3話 野狗の宴
人気のない森の奥、ここなら狼人の衛兵がくることもなく、かつ魔獣も襲ってこない地脈の上にそのアジトはあった。アジトと言っても移動性のある車を並べて、焚火を囲っているようなものだ。当然車は先の商隊を襲撃して得たものだが―――。
狗人と呼ばれる種族がいる。彼らは誇り高い狼人のように軍事徴用に従ずることもなく、働き者の犬人として自警団に加入するわけでもなく、ただ狩りをして生活をしている。狩りをして生きるとは即ち獣人を殺し、皮を剥ぎ、その血肉を食べることだ。そして襲撃のおまけとして積み荷を強奪し金品を得るのだ。故に彼らは同じ犬族であるにも関わらず侮蔑を込めて狗人と呼ばれている。
「ボス、宴の準備が整いました。開始の合図を」
「うむ、そうか。ではしなくてはな。」
ボスと呼ばれた男は、老齢ながらも身体は引き締まっており、また体の所々に勲章のように古傷を纏っていた。
「諸君!今日はご苦労であった!ご覧のように大量だ、好きなだけ食うがいい。デザートも用意してあるからな。」
わあーっ!と沸く歓声。宴の始まりである。この“デザート”とは襲撃した商隊に乗っていた女子供のことである。性衝動と破壊衝動を同時に満たせる―あるいは柔らかい女の肉を食べたい欲求も―。血に塗れてこそいれどこれは犬人族の歴とした欲求ではある。また、他種の獣人を食べることも肉食の獣人にとっては当然の行為なのだ。だから彼らは禁忌を破る邪教集団ではない。ただの山賊即ち狗人である。
「いやーしっかし、今回の襲撃は大当たりッスね、こんなに金目のモノを積んでいやがるし、車を引いていた連中の肉もうまい。相当良い商隊を使ったんスね。鑑定していない宝石の価値もかなり期待できるッスわ。これで酒がありゃ完璧ッスのにどうして酒の用意をしなかったんスか?」
「お前はアルファの器にはまだ遠いな。俺たちが襲う商隊なんて比べ物にならないほど良い小隊、ということは、だ。ジリオン地方貴族の積み荷か、それに比肩する商会の荷物である可能性が高い。つまりこの後、お雇いの暗殺者にでも襲撃される可能性がある。アジトに戻るまでは安心できない。」
その時、一人の狗人が黒い毛玉を抱えてやってきた。
「おーい、ボス!巡回してたらこんなの拾ったんだけどすごいよこれ見てくれよ。」
「こいつはバステトじゃないか…俺にも運が回ってきたな。スパイの可能性もある、手足を拘束して逃げないようにしておけ。誰も手を出すんじゃないぞ。」
バステトとは百獣神の一柱であり、黒い猫の姿をしている。このことから黒い毛の猫人はバステトの化身として時に拝まれ、時にその毛皮を密漁され、時にその血を呪術に使われる。もちろん、愛玩獣や剥製として人種職業を問わず需要が高い。それ故に、悪党どもにとっては良い商品なのである。
宴も一通り終わり、あたりは静けさと暗闇が支配していた。僅かな焚火の明かりだけが周囲を照らしていた。襲撃者が来るのであればこういうタイミングであろう、と狗人のボスは思った。
「おい、もう少し火を足せ。おい、起きろ。クソッ」
周りの狗人達はみな眠りこけてしまったのか、誰も起きる気配はない。彼は渋々ながらそっと火に薪をくべた。
辺りが明るくなると一つの人影が目の前に映ったが、杳としてその姿は知れない。
「お前が暗殺者か。おい!お前ら!起きろ!敵襲だ!!!」
「無駄よ、こいつらは既に事切れているわ。」
「なんだと…」
声から女だと分かる。こちらに近づいてきてようやく全貌が明らかとなった。猫人だ。捕虜とは対照的にその毛は長く真っ白だった。だが、不思議なことに返り血が一つもついていない。
「お前が全てやったのか…?」
「さあ、どうでしょうねえ?」
もう一人協力者がいる―!と、ふと振り返ると狗人のボスは突然肺を刺され、絶命した。
「姐さんすいやせん、やっちまいました。」
と、蛇人の男が言う
「これで全滅ね、まあ狗人に聞いても大した情報は出ないでしょう。捕虜にいるバステトが積み荷だったかだけ聞きたいのだけれど、もう喋れないみたいだし。」
「例のモノはここに置いてありますから、ただの野盗にすぎませんね。何らかの思想を持ってはいないでしょう。」
「しかし困ったわね、このバステトが積み荷だったら大臣の秘密も暴けただろうに。」
「姐さんそれは望み過ぎです、当初の目的通り例のブツが手に入ったのであとは憲兵に任せましょうよ」
「そうね。ただ、このバステト。この子だけはアジトに持ち帰るわ。野ざらしにするのも悪いしね。それに場合によっては“使えそう”だわ。」
「分かりました、運ぶの手伝いますよ。」
血に塗れた宴の跡は日の出と共に闇へと消えていった。