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38.秘跡の綻び

あけました、おめでとうございます。

 シスター・カトリーヌ宛てにもたらされた招待状により、南の大修道院での夏至祭の準備と並行して、西の大神殿へ旅立つ準備も行われている。

儀 式の聖女役を降ろされたものの、聖フィリア教の重鎮として儀式の見届け人として参加予定だったラピス大司教にも、同様の招待状がご丁寧に点字で届いたらしい。

 次期聖女の座を狙っていることを隠そうともしない招待状の文面にラピス大司教は懸念を示していたが、一大派閥を築くヒルダレイア大司祭の意向を無視するわけにもいかなかったこと、何よりシスター・カトリーヌ本人が見届け人としての参加を強く希望したことから参加を認めた。


 道中のラピス大司教の護衛騎士とシスター・イレーナが担うことになり、私とシスター・コレットもシスター・カトリーヌの世話役としてついていくことになった。

 本来私やシスター・コレットは同行できる立場にないが、招待状に私の名前があったのもあり、次期聖女の仮の侍女としてついていくことに決まった。

 最後に会ったとき、ヒルダレイア大司祭の顔には確かに悲しみが滲んでいた。

 きっと父を亡くしたばかりの私を気遣って私を名指ししてくださったのだろう。

 父は私にとっても唯一の肉親だったが、きっとヒルダレイア大司祭にとっても唯一の理解者だったのだ。


 儀式の見届け人には教会のトップや王族などが来賓として招かれるため、シスター・カトリーヌの講義内容もマナーや言葉遣い、儀礼に関する授業を中心に組み直され、ラピス大司教直々の講義も増えた。

 シスター・カトリーヌはより一層熱心に取り組んでいるが、私には気がかりなことがあった。


「シスター・カトリーヌ、シスター・カトリーヌ。……カトリーヌ!」

「へ? は、はい!」

「またぼーっとしてたわよ」

「す、すみません……」


 私が声を張り上げると、シスター・カトリーヌはびくりと肩を震わせながらようやく返事をした。

 西の夏至祭行きが決まって以来、シスター・カトリーヌは前にも増して上の空でぼんやりしたり、思いつめた顔で何か考え事をすることが増えたのだ。

 恐縮するシスター・カトリーヌをそれ以上追及せず、私は両手に抱えていた本を机の上に積んだ。


「ほら、向こう側にあった夏至祭関連の資料はこれで全部よ。地下書架の方はどうだったの?」

「司書の方に許可をいただいて、いくつかお借りしてきました」

シスター・カトリーヌは数冊ある古びた本のうちの一つを掲げてみせる。

「できるだけ自分で調べますが、その、もし分からないところが出てきたら……」

「ええ、教えるわ。古代語は魔術書で読み慣れてるから」

「ありがとうございます!」


 今、私たちがいるのは図書館の一角にある自習室。

 夏至祭の成り立ちや大祭で行われる儀式について詳しく知りたがったシスター・カトリーヌに頼まれ、調べものに付き合っている。


 休憩時間や移動中にぼんやりしているシスター・カトリーヌを見るに見かねて一体何を悩んでいるのか尋ねたことがきっかけだ。

 彼女はうろ、と視線を彷徨わせてから「図書館で調べものをしたいが古代語で書かれている本が多く困っているのだ」と答えた。

 はぐらかされているのは明白で、こんなときアレクシスならもっと上手く聞き出せるのに、と歯噛みした。

 前にシスター・カトリーヌの相談に乗るように頼みはしたものの、ラピス大司教の補佐として多忙を極める今は難しい。

 話す気がない人間をさらに追及するつもりもなかったので、多少なら古代語を教えられるとシスター・カトリーヌの話に乗ったのだ。


 そして私が一般書架を探している間に、シスター・カトリーヌは一部の聖職者にしか出入りできない地下の特別書架で目当ての本を見つけたようだ。

 私は持ってきた本を夏至祭について記されていた本とそれ以外とで分け、少ない方の山を指さした。


「あちこち回ったつもりだけれど、どうにも文献が少ないわね。古代語で書かれたものも含めてこれだけだもの」

 流石は秘密主義、と口には出さずにシスター・カトリーヌの隣に座った。


「そちらの本は?」

「ああ、こっちはその……個人的なものよ。寝る前に何か読もうと思って」

 持ってきた書物のうち、多い方の山はガブリエラにせがまれて借りたものだ。

 古代語で書かれた教典や聖フィリア教史の本をはじめとした神学関連の資料は私の眠気を誘うのは間違いない。


 私は夏至祭に関する本の中から古代語で書かれたものを手に取ると、頁をめくって黙々と読み進めていく。

 かつて聖女によって滅ぼされた魔王が復活し、魔物の軍勢を率いて人の国を蹂躙せんとしたのを女神の力を授かりし時の聖女が魔王を封印した。

 聖女をはじめとした犠牲者の追悼のために始まったのが夏至祭である。

 ここまでは聞いていた通りだ。


 さらに目新しい記述があるとすれば、魔王は漆黒の鎧を纏い、呪いの力──闇属性の術を付与した禍々しい剣・槍・弓・杖を振るい、聖女は白銀の鎧を纏い、神秘の力──秘跡の術を付与した聖なる剣・槍・盾・旗で対抗したということくらいか。

 なお聖女の武器の中で、鎧と旗だけは激しい戦いの後も壊れることなく残り、今も聖騎士の間に受け継がれているらしい。


「聖女様、儀式について何か書いてありましたか?」

 書物に一通り目を通したところで、机の上に座りながら本を覗いていたガブリエラに袖を引かれた。

 尋ねられるまで気がつかなかったが、夏至祭の成り立ちまでは書いてあっても、いつから西の大神殿で封印を強化する儀式が始まったのかはどこにも書いていなかった。

「夏至祭成立当初には儀式は行われていなかった、ということかしら」

 年表でもあれば分かるだろうか。


 ふと顔を上げると、横にいるシスター・カトリーヌが古代語の辞書を片手に特別書架から借りてきた本を広げて小さく何かを呟いていた。

 眉間に刻まれた皺を見れば読書の進み具合が知れるというものだ。

 シスター・カトリーヌの真剣な面差しに、私が調べた夏至祭の情報を伝えるべきか躊躇してしまう。

 そもそも調べもの自体がシスター・カトリーヌの悩みから話題を逸らすための方便であることは、私では読む許可の下りない地下書架の本を選んでいる時点で明らかだからだ。

 しかし一応は教えるという名目で来ているので、シスター・カトリーヌに一声掛けることにする。


「行き詰ってるみたいだけれど……。気になるところとか分からないところ、本当にない?」

 シスター・カトリーヌがパッと顔を上げ、縋るような目を私に向ける。

 そして読んでいた本を私とシスター・カトリーヌの間にずらして、とある頁を指し示した。

「ええと、何々……? 魔王封印の儀……ってこれ、私が読んでも大丈夫なの?」

 どうやら地下書架から借りてきたのは上級秘跡の教本らしい。

 魔王封印のための秘跡とはつまり、聖女やそれに連なる役職にしか伝わらない秘術のはずだ。


「あまり大丈夫ではないと思うんですけど……。いえ、本当に秘匿すべき術は口伝と聞いているので大丈夫です! この部分だけでいいので、教えてください!」

 シスター・カトリーヌがぺこりと頭を下げる。

 まさか本当に分からないところだけ聞こうとしていたのだろうか。


「そ、そうね。少し訳すだけでいいなら、手伝うわ」

「聖女様、すごい顔がにやけてますよ~」

 失礼な。あくまで素直に教えを乞われたのを無碍にできないだけであって、決して秘跡の書物、それも古代語で書かれた書物を読みたいなんて不純な理由ではない。

 自習室が仕切りで遮られており、仕切りの外にいる護衛のシスター・イレーナや他の図書館利用者からも見えていないのを確認してから、私は上級秘跡の本を覗き込んだ。


 教本には夏至祭の儀式の細かい手順や術式を発動するための詠唱が記されていた。原本からの 写本のようで、古代語で書かれてはいるが、紙質やインクの色合いから執筆された年代はそこまで古くはない。単に上級聖職者にとって古代語は必須の教養なのだろう。

 必要な祭具や補助術師の数、何百章にも及ぶ呪文、中央に敷く魔法陣の規模からして、儀式は大掛かりなものであることが分かる。

 シスター・カトリーヌに古代語の文法を教えながら書かれた呪文を翻訳していると、段々と文章に違和感を覚えた。節と節の間がところどころ抜けているように感じるのだ。

 今のままでも意味は通じるし、構造も理解できないこともない。魔術とは異なる術式ゆえに気になってしまうだけと言われればそれまでなのだが、魔術師の直感が「欠けている」と告げているのだ。


 結局、古代語の解説を交えながらではその日のうちに膨大な文章を訳すことはできず、図書館での調べもの兼古代語の勉強会はお開きとなった。

 地下書架の本は貸出禁止かと思いきや、許可さえあれば通常の書籍と同じように借りられるものらしい。次期聖女への信頼が厚い。

 私が資料を元の棚に戻している間にシスター・カトリーヌが上級秘跡の教本の貸出手続きをあっさりと済ませていた。


 部屋へ戻る道すがら講義や休憩時間の合間に少しずつ古代語を教える約束をして、それから私が調べた夏至祭の内容を掻い摘んで話す。

「聖なる武器……。そういえばさっきの教本にも道具に聖なる加護を付与する秘跡について載っていたような」

「やっぱりあの本、許可のない私が読んだらまずいんじゃないの? 私よりも神学校の教師陣に質問した方がいいんじゃ……」

 かつて魔王を封じた聖女の使った秘跡も記されていることを知り、私は約束通りに古代語を教えるのを躊躇ってしまう。

 秘跡の仕組みは気になるが、引き際も肝心だ。秘密を知りすぎて修道院に囲われることなどあってはならない。


 護衛として半歩下がってついているシスター・イレーナに聞こえない声量でこっそり話すと、シスター・カトリーヌはしゅん、と肩を落とした。

「先生方は、まだ私には早いっておっしゃるんです。確かにまだ中級秘跡しか使えませんが……。どうしてもヒルダレイア大司祭様がどんな儀式を行うのか知っておきたくて」


 確かに知らなくても問題はないのだろうが、次期聖女の有力候補が招待された儀式の内容を全く知らないというのは、見届け人としてやって来る総本山のお偉方への心証も悪くなってしまうかもしれない。

 しかしシスター・カトリーヌの表情からはそういった打算ではなく、彼女自身の勤勉さから申し出ているのが伝わって来る。

 

「なるほどね。そういうことなら協力するわ。ただし、私の教えは厳しいわよ」

「はい、頑張ります!」

 学者であった父は、向上心のある弟子や生徒を教え導くことに労力を惜しまなかった。

 きっと父ならば、学びに対して真摯な願いを拒否したりはしないだろう。

 

 ──そうですよね、お父様。


 記憶の中の父が優しく笑った気がして、少しだけ胸が痛んだ。


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