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まなざし  作者: 橘皐月
2. 瞳美と真名人
12/38

2-9

「歌ちゃんは死んじゃったの」


彼女の口から、予想だにしていなかった言葉が出て、俺は途端に自分の心臓がドクンと跳ねるのを感じた。


「死んじゃったって……本当に」


馬鹿やろう。

彼女がこんな嘘をつくわけがないだろう。

頭では分かっていても、あまりに衝撃的な内容に、俺は口から先に彼女にそう訊いてしまっていた。


「うん。中学二年生の時に、事故で」


彼女が先ほどまで口に運んでいた熱々のラザニアの残りが、グラタン皿の中でマラソン中に疲れ果ててリタイアしてしまったランナーのように、萎れて見えた。もう湯気は立っていないから、猫舌の彼女もふぅふぅと息を吹きかけなくてもきっと食べられる。でも、彼女はフォークを置いて、テーブルの真ん中を見つめていた。


「そんなことがあったんだ……。変なこと聞いて、ごめん」


彼女にとって、亡くなった“歌ちゃん”がどれほど大切な存在だったかということは、先ほどまで親友との思い出を懐かしそうに話す彼女を見て分かった。

だからこそ、親友を失った時の痛みも、人一倍だったはずだ。


「ううん、いいの。もともと話し始めたのは私の方だし。ほら、こういうのって、時間が経つとそれほど深く悲しくなることもなくなるから。私も、今はほとんど“悲しい”よりも、“懐かしい”の方が大きくなってるの」


俺は彼女のように、大切な人を亡くした経験がない。両親や兄弟も健全で、親友もうるさいぐらい生き生きとしている。

だけど、彼女の言うことは少しだけ分かる気がした。

人間、時間が経てば信じられないほどに悲しかった出来事が思い出に変わってゆく。それは言い換えれば、心が鈍感になってしまったとも言える。鈍感にして、悲しみから立ち直ろうと、心を守っているということなのだ。

そうでなければ、俺たちは度重なる悲しみの中で、前に進むことができなくなってしまうだろうから。まるで海の底にどんどんと沈んでいくかのように、必死に手足を動かしても少しも空気に触れることができなくなってしまう。

そうならないように、心は前を向こうと悲しみを忘れるのだ。

それでいいと思う。

死んでしまった人を忘れるのではなく、悲しみを忘れること。

もしこの先自分が大切な誰かと死別するようなことがあれば———とても不謹慎だけれど、生きていれば誰しも必ず経験するだろう———、その人を無理に忘れようとするのでなく、忘れずに前を向いて生きていくことを考えよう。


彼女の言葉から、そんな決意が滲んでた。


「雨宮さんは、強いね」


親友の死を、冷静に語れる彼女について俺が思ったことを、そのまま口にした。

思春期の多感な時期に大切な友達を失うということがどれほど辛いことなのか、想像もつかない。でも、彼女は立ち止まらずに今もこうして普通に人間関係を築くことができている。それは、まだ人生で深い悲しみを味わったことのない俺からすれば、とても尊いことだ。


しかし彼女は、俺の言葉に

「そんなことない……」

と小さく呟いて、首を横に振った。

単なる謙遜というわけではなく、彼女は本心から否定しているのだと悟った。

「いや、強いよ。きみは。そんなふうに亡くなった友達との思い出を懐かしがれるの。まだ子供だったのに、きみが強い証拠だよ」

「……ありがとう」

雨宮さんは、控えめにだけど笑ってくれた。

もしかしたら、自分の中でもまだ親友への気持ちに決着がついていないのかもしれない。悲しみが終わっても、これから亡くなった親友のことをずっと心に留めて生きていくということは、少なくとも心に強さがいる。今後もずっと強いままいられるか、彼女自身にも分からないのだ。


「本当言うと」


彼女は休めていた手を再び動かして、何とは無しにフォークを握った。


「本当言うと、歌ちゃんが死んじゃったとき……“悲しい”じゃなくて、私、びっくりしてしまったの。突然彼女が死んでしまったことに対してじゃない。歌ちゃんには優しいご両親がいて、素敵なおうちがあって、家族皆がいつも幸せそうで、順風満帆な家庭だった。でも、歌ちゃんが亡くなって、お葬式で悲しみに暮れているご家族を見てしまって……。ああ、こんなにあっけなく、崩れてしまうんだって、思ったの」


一つ一つの言葉が、彼女の口から発せられる前に、彼女はそれが正しいのかどうか模索しているような感じで話した。


「幸せは、あっさり終わってしまうんだって、気づいた」


冷めてお皿の中で萎れるラザニア。

彼女が手にしたフォーク。

もう戻らない熱々の時間。


どれも同じ時間軸の上で起こった出来事なのに、どうしようもなく一方通行で、完璧だった瞬間には戻ることができない。


「だから、今を大切にね、生きようと思って」


ちょっぴり悲しげに笑う彼女は、握りしめたフォークで再びラザニアを口に入れた。

「うん、冷めても美味しい」

ビミ、ではなく、おいしい。

変わってしまった現実も、悲しいものばかりじゃない。

見方によって、新しい幸せや喜びにたどり着くことができる。

そんな素敵な答えを、彼女は教えてくれるのだ。

「早坂君も、オムライス残さず食べなよ」

ほら、と俺の前にあるお皿を指差して彼女は大人っぽく笑う。

「おう、最後まで食べるぜ」

「その意気、その意気」

彼女の言う通り、冷めてしまったオムライスでも、案外美味しいと感じた。

熱々だった時には感じられなかった素材の旨味が、よく分かるのだ。


「この店、正解だったね」

「だね」


大学一年生の前期が終わり、俺たちはまた一つお互いを知った。

彼女とあとどれくらい、近づけるだろうか。

彼女は俺と同じ気持ちでいてくれているのだろうか。


まだまだ分からないことはたくさんあるけれど。


冷めてしまっても美味しいご飯があるということを知れただけでも良いと思った。


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