1冊目 『トイレの花子さんの生態』 その1
「それでね、その魔界にある図書館の本を、運悪く人間が借りてしまうことがあるって。そしたらどうなると思う? ぼくたちが読むような怖い話の何倍も、怖い思いをすることになっちゃうんだって。ね、怖いけど、面白いうわさでしょ、美緒ちゃん」
放課後、図書委員の仕事で本の片づけをしていた松田俊介が、となりの女の子に熱心に話しかけています。美緒と呼ばれた、パステルブルーのワンピースを着た女の子は、面白そうに話を聞いています。図書館には図書委員である二人だけが残っていていました。いつもは話し声がしたら注意する二人ですが、だれもいないこの時間はぞんぶんにおしゃべりすることができるのです。
「でも、どうせそれも怪談の一種でしょ。俊介君、もう六年生なのに、そんな話を信じてるの?」
俊介の話が一通り終わると、池山美緒が、破れた本をテープで器用に補修しながらくすっと笑います。ピンク色のシュシュでサイドポニーにまとめた長い髪が、いたずらっぽくゆれました。
「俊介君って、怖がりなのにそういう話が好きなんだね」
あきれたように美緒から見られて、俊介はあわてて首をふりました。
「えっ、違うよ、ぼくは怖がりなんかじゃないよ」
むきになる俊介を、美緒は面白そうに見ていますが、やがて無表情でつぶやきました。
「あっ」
美緒はじっと、俊介のうしろを見つめています。俊介もそれに気づいたのでしょう、ひきつった笑顔をうかべて美緒にいいます。
「ちょっと、驚かせようとしても、そんなのには引っかからないよ。美緒ちゃんだって、六年生なのにそんな引っかけは……」
美緒はだまったままでした。ぱっちりした目を、いつもよりもっと見開いて、俊介のうしろをにらみつけています。
「うそでしょ、ねえ、うそだよね」
俊介がおそるおそるうしろを振り返ったときでした。
「きゃあーっ!」
「うわわわあぁっ!」
情けない悲鳴をあげて、俊介はその場でしりもちをついてしまったのです。気がつけば美緒がお腹をかかえて笑っていました。
「ひどいよ、やっぱりうそだったんじゃないか」
「だ、だって、アハハ、だってぇ」
笑いすぎて、うまくしゃべれないのでしょう、美緒はひとしきり笑ったあと、息を整えてから俊介を見ました。
「ほら、やっぱり怖がりじゃない。俊介君って、頼りないのね」
「違うよ、ぼくは」
しりもちをついたまま、俊介は口をパクパクさせていました。美緒は補修を終えた本を棚に直してから、ちらっと舌を出しました。
「ごめんごめん、ちょっとからかいすぎちゃったね。俊介君って怖がりだから、ちょっとからかいたくなっちゃうんだ」
もそもそと起き上がると、俊介は恥ずかしさのあまりうつむいてしまいました。ぼそぼそと小さな声でつぶやきます。
「だって、あんなことされたら、だれだってビックリするじゃんか」
「あら、六年生だったら、あんな引っかけには引っかからないんじゃなかったの?」
美緒がまた笑い、俊介の顔が耳まで真っ赤になります。しおれたように肩を落とす俊介を見て、美緒がようやく笑うのをやめました。少しバツの悪そうな顔をして、俊介にすまなそうにあやまりました。
「ごめんね、ちょっとやりすぎちゃった。あっ、もうこんな時間。本の片付けも終わったし、帰りましょ」
俊介を元気づけようと思ったのでしょうか、美緒が明るい声でいいました。しかし、俊介はみじめな気持ちでうなずくだけでした。
――はぁ、美緒ちゃんに、頼りないっていわれちゃった――
ランドセルをせおって、図書室を出ようとするとき、俊介はあっと声をあげました。
「そうだった、ぼく本借りたの忘れてた。ちょっと待ってて」
図書室のカウンターに、俊介が好きなファンタジー小説を、置き忘れていたのです。図書委員の特権で、人気の本は一番に予約できるのですが、忘れて帰ってしまっては読むことができません。俊介はすぐにカウンターに戻りました。
「電気消さないでね」
「あわてないで大丈夫よ、そこまでいじわるしないわ」
美緒の元気づけるような声が聞こえてきます。でも、だれもいない図書室は、明かりがついていてもやはり気味が悪く感じます。なによりさっき話していた怪談は、図書室の話なのです。ランドセルをおろして、俊介はカウンターをのぞきこみました。
「確か、背表紙が黒かったはず。あ、これだ、この本だ」
目的の本は、まだラベル貼りをしていない本にまぎれて、置いてありました。俊介は黒い背表紙の本をつかみ、そのままランドセルに直します。
「ごめんね、すぐ行くよ」
ランドセルをせおい、俊介は急いで美緒のいる入り口へ戻りました。本を入れたからか、なんだかいつもよりランドセルが重く感じます。
「ありがとう、じゃあ帰ろう」
美緒にお礼をいう俊介でしたが、美緒は難しい顔をして、図書室の中を見ています。
「もう、さすがに二度は引っかからないよ」
俊介がすねたようにいいましたが、美緒は首をかしげて聞き返してきました。
「違うわ、今度は引っかけようとしてるんじゃないの。ねえ、俊介君、今誰か、女の子の声がしなかった?」
俊介の顔が青ざめます。美緒もそれに気づいたのか、あわてて首をふりました。
「なーんて、じょうだんよ。ごめんね、何度も。さ、帰りましょ」
まるでせかすようにいうと、美緒が俊介の手をにぎったのです。手をにぎられるなんて、低学年のころ以来だったので、俊介はどぎまぎして美緒を見ました。しかし、美緒はこわばった顔をして、ぐいぐい手を引っぱってきます。手のひらも少し汗ばんでいるようです。
「美緒ちゃん?」
美緒は答えずに、なかば小走りになって、下駄箱までたどりつきました。うわばきを急いではきかえると、美緒はふうっと大きく息をつきました。
「いったいどうしたの? もしかして」
「ううん、大丈夫。わたし今日早く帰ってくるように、親にいわれてたの忘れてたの。ごめんねせかしちゃって」
そういって美緒はぎこちなく笑いました。俊介がうわばきをはきかえると、すぐにまた手をつかんで、せかすように引っぱりました。
「どうしたの、美緒ちゃん。なんだか変だよ」
「別に普通よ。ほら、早く行きましょ。お母さんに怒られちゃうわ」
強引に美緒に引っぱられながらも、俊介は確かに聞きました。耳元で、小さな女の子の声がしたのを。
「ふふ、残念。もうとりついちゃったわよ」




