした。
何処までも深い色合いの黒髪に、紫の瞳、妖艶な艶を持つ唇と、彼女は容姿においても優れていると巷では評判だ。
今までそう言った噂は聞き流していたが、成程なかなかどうして、噂は真実であったらしい。
「こんな所じゃ落ち着いて話しも出来ないだろうし、街まで戻ろうか。どうだいユリウス君、まだ動けるかい?」
「ええ」
僕は頷き、彼女の後ろについて街までの道を歩き始めた。
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