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23.世界か、最愛の人か

 走り込みが終わり、僕は淡い色の空を見上げながら倒れていた。

 もう一歩たりとも動けそうもない。


「ハァ……、ハァ……」


 疲労が全身を駆け巡ってはいたが、確かな充足感も付随していた。


「お疲れ様」


 先生は穏やかな表情を浮かべながらこちらへと近づいてきた。


「ほら、これを飲め」


 先生はそう言って、木でできた水筒を手渡してきた。


「あ、ありがとうございます。でも、身体が動かなくて……」


「それじゃあまずはこれか」


 水筒の代わりに透明な瓶を口に差し出してきた。

 僕は口を開けて流し込まれたそれをコクリコクリと飲んでいく。


「ぷはっ。ありがとうございます」


 ポーションが口から全身に染みわたり、魔力と体力が回復した。

 むくりと起き上がり、改めて先生から水筒を受け取った。

 ゴクリゴクリと水を飲んでいき、一息つく。

 ようやくまともに喋ることができそうだ。口元を乱雑に拭き、文字通りふぅ、と大きく息を吐いた。

 視界の遥か先で、地面を割り大気を爆ぜさせながら二つの影が幾たびも衝突していた。文字通り地形という地形が一瞬のうちに破壊されていた。

 クレア先輩とアルマさんが闘う前は小高い丘だったはずだが、乱雑な岩の塊がゴロゴロと転がる地面に変貌していた。

 今いる座標(レベル)が違いすぎる。

 僕もいつかあそこに辿り着けるのだろうか?


「なあユリウス」


「はい?」


 ぼーっと二人の戦いを眺めていると、先生が話しかけてきた。


「何で、俺なんだ?」


「え?」


 一体、どういう意味だろうか?


「正直俺は何の実績もない若造だ。それこそ、この学院には名だたる教授が沢山いる。俺以上に知識や実績を持った人達ばかりだと思う」



 先生は真剣な眼差しで僕のことを見つめていた。


「君と同年代にはゼオンやクレアだけじゃなく、既にこの国の中枢の魔術騎士に名を連ねる天才だっている。そんな中で、どうして俺なんだ?」

 

 何故……か。

 正直、初めは直感だった。でも今ではその直感が正しかったのだと信じられる。

 僕は慎重に言葉を紡いでいく。


「一目で理解してくれたのは、貴方でした」


「理解?」


「僕の魔銃は最初、誰にも理解してもらえませんでした。完成させるまでに僕は学院中の教授の元に意見を伺いに行きました。でも僕の魔力特性の事を知る彼らはまともに請け合ってはくれませんでした」

 

 先生は黙って続きを促す。僕はポツリポツリと心の内を明かしていく。

 僕は自嘲気味な笑みを浮かべた。


「いや、完成しても変わりませんでした。そうして自暴自棄になって、僕は森にゴブリン討伐に行ってゴブリンシャーマンに殺されかけたんです。……本当に、情けない限りですけど」


「いや、そんなことはないだろ」


 僕はその言葉に目を見開いて彼を見た。


「え? だって、ゴブリンですよ? 最弱の」


 いくらゴブリンシャーマンと言えども、まともな魔術を行使さえできれば後れを取る方が難しい魔物だ。

 僕の言葉に先生は苦笑いを浮かべた。


「そうは言うがな。俺はそのゴブリンに何度か殺されかけてるんだぞ?」


「先生が!?」


 あのクレア先輩を軽くあしらう人がそんな状況に陥るとは僕には到底想像もできなかった。でも、短い付き合いであっても彼がそんなくだらない冗談を言う人ではないことは分かっていた。

 先生は何かを思い出したように、しみじみとした表情で右の拳をぎゅっと握りしめていた。


「ああ。死にかけた俺はある人に助けられた。その日から俺はその人の様に強くなりたいと思うようになったんだ」


「なれましたか?」

「ん?」


「先生は、その人の様に強くなれたんですか?」


 フルフルと首を横に振るった。

 

「いや、全然だ。今でもたまに、その背中を見失ってしまう」


「それは、今の僕にはとても想像もできそうにないですね……」


 遥か先の話だ。いや、そもそも僕の行く先にあるかすら分からない程途方もない距離のある話。


「でも先生の気持ち、良く分かります。僕にとっては、それがクレア先輩なんです」


 その凛とした佇まいに、美しい剣閃に、僕は心の底から憧れた。

 一生かけても僕はクレア先輩達のいる領域には届かないかもしれない。でも、彼女は僕ならば孤高の高みに到れるとそう言ってくれた。

 何にもせずに後悔だけするのは嫌だから、こんな僕を信じてくれたクレア先輩の想いに報いるためにも僕は歩み続けなければならない。


「……もう一つ、聞いても良いか?」


「僕に答えられる事でしたら」


「ただの雑談さ。気軽に答えてくれればそれで十分だ」


 言葉ではそう言ってはいたが、先生の口ぶりは真剣そのものだった。


「君は、もしも最愛の人を犠牲にすることで世界が救われるのだとしたらどうする? 最愛の人を救うか? それとも、世界を救うか?」


 その質問に、一体どんな意味があるのか、正直僕には分からなかった。

 ただ、単なる雑談と言う言葉で片付けてはいけないという事だけは分かった。

 それほどまでに先生の言葉は真に迫っていた。

 僕は、考え、考え抜いた先で――


「どちらも、救います」


 ――両方を救いたいと、そう、心の奥底から思った。

 先生は僕の言葉を聞いて、大きく、大きく、その目を見開いた。

 自分でも、これがふざけた答えだという自覚はあった。先生は僕に二択を迫っていたにもかかわらず、三択目を提示してしまったのだから。

 きっと、彼はこの後怒るに違いない。

 それでも、自身の気持ちに嘘だけはつきたくなかった。


「本気で……言っているのか……?」

 

 彼の声は、僅かに震えているような気がした。

 やはり、怒らせてしまったのかもしれない。

 僕は焦ったように口を開こうとした。だがそれを遮ったのは先生の笑い声だった。


「フフフ……、ハハハハハ!」


「せ、先生……?」


 恐る恐る声をかけたが、先生はこれ以上におかしいことなんてないとでも言うように、両手を腰に当て空を見上げながら高らかに笑い続けた。

 やがて波が過ぎ去ったのか静かに笑い声を抑えて目じりを軽く拭っていた。


「笑って悪いな……。ただ、その通りだ。どっちも救う……。そりゃそうだ。何でそんな簡単なことを俺は……」


「先生は元々、どっちを選んでいたんですか?」


 僕がそう尋ねると、彼はハッ、と自嘲気味に笑い、だが迷いなくハッキリと――


「最愛の人さ」


 そう、言い切った。

 その言葉を発した瞬間、ほんの少し瞳が揺れ動いた。


「――――」


 僕は咄嗟にこの質問が実際にあったことなのか聞こうとしたが、口から声が発せられることはなかった。

 聞くまでもない。聞くまでもなく、伝わってきてしまった。

 彼はきっと過去に、この最悪の二択を迫られたのだろう。

 その選択を、覚悟を、僕が推し量ろうとするのはおこがましいだろう。

 僕はそれ以上追及しようとはせず、ただひたすらに、黙り続けた。


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