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まなざし  作者: 橘皐月
2. 瞳美と真名人
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2-1

それからの日々、私は歌が経験できなかった高校受験、そして大学受験を普通に乗り越えて大学生になった。

親友の歌がいなくなってから、自分がどうやってまた仲良しの友達をつくって、部活や勉強を頑張って、大変だった受験生活を乗り越えたのか、自分でもはっきりと覚えていない。覚えていないというか、ただただ全てが惰性のように流れてゆく日々の中で、これまた惰性のように勉強して、誰かと楽しくおしゃべりして、クラスメイトの輪からあぶれない程度には部活の話もできるようにしていたのだ。変わってゆく友人関係と移りゆく季節に、耳を澄ませ、心をひっそりと鎮めて、私も毎日ちょっとずつ進んだ。



その甲斐あってか、私は隣の県の、巷では有名な国立大学に進学した。

「お母さん、E大学受かったよ」

書店でパート中の母に、最初に連絡を入れたのは、一人で受験した大学まで、掲示板に張り出された合格者一覧を見に行った帰りだ。

『ええっ!』

本当は、受験番号を見つけてすぐに、母に連絡しようと思った。

けれど、周りではE大学に合格して歓喜の声を上げる人たちがわんさかいて、私はその声に胸が押し潰されそうになっていた。

わーきゃー四方八方から飛んでくるはしゃぎ声を耳が捉えるたびに、頭がぎゅうっと締め上げられるみたいな発作が起きた。

それは、生まれた時から変わらない私の性質なのだけれど、歌がいなくなってからは、より激しく感じられるようになってしまった。

彼女がこの世に存在している間は、彼女と一緒におしゃべりしたり遊んだりすることで、私の世界は満たされて、いっぱいいっぱいだったから。周りの煩い音なんて聞こえないぐらい、毎日輝いていたから。

それがなくなった途端、ストッパーが外れてしまったみたいに、誰かがヒソヒソ声で話す声や、道を走る車のエンジン音、飛行機やヘリコプターが飛んでゆく音、雨の音、虫の声、その全てが私の体力を奪い、心の底から落ち着くことができなくなった。

もちろん、大好きだった彼女でなく、別の新しい友人と楽しく過ごしている時、それは少しだけ和らいだ。

でも、本当に少しだけ。

心が安定していても、やはり何もかもがうるさくて、やるせなくなる。

きっと彼女は、私にとってライナスの毛布だったのだ。

彼女と一緒にいる時だけ、安心できる心のシェルター。

私はそんなライナスの毛布を、今でもずっと探し求めている。


***


「え、合格!? あんたが?」

全くうちの母親と言ったら、どうしてこうも失礼なんだろう。

その日は、高校三年間 (と言っても自分の場合、バスケ部を引退した高三の夏以降)の努力を発揮した受験結果を見に行った日だった。

今朝、受験した大学まで結果を見に行こうと早起きして家の玄関に降り立ったとき、

「今日結果発表よね、真名人。あんた一人で結果見に行くの?」

と母親が聞いてきた。

俺は、「お母さんも行こうか?」なんて言い出しかねない母を右手で制して、

「友達と行くから大丈夫」

とやんわりと告げた。

これは、「お母さんは来なくて良い」という拒絶の意に他ならないが、母は「あ、そう」と思いの外あっさり引き下がる。息子のこと気になるのかそうじゃないのかどっちなんだとつっこみたくなったが、ここはあえて「おう」と短く返事しておく。

母親っていう生き物は、息子からすると摩訶不思議な生物だ。

息子のことを放置して適度に自由にさせてくるのは良いが、時々お節介なほど世話を焼いてくることがある。いや、時々というか、かなり頻繁にだ。

この間だって、センター試験の前の日にお守りを渡してきたり、当日のお弁当に「がんばれ、まなと!」と海苔でメッセージを添えてきたりした。「が」と「ば」の右上の点々が剥がれて、ハンバーグの方にひっついていたため、「かんはれ、まなと!」になっていたことを、うちの母親は知らない。

とにかく、その日は昼休みに後ろの席に座っていた他の受験生にお弁当を覗き込まれるのが恥ずかしくて、ご飯の入っている段をさっと閉めてしまった。結局ごはんが入っていない方(二段弁当で、一段目にごはんとハンバーグ、二段目にその他のおかずが入っていた)の二段目のおかずだけしか食べられなかった。

ハンバーグが一番の好物だった自分にとっては悲しい思い出だ。

と、そんなこんなでお節介な母親は、まさか自分の親切が、息子を苦しめることになっていただなんて、知るよしもない。

他の家庭でもそうなのかは分からないが、とりわけうちの母親は周囲の目を気にして見栄を張るし、噂話を鵜呑みにして一度信じたことは絶対に疑わない性格だ。

そのため、この歳になってまであまり母と二人きりで人目の触れる場所に行きたくないというのが正直なところ。

「それじゃ、行ってきます」

この日も母と二人で受験結果を見に行くだなんて最悪の事態を免れてほっとしながら家を出た。

「結果分かったらすぐ報告してね!」

家を出る前に母がはりきってそう言ってきたのに辟易しながら「はいはい」と適当に流しておく。

結果が分かったら、と言うが、悪い方の結果だった場合、そんなにすぐに報告できるようなメンタルの強さはない。「母に早く報告できる=良い結果」でないといけない。

「おっす」

最寄り駅で、同じバスケ部かつ同じ大学を受験した中島春樹と会い、互いに手を振った。駅から一緒に行くことを約束していた友達。ちなみに、俺が高校時代に一番仲の良かった奴だ。いわゆる親友、だろうか。

「どうよ、今の気分は」

「最悪だな。今朝なんか、コーヒーに間違って塩入れちゃったんだぜ。飲んでみるまで気づかなくて、口つけた瞬間『かっら!!』って悶絶してた」

「なんだよそれ」

朝から忙しい中島はケラケラと笑いながらいつものように冗談を繰り出す。こいつは普段からこんなふうに、受験なんて大層な物事でも軽い冗談に変えてしまうようなさっぱりとした性格だから、気に入っている。

俺は俺で、こういう重大な日にどんな言葉をかけていいか分からない質であるため、中島みたいな友達がいると気が楽だ。

「とにかく、いこーぜ」

「おうよ」

俺たちは二人で受験した大学の最寄り駅まで電車で向かった。

といっても乗車した「平松」という駅から大学の最寄り駅「戸羽」まで、20分しかかからない。実家から大学に通えるとすれば、とても便利だろうなと思いながら、同じように高校生とも大学生とも言いようのない受験生らしき人と一緒に、俺たちは戸羽までガタゴト運ばれていった。



E大学は、予想以上に受験結果を見に来た受験生で溢れていた。

時刻は午前11時で、開示は10時からなので、もうほとんどの人が先に見に来て帰る人は帰ったのでは? と予想していたため意外だった。

「えーっと、社会学部は……」

俺と中島が受験した社会学部の掲示板をキョロキョロと探す。なにせキャンパスが広すぎるため、ぱっと見ではどこにどの学部の校舎があるのか分からなかった。

「あ、あっちみたいだ」

中島が先に社会学部棟を発見して、俺たちは二人で中島の指差す方に向かった。

「あったあった」

すでに掲示板の前には結果を見に来た多くの受験生たちが群がっており、俺は自分の受験番号「301」を見つけるために、背伸びしながら掲示板を凝視する。しかし、やはり簡単には見つけられない。

「俺、ちょっと見てくるわ」

自分と違い、身長16cmで小柄な中島が、人の群れの中にひょいっと入り込む。俺は身長が178cmで体格もそこそこあるため、彼の後は追わないことにした。まあ、奴に自分の受験番号も伝えてあるため、ついでに俺の分も見てきてくれるだろう、という他力本願で。

自分の受験結果ぐらい自分で見なくていいのか、という意見がありそうだが、俺はそこまで自分で結果を確認したいという願望がない。むしろ、受験結果なんて心臓に悪いものを、できれば自分の目で確かめたくはなかった。人づてに知れた方が気楽なのだ。


中島が掲示板を見てくれている間、興味本位で周りを見回してみる。

涙を流している人が多いが、受験に受かったのかダメだったのか、どちらの可能性もありうる。あまりじっと見るのはやめておこう。自分もまだ結果が分からない身なのだ。泣きはしないと思うが、落ちていたら流石にメンタルにくる。


しかし、そんな俺の決意はどこへやら、歓喜の声や胴上げ風景が溢れる中で、一人の女の子が耳を抑えてぎゅっと目を瞑っているのが目に飛び込んできて、思わず凝視した。

最初は、「落ちちゃったのかな」と思い同情したが、なんとなく彼女の様子を見ていると受験結果に悲しんでいるのではないという気がしてきた。

悲しんでいるというより、苦しそう。

まるで息ができていないかのように、耳と胸を交互に抑えていた。

「あの———」

様子が変だと思い、咄嗟に声をかけようとしたとき。

「早坂〜! あったぞ!」

掲示板の方から、中島の声が飛んできて振り返った。

「301番、載ってる! ちなみに俺も合格した!」

何もそんなところから大声で叫ばなくてもいいのに、と呆れながらもほっと安心しているうちに、例の女の子のことを見失ってしまっていた。


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