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32.夏至祭と魔王

「ヒルダレイア大司祭様、もうお帰りになってしまったなんて……」

 日の出とともに西の大修道院の一行が南の大修道院を出立したことを朝食の席で知らされ、私はがっくりと肩を落とした。

 元々予定にない訪問であったこと、を頭では理解しているが、それでも落胆の色を隠せないでいるのは、ヒルダレイア大司祭が滞在している間に父の話を聞けるかもしれないと淡い期待を抱いていたからに他ならなかった。


「聖女様~食欲がないならそのオレンジ、私がもらってもいいですか?」

 あまり食が進まず、いつも以上にパンを小さくちぎってちまちまと口に運んでいると、ガブリエラが目を光らせて私と一口大に切り分けられた果物を交互に見遣った。

 普段の朝食に果物などの甘味は出ないので、本来は西の客人に振舞われるはずのものだったのだろう。

 私は無言でオレンジをフォークで刺すと、柑橘系の特有の酸味を舌で味わう。

 フルーツの果肉が私の口の中に消えていくと、ガブリエラが悲鳴に似た声を出す。


「も、もうすぐ夏至祭もありますから。に、西は特にお忙しいんだと思います」

 今日も絶好調な幻聴を聞き流していると、隣で食事を取っていたシスター・コレットが口を開いた。

 最近聞き取りやすくなってきたシスター・コレットの声に、少しは心を開いてくれるようになったことを嬉しく思う。

 彼女は昨日私とアレクシスがヒルダレイア大司祭とお茶会をしたことを知らないはずなので、ただ単に私の呟きを拾ったに過ぎないのだろうが、彼女の言葉の中に引っ掛かる単語があった。


「夏至祭って……、ああ。あの、花を飾ったり贈ったりする? もうそんな時期になるのね」


 夏至祭は無神論者の私でも流石に知っている聖フィリア教の宗教行事の一つだ。

 あとは初代聖女の生まれた日を祝う聖誕祭と、年始に聖女が女神の言葉を賜る降臨祭しか知らない。

 夏至祭の日は王都の街が花で溢れ、普段は庭の垣根をくぐってこっそりと私に会いに来ていたアレクシスも、この日ばかりはアレクシスも花束を携え堂々と屋敷を訪ねてきていた。

 私は聖フィリア教徒ではないから何も贈ることはないというのに。

 日頃の礼のようなものだから気にしなくてもいい、とアレクシスは言ったが、一方的に贈られるだけなのは性に合わないので貰った花束でポプリやサシェを作って後日渡していた。


 そうか。汗ばむ陽気の中、吹き渡る風の爽やかさを感じていたが、もう本格的な夏が近づいているのか。

 聖フィリア教の祭なぞには全く興味ないとはいえ、修道院に閉じ込められてから早数か月経つのだと改めて実感して少し憂鬱になる。


「そ、そういえば、こ、国教会の夏至祭は少し簡略化されていましたね」

「あら、そうなの?」

 シスター・コレットの口ぶりで、どうやら私が認識している夏至祭と本来の夏至祭にはずれがあることが分かった。

 もっとも国教会管轄の王都での夏至祭との違いがあるからというより、単に私が宗教行事に疎いだけなのだが。

 そんなこととは露とも思っていないシスター・コレットは、夏至祭の起源について説明してくれる。


 そもそも夏至祭は、かつて世界を滅ぼさんとした魔王を命と引き換えに封印した聖女と魔物に殺された犠牲者の死を悼み、各地の神殿や教会に花を手向けるようになったのが始まりなのだという。

 決戦の地であった魔王城を取り壊した上に建てられ、今も封印を守り続けている西の大神殿で最も夏至祭が盛んに行われ、大神殿のほど近くにある西の大修道院は祭の準備に毎年大忙しらしい。

 なるほど、それなら西の大修道院を事実上取り仕切っているらしいヒルダレイア大司祭がすぐに帰ってしまったのも頷ける。

 南の大修道院でも近隣の住民のために花を供えるための簡易的な神殿を用意し、南で一番大きな街の大聖堂でバザーを行うなど大々的に祝うそうだ。


 言えない。夏は気候の関係で花の種類も少なくなって売れゆきが悪くなるため、花き業界と教会が結託して作った文化だと思っていたなんて。


 それにしても、まさか夏至祭のルーツが魔王にあるとは思いも寄らなかった。


「魔王ねぇ……」


 魔王──数多の魔物の頂点に立ち、統べる王。

 王国の長い歴史の中に何度も登場し、世界征服を目論み人間へと戦争を仕掛けて王国を、世界を混沌の渦へと堕とし入れた存在である。

 様々な文献や歴史書などにその名が記されてはいるものの、強大な闇属性の魔力を持ち、魔物を率いて人間の国に侵攻したということ以外詳しいことは分かっていない。

 そもそも魔物からして生態系や成り立ちからしてまだまだ謎が多いのだ。

 気性が荒く必ず闇属性と他属性の複合魔力をもつこと以外共通点はなく、動物と外見の似通った魔物であってもそれぞれ異なる先祖をもつ。

 歴史上最後に現れた魔王ですら数百年前に女神の神託を受けた聖女が封じたことも相まって、半ば御伽噺の存在と化している。

 ただ、その歴史上聖女と魔王は幾度となく対立していることから、聖フィリア教は闇属性の魔力を持つものを不倶戴天の敵として排除するべき対象とみなしている。


「…………」


 そして、夏至祭の時期が近づくと修道女の労働は皆バザー用の針仕事になることを聞かされて絶句していた私は──気がつかなかった。

 このとき、いつでもかしましいガブリエラがやけに静かだったこと、険しい表情で何か考え込んでいたことに。


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