4.魔術講義
講義室中に、チョークのカッカッ、という小気味良い音が響き渡る。
男は黒板に対して魔術式を刻んでいき、やがて一段落ついたのかチョークを置いて此方を振り向いた。
「それではこの魔術式のどこが間違っているのか、そしてこのまま発動すればどのような結果になるのか、誰か分かる者はいるか?」
現代魔術の授業中、灰色の髪の青年は僕達生徒に向けてそう問いかけてきた。
講師の名前はセカイ・イグレシアス。数日前に始まった新年度から配属された学院最年少の教授である。
現代魔術学の教授ではあるものの、筋骨隆々とした肉体は明らかに武闘派そのものであり、冒険者も兼任しているのではないかともっぱら噂になっている。
外国人風の顔立ちは恋に恋する女生徒に大人気で、赴任してから数日という短い期間ながら、密かにファンクラブなんてものもあるらしい。
生徒達は首を捻り、周囲の学友達とヒソヒソと相談しあっていた。だがそれでも答えを得られた生徒はいないようで、誰も手を上げることはなかった。
確かに、教科書の内容とは少し外れているため難易度が高い事は事実だろう。
「はい」
僕は静かに手を上げた。
「ん? 君は確か……」
まだ赴任したばかりの彼は、生徒の名前と顔が一致していないのだろう。困ったような表情を浮かべ、少し言葉に詰まってしまっていた。
彼以外の先生は大抵、僕の顔を見るだけで眉間にしわを寄せる事を考えると何だか新鮮な反応だった。
「ユリウス。ユリウス・ラインフォルトです」
「ユリウス、答えが分かったのか?」
セカイは感心したように笑う。
「恐らくは……ですけど」
僕が自信なさげにそう言うと、周囲のクラスメイトがクスクスと嘲笑を浮かべた。
そして明らかに侮蔑を込めた言葉が僕の耳に入る。と言うか、わざと聞こえるように言っているのだろう。
「学院始まって以来の劣等生が解けるわけねぇだろ。身の程を弁えろよ」
「目立ちたいからって無理しちゃって……みっともない」
「まあまあ、十中八九間違えるんだから、思いっきり笑ってやろうぜ。……ぷっ。駄目だ! 我慢できねぇ!」
その他にも僕を馬鹿にするような声が聞こえてきたが、僕は拳を握り締めてただ黙っていた。
「私語は慎め! ユリウス。壇上まで来なさい」
講師が一喝しざわつく教室内がシン、と静まり返った。
「はい」
短く返事をして、壇上へと登る。
そして、黒板に白いチョークで書かれた魔術式を見つめ、修正箇所を指摘するために赤いチョークを手にとった。
「まず初めに、この魔術式自体が何を意味しているのかですが、これは中級の風属性魔術と水属性魔術式を複合させた氷属性の魔術式です。修正すべき箇所はーー」
言いながら、赤いチョークをカッカッ、と音を立てて走らせる。
「発動する魔術の指向性に関する部分が、反転して描かれています。もしもこのまま発動すれば、魔術は術者に向かって発動するでしょう」
僕がそう言うと、セカイはパチパチと拍手をし始めた。
「正解だ。魔術の複合は術式の煩雑化が付いて回る問題だが、その中でも正確な魔術式を描かなければ本来の性能を発揮する事はできない。魔術の指向性に関する部分は初級の魔術式にも組み込まれているが、初級にも組み込まれているという事はそれだけ重要という事に他ならない。術式を応用する場合でも基礎は疎かにするんじゃないぞ、という事だな。素晴らしい答えだユリウス」
セカイ先生がそう言うと、教室内が不穏な空気に包まれる。
きっと、彼らはこう言いたいのだろう。劣等生の分際で調子に乗るなよと。
その認識は間違っていない。僕は自他ともに認める、学院始まって以来の劣等生なのだから。だがそれがどうした? それで遠慮してしまえば彼らの思う壺だ。それだけは嫌だった。
僕はもう一度赤いチョークを手に取り、再び術式に向き合った。
その行為に、周囲の生徒から怪訝そうな視線と共に無遠慮な言葉が浴びせられる。
「もう問題は解いたんだからさっさと壇上から降りろよ」
「目立ちたいだけでしょう?」
「たまたま正解したからって舞い上がっちゃってんだろ」
僕はそれらの言葉を無視してチョークを走らせ続けた。
セカイ先生はそれを止めることなく、黙って見つめていた。
「水と風の魔術式を複合化したことで煩雑化していますが、風の魔術式に関する部分にやや効率が悪い部分があります。このままでは水と風の魔術の発動時間が微妙にズレていることから複合魔術である氷の魔術発動が1秒ほど遅くなります」
僕は言いながら、赤いチョークで術式の風属性の部分に修正を加えた。修正することで2つの魔術の発動までの時間がピッタリと一致し、発動遅延が消失する。
「よく気付いたな、ユリウス。その仕込みに気づく者がいるとは思わなかった」
先生はそう言いながら先程より大きく拍手した。
その口ぶりから察するに彼はわざとこのような欠陥を術式に組み込んだのだろう。敢えて比較的分かりやすい欠陥を仕込み、その裏で致命的ではない小さな欠陥部分を盛り込んだのだ。実際、後者で修正したのは術式の僅か1小節のみだ。この魔術全体が100小節程の術式で構成されていることを考えればその微妙さが伝わるだろう。
「いえ、たまたまです」
今回たまたま見つけられただけで、百発百中で問題が解けるわけではない。僕はその事実を告げ、赤いチョークをカタリと置いた。
置くのと同時に、学院の中央にある大鐘が鳴り響いた。
講義の終了時間を告げる鐘だ。
「っと、もうこんな時間だったか……。皆もユリウスを見習うように。それじゃあ、今日の講義はここまで」
先生は言いながら教科書や資料をガサガサとまとめ、そそくさと講義室を後にした。
僕も次の講義の準備をするために、自身の席へと戻るべく歩き出した。
するとーー
「調子に乗るなよ、ノロマ」
「知識だけあっても才能が無いんじゃなぁ……」
そこかしこから再び僕に聞こえるような悪口が聞こえてくる。
僕は彼らの言葉を聞きながら、歯をギシリと噛み締めた。ジワリと鉄臭い味が口内に広がり、臭いが鼻腔を刺激した。
言われなくたって、そんな事、僕が一番よく分かってるんだよ……っ!
次の講義は僕にとって一番必要で、尚かつ一番憂鬱な物だった。
講義の時間割表には『魔術実技』と、そう書かれていた。
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