44.魔弾の射手
とても、とても長い、一瞬が終わった。
かつてゴブリンシャーマンに殺されかけた僕は走馬灯の末に窮地を切り抜ける術を思いつくことはできなかった。
だが今は違う。
「力が、ある」
誰かを救う力が、心を燃やし尽くすほどに焦がれた、御伽噺の英雄のような力が。
僕はポケットから一つの丸薬を取り出した。
手が震える……。
この薬の副作用がどれほどのものなのか。想像しただけで足がすくんでしまう。
この薬を作ったフィオナが後ろで叫ぶ。
「まさか、それは……っ!? ユー君! それは駄目だよ!」
その静止の声に一瞬襟首を掴まれかけるが、彼女を助ける道はこれしかないと分かっていた。だから――
「フィオナの幸せのために、テメェは、邪魔だ……ッ!!」
――災厄を睨みつけて一息にその劇薬を飲み込んだ。
飲み込んだ瞬間、全身がありとあらゆる不調を絶叫した。
まず初めに、視界がヒビ割れ紅く染まり出した。眼球には血が溜まり、溢れた血液は頬を勢いよく伝った。
いや頬だけではない。全身の血管が膨れ上がり、皮膚の内側が内出血で赤く染まっていく。皮膚の内側に収まりきらない血液が、ぷちゅり、ぷちゅりと皮膚を裂き亀裂を走らせる。
鼓膜が暴走する体内の音をつぶさに拾い集め、眼前の大自然が破壊される爆音を掻き消す。
心臓が暴走したかのような早鐘を鳴らしていた。僕の命を燃料に、無尽蔵に魔力を送り出していく。
その心臓の暴走こそが僕が何より求めた効果だった。
魔力は心臓をポンプとして魔術回路を通っていく。つまり、速く動けば動くほどに大量の魔力を全身に送ることができる。
魔力特性自体で魔力伝達速度が遅い僕が人並みの魔力伝達速度を実現するための唯一の方法。
この状態は長くは保てない。
正直一歩たりとも動けそうにない。
だがこの両腕が、指が動けば、それで十分だ!
なのに――
「震、えが……」
――身体が負荷に耐えられずに、ガタガタと震えた。これではまともに照準を合わせられない。
「ざっけんな……ッ!」
この程度の限界、超えられずして何が英雄だ!?
奥歯をギシリ、と噛み眼前の天災を刺し殺さんばかりに睨めつけた。
この視線の先に、クレア先輩やセカイ先生はいる。
なら僕は、今ここで目の前にある限界を越えなければならない!!
限界の限界の限界のその先へーーッ!!
「あの人達の領域までっ!! 共鳴術式!」
目の前の全てを破壊し尽くす暴力の化身へ精一杯の虚勢を叩きつけ、気力で全身の震えを打ち消す。
詠唱と共に、魔弾に外部術式を付与する。数日で完成させた固有術式の効果は異なる術式の回路を連鎖的に繋ぐ。ただそれだけの魔術。だが魔弾と違って事前に刻む事も停滞で保存することもできなかった。この特殊な魔弾は薄い魔板が何層も折り重なってできているものであり、通常魔弾とは違い事前に型を取って表面に術式を刻んでおけないのだ。だから撃つ直前に直接付与しなければならない関係上、人並みの魔力伝達速度が必要だった。
ドラゴンがその大きな顎を開き、僕とフィオナを飲み込もうとしたその瞬間――
「魔弾の射手!!」
――魔銃の引き金を引いた。
刹那の無音と共に周囲に暴風が吹き荒れた。
魔銃は同時に砕け散り、破片が後方に吹き飛んで行く。
「グッ、ぁ!?」
ゴリッ、と反動で両肩が外れ、全ての指が熱量に耐えられず焼失した。
左腕に至っては後ろに吹き飛ばされかけ、皮一枚で辛うじて繋がっている。
放たれたのは純粋な力の奔流。
限界の臨界点を超越した魔力の塊はドラゴンの全身を包み、そしてーー
「ハァ……、ハァ……」
ーー前方に広がっていた森を地面ごと消失させた。
「、……っ」
僕はがくり、と膝を地面につけた。
そのまま地面へ向けて上半身が落ちていく。
「ユー君!! ア、術式展開! 属性選定・光! 形式選定・回復!」
そんな僕を正面から支えたのは、他でもないフィオナだった。
彼女は焦燥感にまみれた声で、回復魔術を僕に行使した。
「フィ、オ……ナ」
全身を駆け巡る異常な虚脱感で、まともに言葉を発することが出来ない。
トクン、トクン、と波打つ柔らかな鼓動が彼女から僕へと伝播する。
彼女を護れたという何よりの証が、生きているという熱が、じんわりと染み込んでいくようだった。
「どうして……っ! どうしてこんな無茶をしたの!?」
耳元で、彼女はそう叫ぶ。
右肩には、暖かな湿り気が染みていた。
僕は朦朧とする意識の中で、必死に言葉を紡いでいく。
「君が、震えて……、いたから……」
理由はただ、それだけだった。
仮に転んだのが誰であろうとも、僕は助けに入っただろう。
あのままドラゴンに轢き殺されるのを黙って見ていたら、僕の中で決定的に何かが終わる。終わってしまうという確信があった。
「そんな理由で……っ」
そんな理由、などではない。
僕にとっては、何よりも大事な行動理念だった。
御伽噺の英雄は、どんな時でも見捨てることを選ばない。
恐怖に震える人全てに手を差し伸べ、剣を握り、苦難を打ち砕く、そんな姿に僕は憧れた。
だから――
「泣かないで……?」
そんな泣き腫らしたような顔をしないで欲しかった。
小さい頃から一緒にいた彼女。彼女には笑顔が一番似合う。
「う゛ん……っ」
涙を流しながらそう言う彼女に、僕は思わず苦笑すると共に嬉しい気持ちにもなってしまった。
彼女が零す雫が、自身が助かった安堵からではなく、僕の身を案じたが故のモノであると分かってしまったからだ。
であればこそ、僕は心の奥底から助けられて良かったと、そう思った。
確かな満足感と共に、僕の意識は暖かな闇に包まれていった。




