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まなざし  作者: 橘皐月
1. 瞳美の過去
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1-2

雨の音に夢中になって佐渡歌に話しかけられてから、私と彼女はいつも一緒にいるようになった。

「ねえ瞳美ちゃんって、算数得意だよね?」

「うーん、得意なのかな」

「だって、いっつもテストで100点とるじゃん」

「でもそれは、テストが簡単だから」

歌は私の言い分に、ぷうっと頰を膨らませてむくれていた。今の発言では、自慢みたいに聞こえてしまったかもしれない。

けれど、本当に私にとって、小学二年生の算数のテストはとても簡単だった。先生が、「では始めてください」と合図してから50分間のテストの時間、私は最初の20分で問題を解き終わってしまう。だからテストは苦手だった。余った時間に何をすればいいか、分からないから。

雨の日だったら、まだ良い。

たとえ窓の外が見えなくたって、降りしきる雨の音を聞いていれば、私の頭の中で、素敵な音楽が流れ始める。



ポッポロリン

ラララララ

ポッピンポロン

ランランラン


題名のない音楽は、全部私の耳が勝手に作り出した幻想だ。でも、何もすることがないテストの時間には、それだけが楽しみだったのだ。


「じゃあ今度、お勉強教えてよ」

「うん、いいよ」

歌ちゃんは算数が苦手らしい。

特に文章問題になると、何が聞かれているのか分からなくなるそうだ。


歌が、「勉強教えて」と言ってきたその日、私は放課後彼女の家に遊びに行った。もちろん、「勉強を教えるため」だけどね。

「いらっしゃい、瞳美ちゃん」

歌は、学校から歩いて十分ぐらいしたところにある白い屋根のおうちに住んでいた。

玄関からは色とりどりの花が咲くお庭が見える。

きっと、歌のお母さんが毎日丹念にお手入れをしているのだろう。それが見て取れて、私は「いいなあ」と思った。

歌のおうちは、まるで童話に出てくるお城みたいに思えた。

そんな素敵な家に住んでいる彼女が羨ましかった。

「瞳美ちゃんこっち」

歌に促されるがままに彼女の家へと上がり、リビングに置かれたダイニングテーブルを指差して、「ここだよ」と私の居場所をつくってくれた。

「ありがとう」

にっこり笑って彼女の隣に座る私。

リビングを見回してみると、茶色い家具で統一された温かみのある部屋で、いるだけで居心地が良くなりそうだと思った。

歌のお母さんが、台所からオレンジシュースを持ってきてくれて、「好きなだけ飲んでね」と微笑んで言った。

なんて良いお母さんなんだろう、とまた憧れてしまう。

「それじゃあねぇ、ここから!」

テーブルの上に広げた算数ドリルの中で、掛け算の九九を使った問題を指差す歌。ちょうど担任の先生が、今日の宿題に指定した問題だった。

「うん、じゃあこの問題から一緒にやろ」

私も宿題をやらなければいけなかったため、とりあえずは一人で問題を解く。

九九さえ覚えていれば解けるような問題だったため、私はすぐに答えを出してしまった。

正面に座る歌も、「ウーン」と唸りながら問題文とにらめっこしていたが、手にはしっかりと鉛筆が握られている。

歌が、数分考えて「あーやっぱだめ! 分かんない!」と解くことを放り出すまで、私はリビングの窓から見えるお庭に目をやっていたのだけれど。

家に入る前に見た可愛らしい花たちがそよ風に揺れていて、ああ、やっぱり歌ちゃん家はいいな、と心底羨ましくなる。


私の家だって、別に際立って嫌だと思うところはない。

書店でパートをする母と、サラリーマンの父。

これだけ聞くと、書店なんかで働く母は大人しい人で、サラリーマンの父の方がよく喋る、という感じもするが、うちの場合は全く逆。

母の方が家ではよく仕事の愚痴やママ友との交流の話をし、父は寡黙で家にいるときもほとんど喋らない。

世帯収入もそれほど高くないし(もちろん小学生の頃はこんなこと知らなかった)、歌のような素敵なお家に住んではいない。

兄弟はいなくて一人っ子だ。

そんな、ごく普通のありふれた家庭——いや、どちらかと言うと少しばかり退屈な家庭で育った私には、まぶしかったのだ。

丹念に手入れされ美しい庭のある家と優しそうなお母さん(おそらく父親も優しいのだろう)の元で暮らす、彼女のことが。


「できた!」

結局15分もかけて一つの問題を解き終えた歌は、にんまりと笑って私にノートを見せてきた。

途端、彼女の笑顔の先に揺れている花がぼやけて、歌が手に持つノートに焦点が合った。

ノートには、3つのりんごと4つのみかん、2つの桃、一本線で描かれた二人の棒人間の絵が見える。それから、横に3×2+4×2+2×2=6+8+4=18という式と答え。

「うん、正解です!」

先生気取りになった私は、彼女のノートの棒人間をもう少しアレンジして、二人の女の子の顔を描いてみた。

「これなに?」

無邪気な表情で私の手元を覗き込んでくる歌に、私はこう言った。

「歌ちゃんと私」

当時ショートヘアだった自分と、長い髪を二つに編んだ彼女が、正面を向いて笑っている。多少不恰好な図ではあったが、我ながら二人の特徴をうまく掴んでいると思う。

「わ、すごいすごい!」

大した絵ではないのに、「瞳美ちゃん天才!」とか、「瞳美ちゃんは漫画家さんになれるね!」とか大袈裟に自分を褒め称える歌を見て、なんだか笑ってしまった。

そして、ちょっぴりこそばゆい。

それから、私が歌の家で勉強をした日について覚えていることといえば、歌がその後すぐに

「おかあーさん!」と言って、母親の元へ駆けてゆき、「これ、瞳美ちゃんが描いたの」とあたかも自慢でもするかのように誇らしげに語っていたことだけだ。


歌の家には、それからというものめっきり遊びに行かなくなった。

しかし、その日を境に友情を深めた私たちは、中学二年生まで、ずっとずっと一緒にいた。

同じクラスだった時には、朝から夕方まで行動を共にする。移動教室があれば、絶対に二人一緒に移動をする。忘れ物をした時は、お互いに貸し借りする。別のクラスになっても、放課後は必ず一緒に家に帰る。

歌の家の方が、私の家よりも学校に近い場所にあったため、毎日彼女の白い屋根のお家の前で、さよならした。

歌の家にはあれから一度も入らなかったけれど、毎日家の前で彼女と別れるため、私にとって、そのお城みたいな家は、馴染み深い場所になった。

彼女の母親には、授業参観で見かけると挨拶をする程度だったが、小学生の頃に歌の家にお邪魔して以来、ゆっくり話した記憶はない。

けれど、彼女がいつも家の玄関の扉を開ける時、弾んだ声で「ただいま!」という声を聞く限り、歌にとってその家がどれほど居心地の良い場所なのか、想像するに難くなかった。



だからこそ、衝撃だったのだ。

中学二年生の二学期が始まったばかりの月に、彼女があの家で、死んでしまったことが。

彼女の、「ただいま!」が、耳にずっと残っているのに、彼女の身体がこの世から消えてしまったなんて、そんなの信じられなかったんだ——。


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