4.無神論者の私が自ら修道院に入る訳がない。
アレクシスに案内されたのは修道院の隅にある、古びた礼拝堂だった。
「旧礼拝堂だ。もう随分前から使われていないから、誰も寄り付かないだろう」
「よくこんな場所知ってたわね」
私は旧礼拝堂の中を見回した。建物内は長年手入れされておらず埃っぽいが、どこも壊れた様子はない。ガブリエラではないが、本当に男女の密会にはうってつけの場所だろう。
私の前をガブリエラがアレクシスから両手を広げて庇うように飛んでいる。
「ああ、王都の神学校の交換生として半年間だけこちらの神学校で学んでいた頃に見つけたんだ」
長椅子は埃だらけで座れそうにないので、必然的に立ち話になる。
「マリア。アシュフォード伯、いや、お父君のことはお気の毒だった。どうかその魂に安らかな眠りがあらんことを」
「……ありがとう、アレク」
私の亡き父は王都の大学で教鞭を執る学者だった。研究分野は多岐に渡り、そのすべてで頭角を現す本物の天才。万学の祖、偉大な碩学。
幼い頃は父のフィールドワークについていき、様々な地方や他国を転々としたものだ。
祖父が亡くなって父が爵位を継ぎ、王都で過ごす時間が増えたのは七歳のとき。
今思えば父が王都に寄りつかなったのは、屋敷にいると死んだ母を思い出すからだろう。
そんな父は突然の心臓発作であっけなく亡くなった。
葬儀などは行わず、無神論者であった父の遺言に従い火葬して遺灰を海に撒いた。
聖フィリア教は土葬であり、火葬は忌避されるため私が父の遺体を上級火属性魔術の高熱で焼いて。
「だがなぜ修道女に? てっきり結婚するものだと……」
「……私もそのつもりだったわよ。話があるって呼び出されて叔父上の屋敷に出向いたら薬で眠らされて、目が覚めたら修道院のベッドの上だったってわけ。あーあ。結婚したら嫁ぎ先と結託して領地を乗っ取ってやろうと思ってたのに」
私が唇を尖らせると、アレクシスが苦笑いする。
「確かに君ならやりかねないな……」
父が亡くなった後に領地を継いだ叔父は、私をどこかに嫁がせて多額の結納金をもらう代わりに当主の座を追われるリスクを背負うよりも、持参金が掛かってでも修道院に幽閉した方がいいと判断したのだろう。
叔父に私の性格を完全に熟知されているのが解せない。
そもそも私が領地を継ぐ気になったのは、父が研究に集中するために領地経営を叔父に任せた結果、新しい事業や投資に失敗して財政を傾けたからなのに。
「君のような才媛を失って王立魔術学院の者たちはさぞ嘆いているだろうな」
私ははぁ、と大きく溜息を吐いた。修道院の中にいては確認する術がないが、きっと学院は辞めさせられただろう。後期分の学費が叔父上に返還されたかと思うと少々、否、かなり腹立たしい。
この国では子供は大人の所有物という考えが当たり前だ。
幼いうちに死亡する確率が高い子供を守るためというのが理由だが、それを建前に貴族では家の財として当主の支配下に置かれる。
私が爵位を継げなかったのは余程の理由がない限り未成年には爵位の継承が認められないからだ。
私はさらに大きなため息を吐く。胸の中をどす黒い澱が心を蝕んでいくようだ。
「マリア、僕でよければ何でも力になるからな」
アレクシスが私の両手を握った。紫紺の瞳が私を射抜く。その目の力強さは、昔から少しも変わらない。
ガブリエラがふしだらな!と騒いでいるが、それもどこか遠くに聞こえる。
「ありがとう、アレク」
私はアレクシスを見つめ返して微笑んだ。胸でわだかまる黒い感情が薄れていく。
「それじゃあ遠慮なく」
「……マリア?」
「聖女様!?」
私の目つきが鋭くなったのを見て、アレクシスがたじろいだ。私は逃がさないとばかりに握られていた手を逆に握り返す。
「教会の権力機構に取り入れられた文化や学問以外ろくに研究すらできないことに対する憤りを聞いてちょうだい……!」
小一時間たっぷりとアレクシスを話に付き合わせ、私は旧礼拝堂を後にした。
私は外の空気を吸って伸びをする。思いがけず取り繕う必要のない相手に愚痴をこぼせる機会が巡ってきて、つい熱が入ってしまった。
「あーすっきりしたわ!」
「そ、そうか。俺で役に立てたのならばなによりだ」
後ろにいるアレクシスを振り返ると、彼は疲れ切った顔で旧礼拝堂の扉にもたれかかっていた。
「流石聖女様、神学への造詣が深くていらっしゃる!」
ガブリエラが目を輝かせて私を見つめているが、私が論じたのは神学ではなく宗教学だ。
亡き父の研究分野の一つに宗教学だっただけだ。もっとも父の書斎から私が生まれる前に執筆したと思われる論文が出てきたのは驚いたが。
「とりあえず、蔵書については検討しよう」
「ありがとうアレク」
教会に着く前にアレクシスと別れ、一日の務めを終えた私はベッドの中に入った。旧礼拝堂は掃除をして、静かに本を読みたいときにでも使わせてもらおう。
『マリア、僕でよければ何でも力になるからな』
瞼を閉じると、私の手を握ったときのアレクシスの言葉が脳裏に蘇った。自然と口元に笑みが浮かぶ。
私はその日、父が亡くなってから初めて深く眠ることができた。