28.淑女か乙女か、それとも──
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二階の廊下を歩きながらふと窓の外に視線を遣ると、陽光で煌めく金と銀がヒルダレイアの目を引いた。
立ち止まって見下ろすと、一組の男女が見えた。
「ヒルダー?」
「おい、ボーッと突っ立ってんな……ってアレクシスの奴、あんなところで油売って、しかも女と密会とはいい度胸じゃねぇか」
ヒルダレイアの足音が止んだことに最初に気づいたラピスが後ろを振り返る。
ラピスの代わりにジェイドが元に向かい、ヒルダレイアの視線の先を見つめて不機嫌さを露にする。
「アレクシス……ああ、ローラン家の」
ジェイドの言葉でヒルダレイアは銀髪の青年が誰であるかを思い出した。
王都の大聖堂で行われるミサに毎週通っていたヒルダレイアは、同じく毎週訪れていたアレクシスとよく顔を合わせていたのだ。
刺々しい印象をもつ寡黙な少年が信心深さをそのままに立派な青年になって、ヒルダレイアは少し感慨深かった。
「では、あちらの隣の方は……?」
ヒルダレイアは記憶の糸を手繰り寄せるが、金髪の修道女が誰なのか思い出せない。
どことなく見覚えはあるのだが。
「アシュフォード家の娘だよ。はー、仲良いってマジだったんだな」
「せやから俺言ったやんか」
「てめーの話だから眉唾なんだろうが」
「あぁん!?」
ジェイドとグレンが言い争いを始めるが、ヒルダレイアはそれどころではない。
落ちぶれてもヒルダレイアは元公爵令嬢であり、貴族ならば名門から末端まで情報まで叩き入れてある。
あのアシュフォード伯の娘が叔父に家を乗っ取られて修道院に入れられたことはすでに知っていた。
あどけない少女が美しく成長したと思うのと同時に、貴族の家同士の格、所属している派閥、パワーバランスが脳内を一気に駆け巡った。
「……聞いてませんわ」
ヒルダレイアは窓に張り付いたかと思えば突然窓を開け、仲睦まじい二人を凝視する。
「あ?」
「聞いてませんわ! ローラン伯御子息アレクシス様と、アシュフォード伯御息女マリア様──あのお二人がそんな関係だったなんて!」
わなわなと肩を震わせたヒルダレイアは手にしていた扇で隣にいるジェイドをぺちぺちと叩く。
「ちょっと! あの二人のことアナタ達ご存じでしたわね!?」
「いってぇな! 叩くなヒルダレイア!」
突然感情を昂らせたヒルダレイアに困惑しながらもグレンが答える。
「えーと、確か幼馴染ってアレクシスが言うとりました」
「幼馴染……!? 嗚呼、何て甘美な響きなのでしょう……! こうしてはいられませんわ! グレイスン!」
「はいお嬢様」
ヒルダレイアの後ろで影のように控えていた老執事然とした修道士が姿を現す。
「すぐにあのお二人をお引き止めして! 私もすぐに参ります」
「畏まりました」
ヒルダレイアに一礼した老執事の気配が再び消える。
「えらい食いつきようだな……」
「だって、これが驚かずにいられまして? 盲点も盲点な組み合わせでしてよ! 是非お話を聞かせていただかなければ! という訳でラピス、用事ができたので先に行っていてくださいな」
「わかりましたー。ふふ、ヒルダはあいかわらず『こいばな』が好きですねー」
「当然ですわ。退屈な日々における楽しみの一つですもの。それではごめんあそばせ!」
颯爽と、しかしローブの裾は翻さずに歩き始めたヒルダレイアは上機嫌だ。
「はは、行ってもうた」
「はぁ……。ラピス様、従姉が申し訳ありません」
「いいえー。むしろいつもどおりで安心しました。…………セシリアも、いてくれたらいいのに」
誰にも聞こえないほど小さな声で零されたラピスの言葉は、呆気に取られながらヒルダレイアの背を見送るジェイドとグレンの耳には届かなかった。
*
窓を開けて叫んだヒルダレイア大司祭にどう反応していいか分からずアレクシスと顔を見合わせていると、ヒルダレイア大司祭の使いを名乗る老修道士が現れその場で待機するように命じられた。
「ねぇ、何か盛大に誤解されているような気がしない?」
「……同感だ」
「しかもどう説明しても邪推される気がしない?」
「……それも同感だ」
ほどなくして回廊に降り立ったヒルダレイア大司祭に老修道士が執事のように寄り添う。
老修道士がどこからともなく取り出した日傘の中に入ったヒルダレイア大司祭が私の前まで静々と歩み寄った。
社交界でも遠目でしか見たことのないヒルダレイア大司祭の彫刻のような美貌を前にして、私は思わず息を飲んだ。
そして何より、ヒルダレイア大司祭が纏う華やかなオーラに圧倒される。
ラピス大司教の人を惹きつける神秘的な雰囲気とも違う、思わず視線が釘付けになり見惚れてしまうようなオーラに、自然と首を垂れる。
アレクシスも私と同様のようで、二人で礼を取っているとヒルダレイア大司祭から許しが出されて恐る恐る顔を上げた。
「わぁ、近くで見ると迫力のある美人ですね!」
なぜこの小人が美人程度の評価を下しているのか理解できない。
……確かに小人が同じ名前を名乗っている御遣いは絵姿では表現不可能なほどの美しさであったが。
扇で口元を隠しているヒルダレイア大司祭の表情は伺えないが、私とアレクシスを交互に見つめた瞳が輝き、心なしか頬も赤らんでいる。
そう、まるで恋する乙女のように。
よほど私とアレクシスが一緒にいる理由が気になるらしい。
老修道士が窘めるような声でお嬢様、と呼びかけると、ヒルダレイア大司祭はこほん、と一つ可愛いらしい咳払いをした。
一瞬で私の知る淑女の顔に変わる。
「急に呼び止めてしまい申し訳ありません。上からお姿が見えたものですから……。シスター・マリア……遅ればせながらお父上のこと、お悔やみ申し上げます」
「い、いえ……。お気遣い、ありがとうございます」
緊張して声が上擦ってしまいながらも返礼した。
「実は、生前のアシュフォード伯にはお世話になっておりましたの」
「父に?」
父とヒルダレイア大司祭に接点があるとは思わなかった。
「ええ。あの方だけは私の語る知識を全て理解し、その知識が及ぼす影響まで説いてくださいましたわ」
ヒルダレイア大司祭が乙女とも淑女とも違う顔を見せる。
孤独と諦観が滲む、まるで同じ視点を共有できる理解者を失った──賢者の顔だった。
「お嬢様」
「失礼、感傷に浸ってしまいましたわ。……ですからシスター・マリアには是非お聞ききしたいのです。伯のこと、できればアレクシス様とのことも」
ちらりとアレクシスに視線を向けたヒルダレイア大司祭の顔にすでに悲哀の色はない。
「……そうですわ!」
名案を思い付いたとばかりにヒルダレイア大司祭はパチン、と扇を閉じて叩くと、自身の一歩後ろに控える老修道士を振り返った。
「グレイスン、ティータイムよ!」
別に最後の一文言わせたかっただけとかではないです。(歳がバレる)