45.かつて在りし日の栄光
目を覚ますと見慣れた生まれ育った実家の天井が初めに見えた。
チラリと左側の窓に目を向けると柔らかな月明かりが入り込んでいた。
僕はムクリと上半身だけ起き上がると、デコからズルリと温くなったタオルが落ちた。
同時に右手が何やら不思議な温もりに包まれていることに気が付く。
右手に目を向けると、
「……フィオナ?」
月明かりに蒼い髪を照らされた美少女がベッドの縁に顔を乗せ、すー、すー、と静かに寝息を立てていた。彼女は僕の右手をぎゅっと握りしめていた。
彼女の穏やかな表情を見て、僕はほっと胸を撫でおろした。
改めて、彼女のことを救うことができたのだという実感が湧いてきたのだ。
「と言うか……、生きて、いるんだな……?」
僕は小さくそう呟いた。
焼失した指先も元に戻っていた。拳を握ったり開いたりしても特に違和感は感じられなかった。
フィオナの薬品レポートには、確かに回復魔術を行使すれば即死はしないと書かれてはいたが、即死しないだけで死亡するのは確実だったはずだ。
「助けられたんだろうな……。ありがとう、フィオナ」
ぎゅっと握られていた右手をそっと離し、僕は彼女の髪を優しく撫でた。
「ん……」
小さく声を上げた彼女。
一瞬起こしてしまったか? と思ったのだが、次の瞬間には彼女は再び寝息を立て始めた。
今は夜中のどの時間なのだろうか?
僕は月の位置を確かめるために窓の外を見た。そして同時に噴水の側に見知った顔を見つけた。何故こんな時間にとか、当たり前の疑問は頭によぎることは無かった。
僕は看病してくれた彼女を起こさないようにそろそろとベッドから出て、風邪をひかないように毛布を掛けた。
部屋の扉を音が鳴らないように開け、廊下を降りて僕は家の玄関を開けて外へと出た。
真夜中なので当然だが、火の消えたような寂しさが噴水広場を包んでいた。
そこにいたのは涼しい夜風のみであり、夢と現の狭間にあった僕の意識を現側へと引き戻した。
よくよく見て見るとそこにいたのは夜風だけではない。
周囲に溶け込むように噴水の縁に一人の黒髪の女性が座っていた。
彼女は家から出てきた僕を見て薄く笑みを浮かべてチョイチョイとこちらへと手招きした。
僕は黙って彼女の隣へと腰掛ける。
「覚えているかい? 君のことを助けたあの日のことを。ちょうどあの日もこんな満月だったね」
「忘れるはずがありません」
あの邂逅は、僕の人生そのものの分岐点だった。
『君の才能は孤独だと蔑まれるモノではない。孤高の高みへと至るためのモノだよ』
彼女は、劣等生だと蔑まれ続けた僕に対してそう言い放った。
今でも、正気とは思えない。
だってそうだろう?
あの頃の僕はゴブリンにすらも殺されかけるような無様極まりない男だった。そんな男に対して、彼女と同じ孤高の高みに至れるのだと、才能があるのだと言うことがどれだけ荒唐無稽な行為か。
「あの、クレア先輩」
僕はずっと気になっていたことを聞こうと口を開く。
「何だい?」
「どうして先輩はその……、僕のことをそこまで気にかけてくれたんですか?」
そう言うと、彼女は一瞬目を大きく開けて逡巡した後に話し始めた。
「以前、私には尊敬している人が三人いると言った事を覚えているかい?」
「はい。学院長とセカイ先生、あともう一人は教えてもらえませんでした」
彼女は微笑み、そして立ち上がる。
コツコツと石畳を進み、そしてゆっくりと振り返ってその黒曜石がごとく輝く瞳で僕のことを射抜いた。
「君さ」
「……え?」
「君なんだ」
呆然とする僕に彼女は畳みかける。
「私が生まれて初めて憧れたのは、尊敬した人は、君なんだユリウス君」
「どう……して……? 僕は、貴方に尊敬されるようなことは何も――」
「――君が優勝した剣術大会決勝戦の相手を覚えているかい?」
剣術大会……?
確か、あの時の相手は……。
「黒髪の、少年、だったような?」
勝気な瞳をした少年だったように思う。
もう顔は朧げにすら思い出すことはできないが、その瞳は印象的だった。
綺麗な黒曜石のような――
「――クレア、先輩?」
目の前の彼女もたまたま、同じ特徴を有していた。
彼女は得意げに口角を上げた。
その表情がかつての少年の顔に重なり、靄のかかった記憶が晴れていく。
そうか……。そう、だったのか……。
呆然と、僕は真実を呟く。
「貴方が、あの時の相手だったんですね……」
「そう。君に負けたあの日、私は腸が煮えくり返るくらい怒り狂うと同時に憧れも抱いていたのさ」
「でも、ただそれだけで」
「それだけなはずがあるか。あの時の私は文字通り天狗だった。自分で言うのも何だけど、私には才能があった。そしてお爺様に剣を習うまでもなく自分が最強だと己の力を過信し、剣術で私に勝てる者はいないと、優勝は当たり前だとそう思っていた。でも、君はそんな私に勝った」
先輩の話を聞いて僕は当時の決勝戦の様子を思い出した。
いや、でも、あれは……。
「あの、でも僕は終始先輩に翻弄されていました。今なら分かります。あの時の僕が勝てる可能性はほぼ0に等しかった」
先輩は懐かしむようにククッ、と小さく笑った。
「ああ。君の言う通り、君が私に当てたのは最後の一撃のみだ。何度木剣で叩いても、君は痣だらけのボロボロの体で私に向かってきた。その狂気を孕んだ瞳に私は気圧され、そして痛恨の一撃を貰った」
「あんなもの、ただのまぐれ当たりです」
再現性の欠片も無い。無意味極まりない一撃。
「だがあの時の勝利があったからこそ君は今もなお英雄を目指し、あの時の敗北があったからこそ、私は今もなお君を尊敬している」
「それは……」
確かに、彼女の言う通りかもしれない。
あの時の勝利は、僕に不思議な全能感と夢を与えた。
自身は何者にでもなれるのだと、剣一本さえあればどこまでも未来を切り開いていけるのだと。
「そして君は一月前の模擬戦で、私に一撃を加えた。まるで、あの日の決勝戦の追体験をしているかのようだった」
フィオナも同じようなことを言っていた。
まるで、剣術大会の決勝戦のようだった、と。
「私が君を尊敬していることは、間違いなんかじゃなかった。今でも私は自信を持って言える。君には《才能》がある」
光り輝く満月を背に、彼女はそう言い切った。
初めてその言葉を言われた時、僕は怒りで視界が真っ赤に染まってしまった。
でも今は違う。
怒りどころか喜びが胸の奥底からとめどなく溢れ続けて、僕の視界はじんわりとその境界線を失った。
「ありがとう……、ございます……っ」
クレア先輩にフィオナ、そしてセカイ先生やアルマさんと過ごした日々が、僕の可能性を、《才能》を、切り開いてくれた。
彼女達のおかげで、僕は、僕自身のことを信じられるようになったんだ。
感謝以外の言葉が、見つからなかった。
歯を食いしばり、嗚咽が漏れないようにする。
だが瞳から零れる雨は収まる気配が無く、そんな顔を見られたくなかった僕は俯き続けた。
不意に、ふんわりと暖かな暗闇が僕の全身を包み込んだ。
「よく、頑張ったね」
それは、何に対しての賛辞なのだろうか。
多分、今回の一件でフィオナを護ることができたからだろう。
だが僕はその一言で、今までの全てを肯定されたような気がしていた。
挫折を繰り返し諦めかけていた僕の人生を、彼女は変えてくれた。
僕を救ってくれた彼女に、一体何を返すことができるだろう?
そんな事を考えている間も、彼女は僕の背を優しく撫で続けてくれた。
「あの、先輩……」
耳元で、彼女は優しく囁く。
「ん? 何だい?」
「僕と、闘ってくれませんか?」
先輩は少しびっくりしたようで、ぴったりとくっつけていた身体を放して僕の目を見つめた。
「今からかい?」
「はい。今の僕の現在地を貴方に見ていただきたいんです」
彼女にできる恩返しなど、考えるまでもなかった。
僕自身の可能性を、英雄になるという未来を、彼女に示すこと。
「お願いします」
彼女は一瞬逡巡したが、微笑み、そして頷いた。
「私でよければ、喜んで」
「それじゃあ、武器を取ってきますね!」
僕はグシグシと乱雑に目元を拭って立ち上がった。
そして、家の方へと目を向けると――
「ユー君!」
「うわ!?」
フィオナがこちらへと駆け寄って来ていて、僕の胸へと飛び込んできた。
僕は咄嗟に踏ん張り、彼女のことを強く抱きしめて受け止めた。
彼女の肩は小さく震えていた。
ポス、ポス、と弱弱しい拳が僕の胸に叩きつけられた。
「どうして急にいなくなるのよ……っ! 馬鹿!」
「ご、ごめん」
完全に僕に非があるので申し開きのしようもなかった。
僕は彼女が少しでも早く泣き止むように、その綺麗な蒼髪を撫でた。
そうしていると、何やら刺すような視線と生暖かい視線を同時に感じた。
「どうやら君は天然のタラシのようだね。女性関係に緩いところは尊敬できないなぁ!」
刺すような視線は背後のクレア先輩から。
そして生暖かい視線は前方にいたセカイ先生とアルマさんだった。
「元気そうで安心したよ、ユリウス」
「ご主人は心配しすぎなんですよ。結局この数日一睡もしてないですよね? 大怪我したばかりなんですから少しは大人しくしていてください」
そう言われてセカイ先生の姿をまじまじと観察すると、体の至るところに包帯を巻きつけ松葉杖を付いていた。
「いや寝てたし! 昼間も爆睡だったね!」
「何ですかその子供みたいな照れ隠し……」
彼らのやり取りにほんわかしていると、突然彼らの後ろから、
「「ユリウス!」」
僕の両親がフィオナを抱えた僕ごと抱き着くように包んだ。
二人とも、滝の様に涙を流していた。
あの、寡黙な父さんまで……。
それだけ、心配をかけてしまったのだろう。
「心配かけて、本当にごめん。でも、もう大丈夫。ほら、この通り何の不自由もない」
僕は心配いらないということを伝えるために、両手を広げて五体満足な事を示す。
「クレアとアルマに感謝しろよ。お前の傷を癒やすためにエリクサーの材料を探しに命懸けで魔物倒してきたんだから」
先生はそう言ってアルマさんの頭を撫でた。
撫でられているアルマさんは少し恥ずかしそうにしながらもどこか誇らしげだ。
僕は彼女達の目を見つめ、深く頭を下げて礼を告げた。
「本当に、ありがとうございました」
言葉を尽くして礼を言う事もできただろうが、本当に伝えたいことはただひたすらにその一言のみだった。
クレア先輩はニヒルに笑みを浮かべながら言葉を返してくれた。
「君に死なれる方が困るからね。当然の事をしたまでさ。それに先生も私のお爺様、ここの学院長に頭を下げてエリクサーを作成をお願いしてたんだよ」
「おまっ……。何でそれを?」
先生は知られているつもりが無かったのか狼狽えていた。
「先生が頼ってくれたことが相当嬉しかったようで、お祖父様が酒に酔った勢いで仰ってました」
「あの人は全く……。はぁ……。酒に弱すぎるのが唯一の欠点だな……」
そう呟く先生に対してクレア先輩は不思議そうに首を傾げた。
「そもそもユリウス君は学院の生徒なんですから、先生が頼むまでもなかったと思いますよ?」
「サザランドさんに負担をかけてしまうことは確実だったからな。誠意を示さなきゃいけないと思ったんだよ……」
「……変なとこで意固地なプライド持ってますねぇ」
クレア先輩はやれやれと溜息を吐く。
「フフフ。でも、それがご主人の良いところでもあるんですよ」
アルマさんはセカイ先生のことを愛おしそうに見つめていった。
「な、何だよ急に……っ」
そう言って恥ずかしそうに頬を掻く先生。
「「ごちそうさまです……」」
僕とフィオナ、クレア先輩は砂糖を口にぶち込まれたような気分になってしまい、そう言う他無かった。
不意に、視界の端がキラリと輝いた。
「あ……」
僕は吐息と共にそちらを向いた。
燦然と輝く太陽が建物の間から顔を出し始め、徐々に、闇を払っていった。
僕達は暖かな光を見て、感じて、その両の目を細めた。
日常へと帰還したという事を、生きているという事を、決して離さないように実感しながら。




