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まなざし  作者: 橘皐月
2. 瞳美と真名人
13/38

2-10

「編集サークル?」


彼女がそのサークルの名を口にしたのは、大学一年生の後期授業が始まって一ヶ月が経った、11月1日のことだった。


「うん。『陽だまり』っていうサークルなんだけど、週に一回集まって文章を書いたり、文芸誌や雑誌をつくったりするの」


秋も深まるこの季節に文化的な営みに励みたいと思うのは、人間の性だろうか。

雨宮さんは、色づく街の並木道や、遠くの山を見ながら俺にそう言った。ちょうど、空きコマに大学を抜け出して二人で最近はやりの映画を見に行った帰りだった。三限と四限が空いて五限がある、という日程では映画を見て帰ってくるぐらいが時間的に適当なのだ。


「それはなんだか、きみに合っていそうな活動内容だ」


本当はそれ以外にも、「なんだか隣に猫がお昼寝でもしていそうな名前だね」とコメントしたかったのだが、言ってしまえば緩そうなサークルだと思ったことがバレるので言わないでおいた。しかし実際のところ彼女はそんなことで腹を立てることのない人間だと分かってはいたが。


「そうなの。行きたい時だけ参加して楽しめばいいし、私も早坂君もサークル入ってないでしょ」


だからちょうど良いよね。


にこりと口角を上げる彼女が、俺には天使にしか見えずに瞬時に頷きかけたが、すんでのところで「え、今なんて?」と聞き返すことができたのは、我ながらあっぱれとしか言いようがない。


「だから、編集サークルに入るって話」


大学までの帰り道、といっても電車で数駅乗り継いで、大学最寄駅の戸羽駅から大学構内まで10分程度歩くだけだ。10分の間に、彼女と俺はこうして歩きながらサークルの話をしていた。


「それは分かったけれど。入るのは雨宮さん一人じゃなくて、俺も?」


俺にとっては至極当然な疑問を投げただけなのだけれど、彼女にとっては想定外だったらしく、不思議そうに顔を傾けて、「あれ?」と目で語っている。


「ええ、そのつもりだったけど……」


どうやら彼女の頭の中では、自分が参加すると言ったものには自動的に俺も参加することになっていたらしい。その方程式はとても嬉しくて照れるのだが、生まれてこの方クラブ活動といえばバスケというスポーツぐらいしかして来なかった俺は、彼女と一緒に文化系の、しかも文章を書くサークルで楽しめるかどうか、全く見当がつかなかった。


「ちょっと、考えさせてほしい」


今思えば大学のサークルぐらい、就職や結婚でもあるまいし、それほど思いつめて決めるものではないのに、その時の俺には何か重大な決断を迫られているように感じたのだ。


「うん、いいよ。今日の夜『陽だまり』で飲み会があるらしいから、早坂君も一緒に来てみない?」


「え、飲み会?」


「ええ。お酒飲めなくても大丈夫だって言ってたし」


「そ、そう。だったら行こうかなー……」


「ありがとう! じゃあ五限目が終わったら正門前に集合ね」


「おう」


どこか生き生きとした様子の彼女が物珍しくて、引っ張られるようにして俺は頷いていた。

俺も彼女も未成年だが、少なくとも俺はお酒が飲める。店の人から飲むなと言われたら飲まないし、仲間から飲もうと言われれば飲む。彼女の方は分からないけれど、飲み会に自分から参加すると言い出したのなら、彼女も少しは飲めるのだろう。

とにかく、サークルに入るか入らないかは、飲み会でメンバーを見てからでも構わないだろう。



その後大学に帰り着いた俺と彼女は「じゃあまた後で」と言って、別々の教室で違う講義を受けた。

いつもながら長たらしい講義が終わり、すっかり日が落ちて構内も暗くなっていた中で、俺たちは待ち合わせの正門前で落ち合い飲み会が開かれる居酒屋に向かった。


「こんばんは」


店の前に、十数人の学生が溜まっているのを見て、俺はすぐさまこの人たちが編集サークル『陽だまり』のメンバーだと悟った。


「おー! 雨宮さん、来てくれたんだね」


彼女は『陽だまり』のメンバーと顔見知りらしく、サークルの代表と思われるくっきりとした顔立ちの男子生徒に声をかけられて会釈していた。


「友達も連れてきました。今日はよろしくお願いします」


雨宮さんから「友達」と言われた俺は一言、

「一年の早坂です」

とだけ口にして、軽く頭を下げた。

「おお、よろしく。俺は垣内斗真(かきうちとうま)。三年で『陽だまり』の代表やってます」

さんねん。

だいひょう。

こんな、イケメンで良い感じに焼けた肌をしていて、体格も背丈も文句なしの青年が、編集サークルの代表だなんて、世の中分からないものだ。

「よし、新人も揃ったところで、店はいるぞー」

垣内さんがよく通る声で仲間たちに指示をして、皆で店に上がり込んだ。

席はすでに予約済みで、しかもドタキャンで一人分の席が余っていたため、俺はその空いた席に入ることになった。とても運が良い。


予約していた席は大人数用の個室だった。と言っても、メンバーは全部で十数人しかおらず、俺と雨宮さんを入れても15人程度だったため、部屋はとても広く感じられた。

『陽だまり』の連中が各自長テーブルの席につく。雨宮さんは入口側の列で垣内さんの隣に、俺はちょうど彼女の正面にあたる席に座った。


それからピッチャーでビールやウーロン茶を頼み、

「それではみなさん、今日は新人も来てくれたことだし、盛大にいきましょう。乾杯!」

「「かんぱ〜い!」」

と垣内さんの音頭で乾杯をした。

「私、居酒屋来るの初めてなので楽しみにしてました」

乾杯後すぐさま彼女が放った一言に、俺は「えっ」と絶句。

周りにいた皆さんも絶句。

確かに俺たちは一年生で、法律的にお酒を飲んではいけないお年頃だ。だから、飲み会を経験したことがなくてもなんら不思議ではないのだけれど。それに、俺も最初は大人しくウーロン茶での乾杯を試みた。それは彼女も同じだったらしく、俺と彼女は揃ってウーロン茶を手にしている。

しかし、彼女は自ら「飲み会に行こう」と言っていたので、俺はてっきり彼女は何度か飲み会というものを経験しているとばかり思っていた。なんだ、その逆で単なる好奇心だったのか。それはなんというか……彼女らしい。


俺は彼女が突飛な発言をすることに慣れていたので突然のカミングアウトに絶句したものの、「まあ、雨宮さんならあり得る」とすぐに納得した。

しかしほとんど面識のない『陽だまり』の皆さんは、「まじか」と素直に驚いており、見ていてちょっと面白かった。大学生なんて、大学に入ったとたん、お酒を飲みたくなるものだ。「なんかちょっとカッコいいから」という理由で。『陽だまり』の皆さんが、大学生だから一年生だとて飲み会をすでに経験済みだと思い込んでいたとしても仕方がない。彼女が少しレアなだけだ。


雨宮さんの衝撃の一言も、学生の彼らにとってはすぐに「まあ、そういう人もいるよね」と受け流せるものだった。そう、誰だって最初は「初めて」を経験するのだ。それでいい。


『陽だまり』のメンバーの中には他の一年生も5人いて、ビールを飲む人もいれば、ウーロン茶を飲んでいる人もいた。

同じ一年生と挨拶程度に話した後、話は俺たちニューフェイス中心となり、皆が俺たちのことを肴に酒を手にしていた。


「二人って何学部?」


「どこ出身?」


「趣味は?」


俺と雨宮さんは周囲から飛んでくる質問に器用に答えるだけで精一杯だった。

しかし一つの質問に答えるだけで話はどんどん膨らんでゆくので、こちらとしてはまあ楽しかった。


「早坂君バスケ部だったの? 俺もバスケやってるよ」

「そうなんですね。バスケ部にも入ってるんですか?」

「いやいや。サークルの方だよ」

バスケをやっているという二年生の先輩が口にしたのは、中島が入っているバスケサークルだった。

「中島の友達!? あいつ、昔からああなの?」

先輩の言う、「昔からああ」というのが一体何を指しているのかよく分からなかったが、きっとロクでもないことには違いないと思い「まあ」と適当に返事した。ごめん中島。でもいつも怠惰なお前が悪い。


先輩は「ふーん」という反応をして、その話題を終わらせた。


それにしても、俺は『陽だまり』が思っていた以上に賑やかなサークルであることに驚きを隠せずにいた。もちろんお酒の力もあると思うが、文化系の飲み会だし、きっと静かな飲み会だろうと期待していたのだ。それが、ほとんど体育会系と変わらない盛り上がりっぷり。良いか悪いかはさておき、とにかく予想外だった。気がつくと先輩たちに乗せられて、俺も自ら何度かビールを飲んでしまっていた。決して強制的なものではなく、自分から飲みたくなったのだ。


ジョッキを持ち上げてゴクゴクとビールを喉に流し込んでいた時、視界の片隅で、彼女の顔がぼんやりと見えた。いや、ジョッキ越しに見えていたからピントがぼけていたのは当たり前のことで、俺が酒に酔っていたせいではない。

しかしそんなことより、ジョッキ越しの彼女の顔が青ざめていたのが気になって、俺は咄嗟にジョッキをテーブルに置いた。ゴン、という鈍い音がした。


「雨宮さん、どうしたの?」


彼女は明らかに様子がいつもと違っていた。

少し俯き加減で荒く息を吐いていて、俺の「どうしたの」という言葉がまるで届いていないようだった。

そのうち、だんだんと彼女の呼吸が激しくなり、挙句いつかの帰り道と同じように両手で耳を抑えた。


周りを見ても、皆酒に酔って大きな声で騒いでおり、いつの間にか話の中心から外れていた彼女の異変に、気づいている者は誰もいなかった。


「雨宮さん——」


そんな中俺は必死に、彼女に届かない声を掛けることしかできないでいた。


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