クリスマスという単語を思い浮かべていただけでいつの間にか地球を救っていた人類の話
月面に降り立った宇宙人――正式名称:統合思惟共有人類、通称:ディーモル――は、地球侵攻作戦を実行に移すべく月の裏側に拠点を構築し、けして地球人には観測されないよう準備をつづけてきた。
それはもう、一〇〇年前から。
一度、地球人がなんと月面に降り立った瞬間があった。その時ばかりは肝を冷やしたものだったが、相手の地球人はといえば月面に降りるのがせいぜいで移住などする気もなく、おかげで運良く見つからずに済んだ。
そんなところで何とか地球人に隠し通して準備を進めてきた結果、彼らは念願の地球侵攻作戦を実行に移すことになる。
いまこの瞬間が作戦前夜であり、あと一時間もすれば彼らの宇宙艦隊が月面基地から発進。地球人に対して宣戦布告も行わずに戦争をしかけるつもりだ。
『しっかし暢気なもんですなあ、地球人の奴ら』
地球表面を覗くことができるスコープで、これから降下する地点の観測をつづけていたディーモルの一人……背の低いそれが、隣で腕組みして待機する背の高い上官に“意識を飛ばす”。
『うむ。何ら昨日と変わらない、いつもの生活とやらを送っているようだな。とはいえ、こちらの存在が察知されていない証拠だよ。相手が暢気であればあるだけ、奇襲作戦の成功確率は上昇するというもの』
観測員から飛んできた意志を頭部の触角で“受信”した上官は、意識を飛ばし返して返事をする。
『いやあ、そうなんですがねえ。これじゃあ張り合いがないっていうか』
『遊びじゃなくて戦争なんだ。張り合いもクソもない。成功するか否か、それだけだ』
ディーモルには発声器官がなく、また音を拾う器官もない。ついでにいえば視覚もない。ただ彼らは知覚で生命体の意志を読み取り、理解する。同時にこの世界を構成する情報――世界のすべてを形作るイデアともいうべき存在情報も受信し、目が見えなくとも外の様子を把握することができる。
いま観測員が使っているスコープも、地球文明のそれのようにレンズがついているわけではない。むしろレンズを使ったものよりも造りは単純で、いってしまえば不可視の光線を放出するだけの装置だ。ディーモルたちは地球の大地から跳ね返ってくるその光の波形を頭の触角で受信、地球表面の様子を把握するのである。
観測員と上官の私語ともいうべき些細な会話は、ディーモルが常時行っている“意志受信”によるものであり、二人の会話は二人のうちだけで終わらず、即座にディーモル全員に共有される。
統合思惟共有人類と言われる彼らには“個”という概念もなければ、“全”という概念もない。生まれた瞬間から、彼らは永きにわたって共有され続けてきた意志を受信し、また自らの意志を送信して同胞たちに共有してもらう。
完璧な意思疎通が行える彼らにとって、自分とは即ち相手であり、相手とはみんなだ。すべてが溶け合い、信頼という言葉さえ生まれないほどに深く互いが互いを知り尽くしていた。
いま、観測員はスコープをつかって地球全土の大陸を交互に眺めていた。
眺める度に思う、彼らはやはり蛮族だと。
『あいつら、意志の統一どころか、国家とか民族とかもバラバラみたいですよ』
生まれた瞬間に同胞たち全員と完全に意思疎通が行えるディーモルの社会では、疾うの昔に国家や民族という概念も消え去っている。まして同族間での戦争という文化もない。争っている暇があったら、さっさと“意志受信”を行って相手の思惑を理解し、互いに協調していけばいいだけの話だ。
ディーモルの社会では、戦争といえば星や宇宙の垣根を越えてやってくる侵略者たちとの戦いを指す。
故に、いまだに同胞との争いを捨てきれない地球人類などどれだけ高度な技術を有していようが蛮族なのだ。
『あれだけの高度な技術をもちながら、いまだに同胞の本音を気にして外を見る余裕もない。ふふ、すぐ近くで我らが着々と侵略の準備をしていることさえ気づかないというのも、冗談のようだが奴らにとっては無理もない話なのだろうな』
『宝の持ち腐れというか、何というか。かわいそうな奴らですな』
二人はそう意志を送り合っているが、それは即座にディーモル全員に知れ渡る。
地球人類は蛮族、したがって攻め落とすべし……それがディーモルたちすべてが共有する意志だ。
奴らが自分たちと同じ高みに登り詰めるまで、つまり、意志を共有する手段を発明してしまわないうちに、叩き潰す。
逆に地球人類が奇跡的にも意志共有を実現し、統合思惟共有人類のひとつとなってしまった場合……もともと彼らが有している技術力が高いのもあり、侵略も容易ではないだろう……その時は、地球侵攻作戦は中断すべし。これもまたディーモルの総意だ。
もっとも、それほど速く地球人類が進化できるはずもない。地球という惑星が生命を実に長期間にわたって進化させる性質を持つことは、すでにディーモルは把握済み。
あと一時間で作戦は開始される。その間に奴らが進化することなどありえない。
作戦が開始されれば、地球人類は残らず抹殺されることだろう。
ディーモルたちの勝利はすでに約束されていた。
そのはずだった。
『ん? これは……何だ!』
突然、観測員が意志を荒げた。
『どうした』
送られてきた意志の強さと勢いに押された上官は瞬時に意志受信を行い、観測員が感知した地球人の意志の動きを確認する。
そして上官もまた叫ぶことになる。
『何だ、これは!』
地球人の意志が、瞬時に統一されていた。
『さっきまではバラバラだったはずなのに、どうして急に……それも、これはきわめて広範囲です』
『進化したとでもいうのか。いや、有り得ない。この星の法則に反している』
数分前までは、地球人類の意志は確かにバラバラだった。
ガッコウやカイシャとかいう面倒そうな取り組みのことを考えている奴もいれば、同胞をいまにも殺そうとしていたり、そうかと思えば己の死をひたすら怖がっている何の得もない意志を世界に送りつけているだけの奴もいる。
実に多種多様であり、そんな雑多な思いが統制されることなく放置されている、何のまとまりもない蛮族。
それがいま、奴らの頭の中には共通するひとつの意志が芽生えている。それも一地域内だけの話ではなく、それこそいま観測しているどの大陸に住む人間のなかにも、同じ意志が共有されていた。
その意志は、ただ『クリスマス』といっている。
それが何を指すのか、ディーモルたちにはわからない。
『一大陸におさまらず、この意志はほとんど地球全土を覆っていると言っていい……馬鹿な、この数分で奴らは各個に意志を共有したとでもいうのか』
『ありえませんが……しかしこれはそうとしかいいようがありませんなあ』
二人はそう思い、そうしてその意志が瞬時にディーモル全員に共有される。
地球人類は、『クリスマス』という意志を共有した。しかしその『クリスマス』という言葉の意味が、ディーモルにはわからない。
ただ確実に言えることは、彼らのなかでは地球人類はもう蛮族ではなくなった、ということだ。
地球人類が一つの意志を全体に共有して見せたということは……つまり、彼らは自分たちディーモルと同じ高みに登り詰めた可能性がある。
ならば簡単に侵略できる相手と見くびるのも早計、という意見がすぐにディーモルたち全員に共有され、彼らの侵略作戦は延期されることになる。
地球人類はただただクリスマスという単語を思い浮かべていただけだったのだが……地球人類の笑顔を知らない宇宙人たちには知る由もないことだった。
そしてまた地球人類も、クリスマスという行事を楽しんでいるかどうかに関わらず、ただその言葉を胸に抱いただけで地球を救っていたなどとは、夢にも思っていなかった。