30.亀裂
前話の29.をほぼほぼ全改稿しました。
よろしくお願いします。
南の大修道院で一番大きな会議室の中、修道院長をはじめとする南の大修道院の主要な有力者とラピス率いる調査団の代表者、そして西の大修道院から訪れたヒルダレイアによる会談が行われていた。
「まぁ、集団食中毒……!? それはさぞ大変だったでしたのね。申し訳ありません、知っていればこんな時期に押し掛けたりしませんでしたのに」
「いえいえ、幸いにもシスター・カトリーヌのおかげで大事には至りませんでしたので」
「あら……それはそれは」
扇で口元を隠しながらヒルダレイアがちらりと流し目でカトリーヌ見遣ると、その場にいる全員の注目がカトリーヌに集まった。
しかしカトリーヌがその視線に気づいた様子がなく、ヒルダレイアの柳眉に皺が寄る。
次期聖女とはいえカトリーヌが目上のヒルダレイアを相手にしない、という状況に周囲の空気が張り詰めていく。
「そういえばヒルダ、どうしてわざわざ南まできたんですかー?」
そんな空気を変えたのは、視線に気がつかない──否、気づきようのないもう一人の人間だった。
間延びした口調でラピスが尋ねれば、自分のペースを乱されたとばかりにヒルダレイアが剣呑な目つきを緩める。
「失礼ですわね、貴女にそれの改良版を持ってきたと言ったでしょう? 軽い、壊れにくい、折りたためる、振動が伝わりにくい、多少の段差なら乗り越えられる……要望通りのものを結構作るのに苦労したんですのよ。それなのに貴女、南に行ってしまったというではないの」
「すみません、なにせ緊急事態だったのでー」
ラピスが座っているのは会議室備え付けの椅子ではなく、車輪がついた車椅子だった。
足の悪いラピスのためにヒルダレイアが作ったもので、会談前にやっとラピス本人を乗せての最終調整を終えたばかりだった。
「貴女が何か視ては急に飛び出していくのはいつものことですから気にしませんわ。ただ、本部に車椅子を置いて帰るだけというのも……。それなら貴女に直接渡して、ついでに南の聖女候補の顔も拝んだって罰は当たらないでしょう?」
ヒルダレイアが挑発的に目を細めてカトリーヌを見つめるが、シスター・カトリーヌはぼんやりして会談に集中していないようだった。
「シスター・カトリーヌ?」
「聖女さま?」
「え、あ……す、すみません」
周りの呼びかけでようやく我に返ったカトリーヌがぺこぺこと頭を下げる。
これ見よがしに落胆の溜息を吐いたヒルダレイアのカトリーヌを見つめる目は冷えきっていた。
「シスター・カトリーヌ。ここ数日で貴女の素質を見定めておりましたが……心ここにあらずといった様子に、自信の無さが滲み出た態度。おまけに礼儀作法もまるでなっていない。果たして本当に聖女なんて勤まるのかしら」
パチン、と扇子を閉じ、ヒルダレイアが酷薄な笑みを浮かべる。
「悪役令嬢……」
ヒルダレイアが醸し出す妖しい妖艶さと雰囲気に呑まれた人間が、誰ともなしにポツリと呟いた。
「まってくださいヒルダ、聖女さまが悩んでいらっしゃったのは、わたくしのせいなんですー」
「大司教様……」
「もうしわけありません聖女さま。わたくしが、くちどめしたから」
「庇い立てするのですか? ……ああ。そういえば、貴女はそこな小娘に傅いたそうね。ですが、たとえ貴女が認めたとしても私は認めませんわ。……やはり手を回しておいて正解でした」
「……なんのはなしですか」
「今度の夏至祭の聖女役、私に決まりましたの。後から正式に勅命が出るはずですわ。事後承諾になってしまってごめんあそばせ?」
閉じられていたラピスの瞳が、大きく見開かれた。
「……いま、なんと?」
「ですから、夏至祭の聖女役、貴女から私に変更になりましたの。すでに決定事項でしてよ」
ラピスがバン、と車椅子のひじ掛けを拳で叩く。何も映さないはずの夜空色の瞳がヒルダレイアを射抜いた。
「いったい、なにをかんがえているんですか!? あなたならわかっているでしょう、あの祭の聖女やくが、儀式がいみすることを!」
「ええ。聖女役は当代の聖女が行うのが通例。民衆には私こそが聖女だと映るでしょうね。ならばこの私が誰より相応しいでしょう? もう貴女にも、ぽっと出の小娘にもう抜けがけはさせませんわ」
その場にいる全員が激昂するラピスの凄味に飲まれている中、ヒルダレイアだけが平然としていた。
次期聖女であるカトリーヌと聖女代理として公務を行っているラピスへの宣戦布告とも取れる発言に、室内の緊張は最高潮に達する。
「ッ……、ジェイド! グレン!」
ラピスが叫ぶとラピスの隣の席にいるジェイドが立ち上がり、後ろに控えていたグレンが一歩前に出てラピスに首を垂れる。
「きいていましたね、ジェイド。典礼省にすぐれんらくをとってください」
ラピスが指示を出すが、ジェイドとグレンは無言を貫いたままだった。
「……ふたりとも?」
閉じた扇子を口元に当てたヒルダレイアの唇が三日月のように弧を描いた。
ヒルダレイアが笑う気配に、ラピスは物言わぬ部下を凝視した。
「あなたたち、まさか……!」
「何を驚くことがありますの? 周囲から先に懐柔しておくのは基本中の基本でしてよ」
嫣然と微笑むヒルダレイアをぐっと睨み、ラピスはジェイドとグレンへと向き直る。
「ふたりとも、いったいどうして? わたくしなら覚悟はできていました」
ラピスの言葉に、項垂れたまま沈黙していたグレンが顔を上げる。
「だからこそや! ひぃさん、あの儀式で目だけやない、足も動かんようになってしもうたのに! 先代様だって儀式さえなかったら……!」
「そのためなら、ヒルダを……わたくしのともを犠牲にしてもいいと!?」
グレンはぐっと唇を噛みしめ、絞り出すような声で答える。
「……そうや」
「グレン、なんてことを!」
「……初めにヒルダレイアと接触したのは私です」
「ジェイド、あなたまで!」
ジェイドが顔を上げた。その表情は苦渋に満ちている。
「私とこいつの独断で実行致しました。どんな罰でも甘んじて受ける覚悟です」
「後生やひぃさん。俺らにはひぃさんがいない人生なんて考えられん」
ラピスは唇を噛みしめると、切実さがひしひしと伝わる二人の視線を遮るように瞼を閉じる。
「修道院長、わたくしは本部とれんらくをとらねばなりません。かがみをおかりします」
「分かりました、どうぞこちらへ」
「聖女さま、もうしわけありませんが、つれていってくださいますか?」
「え……は、はい!」
固唾を飲んで事の成り行きを見守っていたカトリーヌは慌てて立ち上がるとラピスの側に寄り、車椅子の取手を掴んで押していく。
「ラピス様」
「ひぃさん」
「ついてこないでください!」
後を追おうと一歩を踏み出した部下に対して、ラピスが二人を顧みることなくピシャリと言い放った。
「ラピス、カトリーヌ。貴女方には特等席をご用意致しますわ」
「…………」
部屋を出る直前に掛けられたヒルダレイアの声にラピスが応じることはなく、扉はそのまま閉められた。
室内に気まずい沈黙が落ちる。
「いつまでボケっと突っ立てるつもりですの? 早くラピスを追いかけなさいな」
静寂を打ち破ったのはヒルダレイアだった。呆れた口調で捨て犬のように立ち尽くすジェイドとグレンを叱咤する。
「ヒルダレイアちゃん、すまん! ホンマにすまん……!」
グレンがヒルダレイアに向かって深々と頭を下げた後、ラピスの後を走って追いかける。その目尻には涙が滲んでいた。
グレンの背中を見送ったヒルダレイアがジェイドに向き直る。
「貴方は行かなくてよろしいの?」
「護衛はあいつだ。俺の仕事はまだ終わってねぇ」
再び着席したジェイドがヒルダレイアに向かってグレンに勝るとも劣らないほど深く頭を下げる。
「…………恩に着る」
「貴方が素直に頭を下げるなんて、明日は槍が降りそうですわね」
「俺はラピス様のためにしか頭は下げない」
「存じておりますわ」
いつまでも経っても頭を上げないジェイドに、ヒルダレイアが薄く笑った。そこにはもう、先ほどまでの冷酷な笑みはもうどこにもない。
「話の腰を折って申し訳ありません。さて、続けましょうか」




