0冊目 ~魔界図書館で鬼ごっこ~
「おーにさーん、こーちら、手ーのなーる、ほーうへー」
うす暗い通路の向こうがわから、からかうような女の子の声が聞こえます。その声を追って、背の低い女の子がよろよろと歩いていきます。小学一年生くらいでしょうか。だぼだぼの黒いエプロンドレスを着て、長い髪の毛を紫色のヘアバンドで留めています。女の子は、ひぃひぃいいながらかすれた声をあげました。
「ねえ、ちょっと、待ちなさいよ、花音!」
「やーだよーだ! 里音お姉ちゃんこそ、早くあたしのことつかまえてよ」
ハァハァと肩で息をしながら、里音と呼ばれた背の低い女の子がいいかえしました。
「あんた、いくら開かずの間にずっと閉じこめられてたからって、さすがにはしゃぎすぎよ。それに、せっかくきれいに並べてたのに、こんなにめちゃくちゃにして」
通路の両側には、古めかしい本がところせましと並んでいました。どの本の背表紙も、陰気臭くておどろおどろしい感じがします。まるで血しぶきがかかったかのように、赤いしみがたくさんついていたり、ぼんやりと光をはなっていたり、深緑色のコケが生えているものまであります。しかし、花音が逃げるときにぶつかったのでしょうか、本がばらばらと床にちらばっています。
「片づけるのはわたしなのに」
床にちらばった、オオカミの絵が描かれた本をひろいあげようとして、里音はひょいっと手を引っこめました。里音の手があったところに、本が開いてバクンッとかみついてきたのです。里音は挑発するように、右手をひらひらと動かしました。またも本がバクンッとかみついてきますが、すばやく右手を引っこめ、同時に左手で本の背表紙をつかみました。
「ほら、ちょっと待ってて。ご飯ならあとでちゃんとあげるから」
本の背表紙には、『狼男研究書』と、赤い文字で書かれています。題名の下には、『魔界図書館』と金色のテープがはられていました。
「花音、聞こえてる? もう鬼ごっこは終わりにしましょう。ほら、こっち来て、お姉ちゃんと本読みましょう」
「本なんてもう読み飽きちゃったもん。それに、そんなふうにいって油断させて、つかまえようってたくらんでるでしょ。お姉ちゃんったら、子供っぽいんだから」
里音はほおをぷくっとふくらませました。そのすがたは、どこからどう見ても小学一年生の女の子です。里音はこぶしをふりあげながらわめきちらしました。
「だれが子供っぽいですって! 子供っぽいのは背だけだもん! わたしは、百歳を超える吸血鬼なのよ!」
「百歳を超えるって、吸血鬼の寿命でいえばまだまだぜーんぜん子供じゃん。でも、お姉ちゃん自覚してるんだ。そうだよね、妹のあたしのほうが身長高いもんね」
「だまりなさいよ!」
だぼだぼのエプロンドレスをゆらめかせて、里音はくやしそうにじだんだをふみます。そのすがたは、だれがどう見てもダダをこねている子供そのものです。けれどもすごいはくりょくでした。さっきまでバクバクとかみつこうとしていた本も、里音のはくりょくにおされたのか、普通の本のようにしんとしています。
「それにわたしはもう働いてるんだから、全然子供じゃないのよ! この『魔界図書館』の司書なんだから」
「司書じゃなくて、司書見習いでしょ、お姉ちゃん」
花音のあきれたような声が聞こえてきました。
「なんですってぇ!」
怒り狂った里音は、おとなしくしていた『狼男研究書』をガシッとつかむと、花音の声がしたほうへ走り出しました。キャハハハと花音の笑い声が聞こえてきます。
「待ちなさい! あやまんないと、ひどい目にあわせるわよ!」
すでにひどい目にあっている『狼男研究書』は、抗議するようにバクバクページを開け閉じしようとしました。しかし、里音につかまれているので、うまくページを開けません。
「そこだわ、食らいなさい!」
花音の影が見えたので、里音は持っていた『狼男研究書』を、花音めがけて思いっきり投げつけました。『狼男研究書』から、狼の遠ぼえのような悲鳴があがります。
「お姉ちゃんのへたっぴ! それにお姉ちゃんこそ、本棚めちゃくちゃにしてるじゃん」
『狼男研究書』が本棚にぶつかって、本がなだれのように崩れて床にちらばります。今度は里音が悲鳴をあげる番でした。
「うそでしょ、せっかくきれいに整理してたのに」
「あーあ、司書は本を大事にしないといけないんだよ。ママにしかられても知らないよ」
「うるさい、うるさい! 全部あんたのせいなんだから」
里音をからかうかのように、花音の甲高い笑い声が聞こえてきます。そのたびに里音は本を投げつけ、本からは非難と悲鳴の大合唱があびせられます。花音はちらちらとすがたをみせながら、小さな小部屋へとかけこみました。里音も急いで小部屋に入ります。小部屋の中は壁一面が鏡張りになっていて、どこにも出口はありませんでした。
「ハァ、ハァ、よくもバカにしてくれたわね! せっかくわたしが開かずの間から出してあげたのに、その恩を忘れて。覚悟しなさいよ!」
両手に持てるだけ本をかかえて、里音は花音をにらみつけました。動きやすそうな黒のショートパンツに、白いノースリーブのシャツを着た花音は、汗ひとつかいていません。ヘロヘロになっている里音とは対照的でした。
「開かずの間から出したのは、お姉ちゃんが一人で退屈だったからでしょ。別にあたし、頼んでないし。むしろあたしが、お姉ちゃんと遊んであげたんじゃんか」
キャハハと無邪気に笑う花音に、里音は持っていた本を投げつけました。花音はひょいっと身をかわして本をよけます。
「あっ!」
里音が投げた本は、鏡にぶつかり、そしてそのまま鏡の中に吸いこまれてしまったのです。里音は目をみはりました。
「どうしたの、お姉ちゃん、もう降参? それともお姉ちゃん背が低いから、あたしのとこまで投げられないのかな?」
ふんわりとしたボブカットにした、赤みがかった髪をゆらして、花音がふふんと鼻で笑います。里音は耳まで真っ赤にして、両手で本をつかみました。
「背のことはいうなって、いったでしょ!」
思いっきり投げつけては、ひらりとかわされ、そのたびに本は鏡の中に吸いこまれていきました。そして最後の一冊も、簡単に花音によけられてしまったのです。
「なーんだ、もう終わりか。お姉ちゃんったら、もうちょっとコントロールがあったらよかったのにね。それに背も」
「うるさいうるさい!」
キャハハとひとしきり笑ったあと、急に花音は真顔になって、里音を見おろしました。
「ところでお姉ちゃん、この部屋って、なんていわれてるか知ってる?」
「えっ? さあ、知らないわよこんなところ。なんだか鏡ばっかりあるけど。鏡なんてわたしたち吸血鬼にはむだなものなのに」
里音の言葉に、花音は真顔のままうなずきました。
「うん。あたしたち吸血鬼は、鏡にすがたが映らないもんね。じゃあなんで、この部屋には鏡があると思う? しかもこんなに」
それだけいうと、花音は目を閉じ、祈るように両手を合わせました。里音の髪の毛が逆立ちます。いやな予感に、背筋がぞぞっと寒くなりました。
「花音、あんたなにを」
「ここはね、お姉ちゃん。『合わせ鏡の間』っていうんだよ。あたし、本で読んだんだ。ここは魔界図書館と人間界をつなぐ場所。強い魔力を持った吸血鬼が、力を解放することで、鏡に姿が映って、人間界に行くことができるんだって」
花音の両手から、赤い光がもれだしました。それと同時に、壁一面の鏡に、もやもやとですが花音のすがたが映りはじめています。
「えっ、なにこれ、いったいあんた、なにをするつもりなの」
里音の問いかけには答えずに、花音はにこりと笑って、それから手を振りました。
「じゃあね、お姉ちゃん。おーにさーん、こーちら、手ーのなーる、ほーうへ!」
いい終わらないうちに、花音のからだは赤い光に包まれて、そして鏡にすいこまれて消えてしまいました。あとに残されたのは、里音と、だれのすがたも映していない、壁一面の鏡だけでした。
お読みいただきありがとうございます。
本日から一週間(6/11まで)は基本的に3話ずつ投稿する予定です(朝、昼、夕方もしくは夜を考えています)。
現在3作品同時連載中です。興味がある方は他の作品もお楽しみいただければ幸いです。