22.覚悟
「そんじゃアルマ。頼む」
「ほいほい」
彼女はそう言って返事してセカイ先生から離れた。
そうして虚空に手をかざして理解不可能な程に密に描かれた魔術式が一瞬で出現する。
「な、んだよこれ……」
たった一つの行動だけで、自身との差を実感する。常識の埒外ともいえる行為に、ここにいる人達は僕以外眉一つ動かしていなかった。
術式と言うのは密に描くためにはそれだけ細かな魔力出力が求められる。僕も魔力の出力コントロール自体は不得手ではないため、刺繍の糸程度の細さの魔力は出力できる(速度は絶望的だが)。だが彼女のそれは蜘蛛の糸よりもさらに細い。そしてそれが理解できない程の密度となってもはや漆黒の円にすら見える。
そうして織りなされた魔術式が発動した末に、目の前の空間が歪んだ。
つい昨日僕が入った黒い穴だ。
セカイ先生が先陣を切って入り、僕たちはそれに続いた。
くぐった先にあったのはやはり不毛な大地だった。
赤褐色の土が視界一面に広がり、地平の先の先まで命の気配がしない世界。
一体ここはどこなのだろうか?
「それじゃあ、お前らはあの辺で闘ってもらって良いか?」
彼はそう言って地平の向こうにある少し小高い丘を指した。
「「はい」」
彼女達は素直に返事した後、クレア先輩は地面を勢いよく抉って瞬間移動と見紛うほどの速度で移動し、アルマさんは一瞬でその姿を消して指定された場所に突如出現した。
遠すぎて彼女たちの声は聞こえないが何やらまた言い争いをしているようだ。
「よし。俺達も始めるか」
彼は、腰に付けている小さな袋を漁り始めた。
そして袋の中から取り出したのはーー
「何ですかそれ?」
ーー何やら長方形の金属が幾つも付いた装備品だった。
と言うか、大きさ的に明らかに袋の容積に収まるような物ではなかった。
もしかしなくても、先生が持つ袋にも空間魔術が込められているのだろう。存在がばれてしまえば一大事になること間違いなしだ。
「そんな心配そうな顔をするなよ。人前では基本的に怪しまれないようにコートに隠してその裏で使ってるし、硬貨と小物しか取り出さないようにしてるから」
「はい。ところで、それは一体なんですか?」
「手を出してみろ」
「? はい」
疑問に思いながらも素直に両手を差し出した。
「身体強化して受け止めろよ?」
「え? んなぁ!?」
反射的に身体強化したその瞬間、先生がぱっと手放した物体を両手で受け取った。
重っ!? 何でできてんだこれ!?
両足が地面にめり込み、余りの重さに両足が生まれたての小鹿のようにプルプルと揺れていた。
「せ、先生。これは一体?」
「持って見て分かる通り、重りだな」
「そ、それは分かるのですが、これをどうするのですか?」
「端的に言えば、今日から始めるのは走り込みだな」
僕はそれを聞いて、さっと血の気が引いた。
「まさか、これを付けて走るのですか?」
僕がそう聞くと、彼はん~、と顎に手を当てて少し考えこんだ。
「そのつもりだったんだが、流石に重すぎるか。ちょっと貸してみろ」
先生はそう言って、僕の手から重りを何個も取って自身の両手、両足に何個もパチパチと巻いて付けていく。その数は12にもなる。
そうして僕の手に残されたのは2個の重りだけだった。
2個だけでも普通に小麦の大袋くらいの重さはありそうだ。
「取り敢えず、両足にそれを巻いた状態で走るか。あ、魔力強化はして良いからな」
先生はそう言って、体をグッグッと解していく。
「先生も一緒に走るんですか?」
その問いに、先生はきょとんとした表情を浮かべる。
「そりゃそうだろ。教える立場なのに俺がやらないでどうするんだよ?」
そういう、ものなのだろうか?
先生はそのすぐ後に、少年の悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「ま、それは建前で。少しは身体を動かさないと感覚が鈍るからな。ほら、準備運動が済んだらやるぞ」
「は、はい!」
そうして準備運動をして僕は先生の後をついて行くように走り出した。
そしてすぐに、いとも簡単に走る彼の姿に疑問を抱いた。
先ほど僕は、重りを支えただけで両足がめり込んだ。重りを減らした今でも僕の足元は一歩踏み出すごとに僅かに沈み込んでいる。だというのに彼の足元は一切そういった様子は見られなかった。
「まさか……」
僕は一つの可能性に思い当たり、彼の魔力の流れを冷静に観察していく。
……やはり、先生はーー。
彼は一歩踏み込むごとに地面の魔力強化をして地面が沈まないようにしているようだった。
口で言うのは簡単だが、足が触れた瞬間その箇所だけ正確に強化を施すというのは常人では不可能な魔力コントロールが必要のはずだ。
しかも、やはりというか先生は自信の肉体に魔力強化を施していなかった。
その状態でも魔力強化をした僕以上の身体能力を有しているのだから、質の悪い冗談みたいだ……。
僕は必死になって彼の後を追い続けた。
◇◇◇◇
数十分後、僕は地面に両手と両足を付いて地面に項垂れていた。
情けなく這いつくばる僕の背に、セカイ先生の冷たい声色がぶつけられる。
「どうした? 誰が休憩して良いなんて言った?」
「……ゼッ! ハァッ! ……ハァッ!」
酸素が、足りない。
たかが走り込みだと侮っていた。
口から必死に周囲の空気をかき集めていく。まともに返事を返すこともできない。
「なあ答えろよ」
「す……、すいま……、せん」
言いながら、よろよろと起き上がる。
口からは荒い吐息ばかりが漏れる。
「よし、続けるぞ」
そう言って再び走り出す。
だがそのペースが尋常ではない。
正直、僕の全速力とほぼ同じペースだ。
いくら身体強化をしていると言ってもスタミナには限度がある。
「ゼェッ! ゼェッ! ……っ! あ!」
息をきらして走り、視野が狭くなっていくことを自覚したその瞬間地面に躓き転ぶ。
疲労から受け身を取ることができずに顔から地面に突っ込んだ。
ザラザラとした赤土が頬を僅かに削った。
前方を走っていた先生が再び立ち止まり、こちらへと歩いてくるのが音で分かった。
「なあ? 君が英雄になりたいって言うのは嘘だったのか?」
その声音にはどこか落胆が孕んでいた。
僕はギシリと歯を食いしばりながら声を絞り出す。
「嘘じゃ……ありません……っ」
「じゃあ立てよ」
分かっている。この程度の疲労。何でもないはずだ。
頭では分かっている。でも、それでも、まともに身体を動かせる気がしなかった。
「君が目指す英雄ってのは、こうして地面に這いつくばるのが似合う奴なのか?」
「違う……っ」
先生がわざと煽るようなことを言っていることは理解できている。だがそれでも、僕は次第に冷静さを失い、口調が崩れていった。
「なら何で立たない? 理想があるなら最低限の姿勢を見せてみろよ」
「く……っ」
「もし君がこれ以上は無理だというなら、自分で自分に言い聞かせてやってくれよ。僕に英雄になる資格はないってな」
その言葉を聞き、僕はくらくらする程に血が頭に昇った。
だが皮肉にもその怒りが、その激情が、僕の体を突き動かした。
尚も身体は限界を訴え続けているが、それを無視して立ち上がる。
精一杯の虚勢を貼り付け、僕は先生を睨みつけて答える。
「僕は、絶対に……! 英雄になるんだっ!」
そう言いきった僕に対して、先生はニヤリとした笑みを浮かべた。
「立てたな。それじゃ続けるか」
僕はその後数十分間、気力のみで走り続けた。




