42.雨上がりに
「あらアレク、貴方も休憩?」
旧礼拝堂に足を踏み入れたアレクシスに私は声を掛けた。
「いや、君を探していたんだ」
「私を?」
「今日は休みだと聞いたが、十中八九仮病なのは分かり切っていたからな。部屋に籠るよりはここにいるだろうと来てみれば、案の定だ」
どうやら私の隣に腰掛けたアレクシスはすでにサボりがバレているらしい。内心冷や汗をかきながら休憩中を装ったのだが、特に咎めはなかった。少し拍子抜けしながらも、こちらの思考を見透かすようなアレクシスの発言に唇を尖らせる。
「失礼ね。確かに今日は仮病を使ったけれど、私だって体調を崩すことくらい……」
「昔から風邪一つ引かなかった君がか?」
「うぐッ」
それを言われると何も言い返せない。確かに生まれてこのかた、私は病気らしい病気に罹ったことがないのだ。王都で流感が流行り、父や周りが寝込んでいるときも私一人だけピンピンしていた。私は父まで逝ってしまうのではないかと不安だったが、父の方は私が付きっきりで看病していたことが嬉しかったらしい。
そういえば、少し肌寒い風の吹く秋の日にいつものように垣根をくぐって庭にやって来たアレクシスを横目に本を読んでいたのだが、見事にアレクシスだけ風邪を引いたこともあったような。
「で、サボりのお説教じゃないなら、一体何の用で来たの?」
「君に聞きたいことがあって来たんだ。昨日はすっかり聞きそびれてしまったから」
そういえば、なぜ昨日教室に来たのかは聞いていなかった。てっきりラピス大司教からシスター・カトリーヌへ伝言でもあったのかと思っていたが、私への用事だったとは。昨日はすっかり魔術理論に関して熱くなってしまった上に、最後はあんな空気にしてしまって、アレクシスにも悪いことをしてしまった。
「どんなことでも構わない。精霊に関して教えてほしい」
「精霊?」
「ここにある御遣いに関する文献をすべてかき集めてみたものの、今回の奇跡のようなケースや有力な情報は得られなかった。だからもっと広範に渡って調べる必要があると思ったんだ」
「なるほど、それで今度は精霊について調べているわけね」
アレクシスが首肯する。
南の大修道院は学びに特化しているゆえに図書館の収蔵量もかなりのものだったはずだ。よくあれだけ多くの蔵書の中から調べたものだと素直に感心した。
奇跡の調査に躓いた場合にアプローチを変えるという発想も悪くない。
ただ、私の専門外であるというだけで。
私は首を捻りながら魔術学院での授業を思い出す。
「うーん……、講義で学んだ範囲でいいなら。魔術学院でも精霊に関する研究はあまり進んでいないのよ。精霊って一口に言っても自然の概念に近いものがほとんどで、言葉を介した意思疎通ができるような上級精霊は滅多に姿を現さないもの。精霊学士……魔術師の中でも精霊研究をしている学者もいるにはいるけれど、年中フィールドワークで出払っているし……」
精霊は自然を司る存在で、高純度のマナが集まって誕生する。水の精霊は清廉な泉の近くで、火の精霊は火山地帯で、といった具合だ。そのためマナの濃い場所、すなわち自然の多い場所を好み、生まれた土地から離れることはほとんどない。
そのため精霊学士は自然あふれる秘境に出向いて精霊を観測し、彼らと契約を交わそうと躍起になっているが、知性ある精霊は警戒心が強く排他的な性格の者が多いため、人間が精霊の住まう土地に足を踏み入れたとしてもその姿を見ることはまずない。
また、シスター・カトリーヌやラピス大司教にガブリエラが光の球体としてしか見えないのがいい例で、概念に近い低級精霊に人間側から交流を図るのは難しい。
「力になれなくてごめんなさいね」
「いや、僕の方こそ無理を言った」
「光の精霊は女神直属の眷属と謳っているくらいなら、もっと教会や修道院にいてもいいと思うのだけれど」
脇に避けていた聖典に手に取りながら自称御遣いを名乗る小人の方をじっと見つめた。
私の隣に座ったアレクシスをずっと威嚇し続けていたガブリエラがこちらの視線に気づくと、ないない、というように手をヒラヒラと振る。
「えぇ、ないない。ないですよ~。この地はまだマシですが、人里の方は特に光のマナが薄いですし、女神様からの命がない限り我々が俗世に出向くなんて滅多にありませんよ。私が最後に地上に降りたのは魔王を封印した聖女様の代ですね~」
精霊が滅多に人前に姿を現さない理由と同じで頭が痛くなる。
ラピス大司教やシスター・カトリーヌがガブリエラのことを光の精霊として認知していることに加え、ここにきて一般的な精霊の特徴と一致する共通点も明らかになった。様々な情報を鑑みるに目の前の小人が光の精霊であることは間違いないだろうが、精霊の存在を無意識に感じていた私が小人の幻覚を見ている可能性も捨てきれない。
もちろん私だって自分が幻覚を見ていると思いたくはない。だがそれ以上にこの小人を御遣いであるとも、自分が聖女であるとも認めたくないのだ。
「せめて精霊と契約している人間を紹介できればいいのだけれど、私の知り合いにはいないし…………アレク?」
反応が薄いのを訝しんでアレクシスの方を見遣る。するとアレクシスがこちらを凝視して固まっていた。
正確に言えばその視線は私の手の聖典に注がれている。アレクシスの考えていることが手に取るように分かった私は、先手を打って彼の言葉を遮った。
「マリア、」
「違うわよ。これは秘跡の解読のために読んでいただけ。確かに昨日は我ながらどうかしていたけれど、信仰に縋ろうと考えるほど思い詰めてはないわ」
「……そうか」
アレクシスはまだ何か言いたげであったが、それ以上追及してくることはなかった。
そしてしばらくの間、アレクシスは何も聞かずにただ側にいてくれた。
私には、それだけで十分だった。
母が私を産んで死んだこと、母の実家に疎まれていること、叔父にすべてを奪われた私に帰る場所なんてもうないこと、シスター・カトリーヌを悲しませてしまったこと、そして──父の死を受け入れられないこと。
これまでは修道院での生活に慣れるのに精いっぱいで考える余裕がなかっただけで、今胸の中で渦巻いている思いを口にしてしまえば、私はきっと一人で立てなくなるから。
旧礼拝堂に沈黙が落ちる。
雨はいつの間にか止んでいた。
心地よい静寂に身を委ねていると、我が家の中庭でアレクシスと二人で過ごした日々を思い出した。大抵は本を読んでいる私の隣にアレクシスが座っていただけだったが。
懐かしい気持ちに浸りながら、私は途中でやめていた網み物を再開した。
読書から編み物に代わっても、私の横顔や手元を見るアレクシスの真剣な眼差しは少しも思い出の中の彼と変わらなくて少しだけ笑ってしまった。
「器用なものだな」
「やめてよ。刺繍の時間を読書に当てたかったから仕方なく身に着けただけなの、知ってるでしょ」
刺繍糸で小さな花をレース編みの要領で編み、いくつか編んだところで十字架の形に繋げていく。それらしいモチーフとして十字架を選んだが、正直用途としてはどこかに飾るくらいしか思いつかない。
「それもバザーの売り物に出すのか?」
「流石に習作に作ったものを出すつもりはないわよ。他のバザー品のおまけ程度がせいぜいね」
三つほど作ってはみたものの、かぎ編みは久しぶりだったため花の形は少し歪で、とてもバザーの商品にはできそうもない。
どうしたものかと唸っていると、アレクシスが一番出来の悪い十字架の刺繍を手に取った。
「売り物にしないなら、僕がもらってもいいか」
「ええ、別に構わないけれど……。それならせめてこっちの綺麗な方にしてちょうだい」
「分かった」
比較的整った方の刺繍と交換すると、アレクシスは懐から聖典を取り出し、刺繍をその中に大事そうに挟んだ。
なるほど、栞代わりにする手があったか。
「じゃあ、僕はそろそろ戻る。君も、昼には誰かが部屋に様子を見に来るだろうから、その前に戻った方がいいだろう」
「ええ、そうさせてもらうわ。あ、ねぇ、アレク!」
私は立ち上がると、旧礼拝堂の扉に手を掛けるアレクシスの背に声を掛けた。
アレクシスがゆっくりと振り返る。
「……ありがとう」
精霊について聞きに来たのは、多分口実だ。昨日から様子のおかしい私を、いや、その前からアレクシスは見守ってくれていた。
聖職者として葬儀で故人を送り、残された遺族を見てきたアレクシスには分かっていたのかもしれない。南の大修道院で再会したあのときから、いつか私が父の死に打ちのめされる日が来ることを。
アレクシスは目を細め、旧礼拝堂を後にした。
去り際何か言ったようだが、小さな声で私には聞き取れなかった。
アレクシスの性格からして、どういたしまして、とかだろう。
「聖女様!」
扉が閉まった途端、ガブリエラが眦を吊り上げてずいっと私に迫った。
「本当に、本当にあの男とは何もないんですよね?」
昔から私たちの仲を知っている人間によくその質問をされるが、なぜだろうか。
私はいつものように、決まり切った返事を返した。
「ただの幼馴染みよ」




