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49.普通の女の子よ

 ──私が自分から修道院に入った?一体なぜそんな話になっているのだ。

 食って掛かった私の気迫に面食らったキースがエドガーの後ろにサッと隠れ、顔だけを出しながら答える。


「う、うん。担任からはそう聞いたけど……? マリアがファザコ……父親想いなのは周知の事実だったし、ショックだったのかなぁって……違うの?」

「違うわよ! そもそも私、聖フィリア教信者じゃないし!」


 キースがファザコンと言いかけたことは一旦脇に置き、私はキースに叔父に嵌められて南の大修道院にいること、南の大修道院に所属している聖女候補が大祭に招待された関係で大祭に来ていること、そしてその聖女候補が熱中症でダウンしたため果実水と薬を買いに行ったらキースたちの奇襲にあったことを掻い摘んで説明した。貴族の父親が死んでその娘が修道院に入ったと聞けば普通は怪しむところなのだが、キースは基本的に人間に興味ないので額面通りに受け取ったのだろう。私も葬式こそ父の意向で行わなかったが、各方面へ訃報の手紙を出したり遺品の整理などが忙しく、学院に顔を出していなかった。叔父に騙し討ち同然で修道院へ連れて行かれる前に一度でも学院に行っていれば、キースはきっと信じなかったはずだ。


「じゃあ自分から辞めた訳じゃないんだね? ならさ、このままボクらと逃げちゃおうよ!」

「え?」


 逃げる。修道院での生活から抜け出せる──本来なら嬉しいはずのキースの申し出に、私は心から喜べなかった。

 もし逃げ出したとしても、魔術学院に戻るのは難しいだろう。秘匿されている秘跡の研究が頭の中にあるが、王立研究所が受け入れてくれるかどうかは分からない。別の人生を歩むにしても、策を練って叔父を蹴落とすにしても、しばらく身を潜めなければならない。その間の生活に見通しも保証もない。それに修道院を脱走すれば、すぐに叔父に連絡がいくはずだ。爵位を継いだ叔父を無暗に敵に回すのも得策ではない。元々手紙の検閲がなくなったら魔術学院で親しかった友人や父の教え子の中で力になってくれそうな者に自分の現状を訴えて修道院を出るつもりではあったが、流石に今キースの手を取って逃げ出すのは行き当たりばったりすぎる。


 そして何より──私が勝手にいなくなったら、心配する人たちの顔が頭に浮かんでしまったのだ。

 私は静かに首を横に振る。


「……ごめんなさい、それはできないわ」

「どうして!?」

「今逃げ出すのは簡単よ。でもその後は? 今の私には何の力もない。誰の手を借りるにしても、これからどう生きるにしても、準備が必要だわ。それに無理矢理入れられたとはいえ、修道院の人たちは私によくしてくれた。その人たちにきちんとお別れを言ってからでないと、きっと後悔するわ」


 まるで幼い子供が拗ねるように唇を尖らせるキースは納得できない様子だったが、私の言葉に渋々という体で頷いた。


「……分かった、マリアがそう言うなら。でも、絶対迎えに行くからね! 皆も寂しがってるし!」

「ありがとう」


 私は本当にいい友人に恵まれたと実感する。

 他人に興味がないサークルの友人たちのことだから私のことなんてとっくに忘れているのではないかと少し不安だったのだが、学院での生活を通して友情を築けていたようだ。

 今は再会の時を信じて、皆のところへ帰ろう。


「そろそろ戻らないと。……って私、どれくらい眠ってたの!?」


 中々戻って来ない私をきっと心配しているに違いない。私は慌てて立ち上がる。すでに薬は抜けていて、眩暈や頭痛はもうしなくなっていた。


「まだ一時間も経ってないよ。前から思ってたけど、マリア本当薬の効き弱いよね」

 近くまで送るよ、と申し出るキースに、これまで静かだったエドガーがおずおずと口を開いた。


「あの先輩、そろそろ打ち合わせの時間っスよ。準備しないとマズイんじゃ」

「あ、そうだった」

「打ち合わせ?」

「うん。夏至祭の後夜祭向けに教会から依頼がきててさ! 商品の納品と段取りの最終チェックが今日なんだよね。管理が難しいから人任せにできなくてさ」


 後夜祭とは大祭の最終日の夜、儀式の後に行われる催しだ。てっきり観光に来たのだろうと思っていたのだが、仕事で来ていたのか。

 キースに部屋の隅にある大きな箱の前に手招きされ、箱の中身を見せられる。


「そうだ、マリアにも一つあげるよ」

「え? でも……」

「いいからいいから。広いところで使ってみてよ。それは特に自信作だからマリアに見てほしいんだ!」

 使いどころがない、と言う前に、ご丁寧に小さな箱型の魔道具に密閉させてから箱の中の物を押しつけられる。


「それなら、受け取っておくわ」

「うん。後夜祭、ド派手に打ち上げるから楽しみにしててよ! エド、代わりに送ってって」

「はいッス」


 それからキースは箱の中の物に真剣な表情で向き直り、一度こうなると自分の世界に入って戻ってこないのを知っている私はそのまま部屋を立ち去った。

 てっきり宿の一室かと思っていたが、一軒家を借りていたらしい。キースは王都で薬学が推奨されるようになってから薬の特許で大儲けしたと聞いたことがある。今回納品する物の危険度を考えれば、宿屋やアパートよりも妥当だろう。


「マリア先輩、よかったらこれも」

 家を出たところで、エドガーに紙袋を差し出された。中には薬の瓶が数本入っていた。

「聖女候補様、具合悪いんすよね。先輩が調合した中から効きそうなのをいくつか持ってきたッス」

「ありがとう、露店では薬屋さんが見つからなかったの」

「そりゃそうっしょ。大神殿までいけば治してもらえるんだし。……でしょうし、売れないモンをわざわざ売りに来ないッスよ」


 言われてみれば確かにそうだ。薬をありがたく受け取り、エドガーの案内で大通りまで出る。マーケットはお昼を過ぎてさらに賑わい、エドガーが人混みから私を守るように前を歩いてくれなければ、噴水広場に辿り着くのがもっと遅くなっていたかもしれない。


 さらにエドガーはキースに薬を嗅がされたときに落としてしまった果実水を露店で買い直してくれたのだ。エドガー曰はく「俺が後からキース先輩に怒られるんで、受け取ってくださいッス」とのことだったが、彼が個人的に申し出ていることはすぐに分かった。なぜならキースはそこまで対人関係において頭が回らない。駄目になった果実水など気にも留めていないだろう。そして果実水をさりげなく持つ気遣いに、本当にいい子がサークルに入ってくれたと私は感動しっぱなしだった。彼にならサークルを任せられる。私はサークル部員が問題を起こしたときの対処法や回避方法を出来得る範囲で教えられるだけ教えた。エドガーには涙声で感謝された。


「そういえばマリア先輩。南の聖女候補と一緒にここに来たって言ってたッスよね」


 私の壁になるように前を歩いていたエドガーが、不意に話題を変えた。


「ええ」

「南の聖女候補ってどんな人なんスか?」


「うーん、そうねぇ……」

 エドガーの問いに、私は少し悩んでから答えた。


「女神に祈りを捧げる姿は清廉で美しく、勤勉で努力家、そして誰にでも分け隔てなく優しい──でも、普通の女の子だわ」


 このシスター・カトリーヌへの批評を南の大修道院にいる熱心な聖フィリア教徒が聞いたらきっと怒り出すか諫められるだろう。そして聞く人が聞いたら嫌味と捉えられるかもしれない。私にはエドガーの背中しか見えず、聖フィリア教徒で聖女という存在に夢を見ているのか、単なる世間話か好奇心で話を振ったのかは分からないが、それでも私は、カトリーヌという少女が一人の人間であると知ってほしかったのだ。

 前にいるエドガーがぴたりと立ち止まる。こちらを振り返った彼の、驚きで見開かれた目と視線がかち合った。


「────」


 エドガーが口を開こうとした瞬間、通行人と肩がぶつかった。その衝撃でエドガーの手から果実水の入った木のコップが滑り落ちる。

 しかし地面に果実水をぶちまける寸前で、エドガーの影の中から黒い狼が現れ、果実水を器ごと吸収して再び影の中に戻った。


「おいルチフェロ!」


 エドガーが影の中に呼び掛けると、一瞬だけ影が嘲笑うように狼の形に変わった。

 私が目を白黒させてその光景を見ていると、エドガーの顔がさっと青褪めさせる。


「エドガー貴方、もしかして闇属性……?」

 エドガーが表情を強張らせたのが、答えだった。

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