1.僕は、何の才能もない凡夫だった
「ハァ……ッ! ハァ……ッ!」
荒い吐息を吐き出しながら、僕、ユリウス・ラインフォルトは住んでいる街の近隣にある森を駆けていた。栗色の髪が夜風になびく。
僕は、僕はまだやれる……っ。
学院始まって以来の劣等生。
グラディノス帝国魔術魔導学院に入学したその日から、僕はそう呼ばれ続けていた。
ギシリと歯を食いしばり、心の奥底からへばりつくようなどす黒い感情が零れ落ちてくる。
「うるせぇ……っ!」
普段使わないような荒々しい口調で、前方に対して右手に持つ魔銃を撃ち放つ。
パァン! と軽い音を立てて射出された弾丸は、緑色の皮膚を持つ魔物、ゴブリンの左脇腹を撃ち抜いた。
「ゴブゥ!?」
しかしたかが鉛球一発では命を刈り取ることはできなかった。
ゴブリンは苦悶の声を上げながら、僕の存在を認識したようだ。
撃ち抜かれた脇腹から血を滴らせながら錆びた鈍らを僕に対して振るってくる。
疲労した僕の肉体では逃げ続けるのは不可能だと判断し、腰に携えていたナイフを左手に逆手で構えた。
「ゴブ!」
気合いと共に敵は錆びた剣を縦に振り下ろしてきた。
「グッ!」
それを右手の魔銃の側面で受け止めた。ギィン! と鈍い音が空気を振動させた。
武器を受け止めたことで敵の体は一瞬無防備になった。
今しか、ない。
「嗚呼ァ!」
声帯からうめき声を撒き散らしながら、僕は左手のナイフを敵の顔面に全力で突き立てた。
「ゴ……ッ!?」
断末魔など上げさせない。僕は突き刺したナイフを抜いて即座に喉笛を切り裂く。
敵から大量の血が吹き出し、白を基調とした学院の制服を朱く染めていく。
ゴブリンは大量の出血によるショックでガクガクと両足を震わせた後に地面に背中から倒れた。
「クソ! クソが!」
僕は死んだゴブリンに馬乗りになり、何度も、何度も、何度も、ナイフを突き刺していく。
分かっている。これは、ただの八つ当たりでしかないという事は。
己の矮小さを認められず、より矮小な存在を殺すことでしか自己を認識できそうになかったのだ。
「ハハハ……。アハハハハハ!」
ただそれでも、脳内を満たす偽りの多幸感から、僕は高らかに笑い声を上げた。
傍から見れば精神がイカれた異常者かもしれない。魔物の潜む夜の森で笑い声を上げるなど愚行以外の何物でもないだろう。だがそんなことは今の僕には考えられなかった。
「これで10匹……。まだ……まだだ……。僕はもっとやれる……」
亡者のようにユラリと立ち上がり、次の獲物を探すために周囲を見渡した。
魔力強化により強化された眼球は、夜の森でも事細かな情報を脳内に送り届けていた。
視界の端に再び緑色の肌が写った。またゴブリンだ。
僕は勝利を確信し口角を醜く歪めた。
僕は敵に対して銃口を向けて構えた。今度はこの魔銃で一撃で仕留めてやる。魔力を扱う魔物や人族には無力なこの魔銃も、魔力を扱うことが出来ないゴブリンには有効だ。
ゴブリンに向かって、僕は魔銃を撃った。
軽い音を立てて射出された弾丸は敵に吸い込まれるように向かい、そして――
「なっ!?」
「ゴブ?」
――突如虚空に現れた魔術式と炎の矢により、あっさりと、いとも簡単に迎撃された。
まさか、この敵は!
僕の動揺と同時に、明々白々とした答えが示された。
「ゴブゥ!」
ゴブリンシャーマンはどこかで拾ったようなボロボロの杖を天に掲げ、三つの魔術式と共に炎の矢が形成された。
通常のゴブリンは魔力を持つことはないが、進化したこいつは違う。魔力や魔術を使うことのできるゴブリンシャーマンと呼ばれる個体だった。
「この! 糞ゴミが!」
口から汚い悪態が出るが、そんなもの糞の役にも立ちはしない。
必死になって飛来してくる炎の矢を避けるが、避けた先にも炎の矢が放たれる。
ジュウ、と嫌な音を立てて足のくるぶしが焼かれた。
「グゥッ!」
歯を食いしばり、その痛みに耐える。このままでは、駄目だ。相手の魔力切れを待つという選択肢も無くはないだろが、他の魔物が襲ってこないという保障はない。
ならば、立ち向かわなくてはならない。
僕は魔銃を構えて数発の魔弾を放つ。込められた属性は水。相手の炎の矢を迎撃するように衝突する。
しかし――
「っ! 駄目か……ッ」
――案の定、僕の貧弱な魔力弾は相手の魔術をかき消すことは出来ず、僅かにその威力を弱める程度しか出来なかった。
脇に転がるように矢を回避し、敵の姿を見失わないように即座に顔を上げた。
こうなってはもう、敵に接近してこのナイフを直接急所を突き刺すしかない。
僕は地面を全力で蹴り、敵へと疾駆する。
「ゴブ!?」
僅かに驚いたような声を上げた敵は、再び炎の矢を幾つも形成した。
「馬鹿の一つ覚えか」
そう呟き、僕は炎の矢をギリギリまで引き寄せて回避した。
人族が使う魔術であれば、魔術の指向性を固定せずに術者の意思が介在する余地を与えるが、奴の魔術式には直進する指向性しか記されてはいなかった。
つまり、奴が魔術を射出した後であればかわすのは容易い。
僕は地面を駆け抜け、ゴブリンシャーマンへと肉薄する。
「ハア!」
気合と共に、ナイフを喉笛をひっかくように横薙ぎに振るった。
敵は焦りながら後ろへと後退するが、もう遅い。
ナイフは敵の喉に迫り、僕は勝利を確信した。
その、刹那――
「!?」
――パキン、と軽い音を立ててナイフが根元からへし折れた。
何故!?
困惑と共に、僕の動きが一瞬止まる。その隙を、敵は見逃してはくれなかった。
腹部に、ボロボロの杖が叩きつけられた。
「ウ゛ッ!?」
予想外の衝撃と共に、僕の体は森の地面を転がった。
体のあちこちが地面に打ち付けられるが、勢いは殆ど衰えずに僕の体は飛ばされていく。
「グッ! ゴホッ!」
森に生える樹に背中からぶつかり、ようやく僕の体は止まった。
今の衝撃は明らかにゴブリンの筋肉量から生み出されるようなものではない。
考えられる要因は、ただ一つ。
僕は憎々し気に目の前の敵を睨みつけた。
「強化魔術……ッ。僕を見て、学習したのか……」
身体強化された肉体に、強化されていないナイフの刃が通るわけもない。
「ゴブゴブゴブゴブ!」
奴は俺を見て嗤っていた。下卑た瞳に写っているのは、明確な嘲りだ。
無意識に奥歯を噛みしめると、不快な鉄の味が舌を刺激した。
「ゴブリンの方が、僕よりも才能があるっていうのかよぉ!!」
煮えたぎるような怒りで、臓腑が焼け落ちてしまいそうになる。
僕は『停滞』という魔力そのものが持つ特性のせいで、身体強化以外の魔術が上手く扱えなかった。魔力を体外に放出すると、途端に魔力の流れが『停滞』してしまうのだ。
つまり、僕には術式を用いた魔術も、物質に魔力を流すことで行う魔力強化も満足に行うことができなかった。
対して敵はどうだ。
初級とは言え属性魔術と強化魔術をも自在に使いこなしていた。
誰の目から見ても明白だ。僕よりも、こいつは才覚がある。
「どうして……っ! 何でだよぉ……っ!」
醜い嫉妬の心を隠そうともせず、僕は敵に突貫する。心の奥底に残っている冷静な心が、無謀なこの行動を止めようとしていた。
だがもう、その僅かに残った冷静さすらもヘドロのような黒い感情は飲み込んでいく。
「ゴブゴブゴブゴブ」
奴は、尚も嗤う。
愚鈍な人間だと、そう言いたいのだろう。
奴は逃げることも先程のように魔術を放つ事もせずに、僕が向かってくるのを観察し続けていた。
完全に、舐め腐りやがって……っ。
ゴブリンシャーマンの目の前まで迫った僕は、その小さな体躯を思いきり蹴り飛ばしてやろうと右脚を振るった。
「ゴブ!」
奴は待ってましたと言わんばかりに、僕の右脚を全身で受け止めて動きを封じてきた。
「クソ! 離せよ! この!」
必死になって敵を剥がそうとし、ガンガンと頭を殴りつけるが決して捉えた脚を離そうとはしない。
それどころかーー
「ゴブゥ……」
ーーニタリと、下卑た笑みを浮かべていた。
その笑みに気付いたときには、もう手遅れだった。
僕の頭上に浮かび上がる複数の魔術式。
直進するだけとは言え、この至近距離では回避も、防御もままならない。
「待ーー」
人間の、ましてや敵対者の静止など聞くはずもない。
一切の容赦が介在しない攻撃を、僕は全身に浴びた。
「ガッ、嗚呼アァアアァッ!」
炎の矢が直撃し、学院の制服が燃え上がる。特殊素材でできている魔術学院の制服はそう簡単に燃え尽きてしまうようなものではない。
しかし魔術の影響を受けにくいというだけで、これだけ至近距離で魔術を浴びてしまえば、行き過ぎた熱による激痛が僕の神経という神経を嬲り尽くした
叫び声を上げた僕はそのまま地面を無様に転がった。
心を埋め尽くすのは後悔と無様な生存本能のみだった。
「ゴブゴブゴブ!」
奴は無様に地面を転がって火を消そうとする僕を奴は嘲笑っていた。
「……ぅ、…………ぁ」
体中を駆け巡っていた炎が消えた頃には、僕は既に虫の息となっていた。
特に背中は完全に皮膚が焼け焦げ、ズグン、ズグンとした鈍痛を訴えていた。
心の内を焦がす程の怒りは今も燃え盛っていたが、身体が、動かない。動いては、くれなかった。
「クソ……ッ! クソォ!」
視界が、歪む。
己の無価値さを、無意味さを骨の髄まで思い知らされ、眼球から涙がとめどなく溢れだした。
『英雄』に、なりたかった。
この世界で苦しむ人々を一人残らず救えるような、そんな御伽噺のような『英雄』に。
だが夢は、夢でしかない。現実には決してなりえないのだ。
非才の身で分不相応な夢を抱いた結末がこれだ。
『英雄』などとは程遠い無様な『凡夫』。それが僕だった。
歪んだ視界の先にいる敵を憎々し気に睨みつけるが、勝利を確信している奴は下卑た笑みを浮かべていた。
「ゴブ」
死ね、とでも言うように一言発し、杖を掲げるゴブリン。
もう魔力の残量を気にする必要もないのだろう。眼前には10を超える術式が展開された。普通のゴブリンでは到底到達できない程の才能を奴は見せつけてきた。
それを僕は睨みつける事しかできない。
自身の死期が刻一刻と迫ってくるのを、僕は傍観するしかなかった。
視界一面を炎の矢が埋め尽くすのを見ながら、僕の脳内にこれまでの記憶、いわゆる走馬灯が流れた。
もし面白ければ下の評価の☆を5つ、つまらなければ☆を1つ、正直な意見をお願いします!
ブックマークしていただけるとモチベが上がります!