1冊目 『トイレの花子さんの生態』 その2
家に帰るつくまでの間、さらには家に帰りついてからも、俊介はさっき聞こえた声が気になってしかたありませんでした
――なんだったんだろう、あの声は。美緒ちゃんの声じゃなかったし。まさか、もしかして美緒ちゃん、本当に女の子の声を聞いたんじゃないのか。でも、あそこで本当のことをいうと、ぼくが怖がるからって、うそをついたんじゃ――
美緒のこわばった顔を思い出して、俊介は情けなさで胸がいっぱいになりました。はぁーっと大きなため息をついて、頭をかかえます。
「ぼくのバカバカ! いつも美緒ちゃんに心配かけて、かっこ悪いとこばかり見せて。美緒ちゃんといっしょに仕事できるからって、図書委員になったのに。これじゃあ嫌われるばっかりだよ」
俊介はもう一度、胸につまったもやもやをはきだすようにため息をつきました。けれども、もやもやは胸の中でふくらむばかりです。
「こんなときは、本でも読んで気分転換しよう」
本を借りてきたことを思い出して、俊介はランドセルに手をつっこみました。とたんに手に、バチッと電流が走ったのです。
「イタッ!」
「ちょっと、汚い手でさわらないで下さる?」
いきなり知らない女の子の声がしたので、俊介はわぁっと情けない声をあげました。
「なあに、今の声。男のくせにそんな女の子みたいな声出して。恥ずかしいと思わないのかしら」
こばかにしたような口調です。俊介は部屋の中を急いで見わたしました。
「だれだよ、いったいどこにいるんだ!」
せいいっぱい声を張りあげたつもりでしたが、俊介の口からは、おびえた弱々しい声しか出てきませんでした。再び女の子が俊介に語りかけてきました。
「どこにいるっていうか、早く出してもらいたいんだけど。この中、すっごくせまくて、きゅうくつなのよ」
どうやら女の子の声は、俊介のランドセルの中からするようです。俊介はこわごわ、ランドセルの中をのぞきこみました。
「まさか……」
俊介は美緒に話した怪談のことを思い出して、ランドセルを持ったまま固まってしまいました。
「ねえ、聞いてる? 早く出してっていってるでしょ!」
女の子の声に、俊介は思わずランドセルを放り投げてしまいました。ランドセルの中から、黒い背表紙の本が飛び出ました。不思議なことに、本の背表紙は真っ黒に塗りつぶされていて、題名などはなにも書かれていません。少なくともその本は、俊介が読もうとしていたファンタジー小説ではありませんでした。
「どういうことだよ、こんな本、ぼく借りてないぞ」
すると、本が黒いもやのようなものに包まれたのです。
「うひゃあっ!」
あとずさりする俊介の目の前で、黒いもやがだんだんと形を変えていきました。そしてついに、もやが人間の女の子になってしまったのです。おかっぱ頭に、赤い吊りスカートをはいています。肩にはたぬきのかわいらしいぬいぐるみがついた、赤い肩掛けかばんを引っかけています。女の子はくりっとした目で、半透明の自分のすがたを見まわしました。手足をぶらぶらさせながら、女の子は小さくため息をつきました。
「やっぱりうすいわね。まあいいわ」
俊介と同じくらいの背たけの女の子は、しりもちをついている俊介を見おろし、ふふんと鼻を鳴らしました。
「あーあ、ようやく出られたわ。それにしても、こんな弱虫にとりついちゃうなんて、なんだか拍子抜けだわ。まあ、からかいがいがありそうだから、別にいいけどね」
「だ、だ、だ、だれなんだ、君は?」
うわずった声で聞く俊介を、女の子は面白そうに見つめました。
「さあ、だれかしらね。でも、だれかはわからなくても、なにかはわかるんじゃないの」
なにがなんだかわからずに、俊介はぽかんとしています。女の子は手をからだの前にたらして、ニタァッと不気味な笑みをうかべました。
「なにって、いったいなんなんだよ」
「なんなんだよって、もちろんわたしは、お・ば・け・よ」
「う……うわあぁぁっ!」
悲鳴をあげて部屋から逃げ出そうと、ドアノブをがちゃがちゃやりますが、ドアはびくともしませんでした。パニックになって俊介はドアをバンバンたたきます。
「ムダよムダムダ。わたしの力で、この部屋からは出られないようにしちゃったもん。もちろん、どれだけ悲鳴をあげたって、外には全然聞こえないしね」
にやにや笑いを隠そうともせずに、女の子はじりじりと俊介に近づいてきます。
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくを、ど、ど、ど、どうしようっていうんだ?」
つっかえながら聞く俊介に、女の子はうふふふと不気味な笑い声をあげました。
「どうしちゃうのかしらねぇ。外にも逃げられないし、助けも呼べないわねぇ。絶体絶命よねぇ。さあ、どうなっちゃうのかしら」
心底楽しそうに女の子がいいます。まるで赤ちゃんにしゃべりかけるような口調で、完全に俊介をバカにしています。俊介はカーッとなってしまいました。
「なんなんだよ、お前! さっきからぼくのことバカにして! ゆうれいだからって、ぼ、ぼくは、ぼくは、怖くなんか……」
女の子が、スーッと宙に浮かびあがりました。俊介よりも少しだけ高い位置まで浮かんで、そこから俊介を見おろします。目があうと、黒いひとみの奥にうす青い光がともっているのがよくわかりました。ゆらゆらとゆれて、まるで鬼火のように見えます。白くすきとおった手が、ゆっくりと俊介に近づいてきました。向こう側の景色が見えそうな半透明の手を見れば、女の子がゆうれいだということをいやでも理解させられます。頭にのぼった血が一気に引いていき、俊介はガタガタとふるえはじめました。
「どうしたの? さっきまで威勢がよかったのに、そんなにふるえちゃって。わたしが怖いの?」
近づいてくる手を払いのけることもできずに、俊介はただただ女の子の目だけを見つめていました。女の子の半透明の手が、俊介のほおに触れました。まるで氷で触れられたかのような冷たさに、俊介はびくんっとからだをふるわせました。
「ふふ、それでいいのよ。やっぱり思ったとおり、からかいがいがありそうだわ。本当はすぐにでもたましいを吸って、力をたくわえようと思ってたんだけど、気が変わったわ」
たましいを吸われると聞いて、俊介がびくりと女の子を見あげました。すがるような表情の俊介を、女の子は満足そうに見つめました。
「そうそう、その顔。なんだか楽しくなってきちゃった。わたしは花子っていうの。あなたたち人間には、トイレの花子さんとして有名かしらね」
「トイレの? でも、ここトイレじゃ」
じろっとにらみつけると、俊介はすぐに口をつぐんでしまいます。あはっと笑って花子は続けました。
「そうよ。今はトイレじゃなくて、あの本の中に封印されているの。『魔界図書館』の本としてね」
「『魔界図書館』って、まさか……じゃあ、あのうわさは、本当だったんだ」
花子は首をかしげました。くりくりっとした目で、俊介を上目づかいに見つめました。大きな黒いひとみの奥は、うす青い光が燃えるようにともっています。
「うわさってなによ?」
花子が顔を近づけてくるので、俊介はぎゅっと目をつぶって顔をそむけました。花子はそのまま、俊介の耳元で小声でささやきました。
「まあいいわ。あなたにはたっぷり恐怖を味わってもらって、最後にはわたしにたましいを吸われてもらうわよ。知ってるかしら、人間のたましいって、怖がれば怖がるだけおいしくなるの。あなたたち人間が料理するように、あなたのたましいもわたしがおいしーく、味付けしてあげるわね」
そうして花子が、俊介におそいかかったそのとき……。




