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25.先代聖女

*今回は三人称視点ですが、.5がつくのはアレクシス視点のみです。

「いや~、流石に聖女様には怒られてもうたなぁ」

「笑いごとかよ……。ま、包帯が取れたのはありがたいが」


 柳眉を吊り上げ、秘跡で昨日のむち打ちの治癒をしながらの説教であったが、散々暴れ回ったジェイドとグレンを咎めたのはラピスを除けばカトリーヌのみであった。

 気絶させた警備兵や修道士、修道院長などに謝罪するとあっさりと謝罪を受け入れられ、南の修道院の人間の大らかな気質に二人は拍子抜けしたものだった。

 ラピスに軽蔑されるのが一番堪えるが、ラピスの評判が落ちるのもそれなりに堪えるので二人はきちんと反省している。

 なお、ラピスからは当面じゃんけんと腕相撲以外禁止された。

 今はカトリーヌとラピスはお茶会中で、女子会だからとラピスから締め出されて廊下の扉の側で控えている。


「そーいや次期聖女の説教中に思い出したんだが……。シスター・コレット、誰か分かったか? わざわざ無神経装ってまでご尊顔を拝んだんだ」

「…………」

 ジェイドが話題を変えると、それまで闊達に笑っていたグレンが閉口する。

「おい?」

「はぁ~~。……どないしよう」


 突然黙り込んだグレンを訝しんだジェイドがちらりと横を見ると、グレンが頭を抱えてその場でしゃがみこんだ。

 座り込んだ際に剣の鞘が床にカツンと当たって音を立てる。

 赤髪をわしわしと掻くと、きょろきょろと辺りを見回し、周りで誰も聞いていないのを確認した後、隣のジェイドにしか聞こえないほど小さな声でぼそりと呟いた。


「……あの子、先代様の侍女やった。通りで素性も顔も隠してる訳やで」

 グレンの言葉にジェイドが目を瞠った。

「間違いないか?」

「おう」

「ってことは、つまりあの方の……」


 二人は無言で顔を見合わせた後、冷や汗を垂らす。

「怒鳴っちまった……」

「髪、触ってもうた……」

 二人して頭を抱え始め、廊下に陰鬱な空気が漂う。

「でもまぁ、やっちまったモンは仕方ねぇ。とりあえず報告だ、報告。ラピス様にお伺いして措置を考える」


 先に思考を切り替えたのはジェイドだった。

 片眼鏡のブリッジを上げ、壁にもたれて腕を組む。

「保護は……できんよなぁ。うちはあくまで中立やし」

「だが、見つけた上で何もしないというのも、それはそれで後から面倒なことになるぞ」

「適当に監視つけてコレットちゃんの話ちらつかせておけば、いざってときに有利にならん?」

 へらへらとしながらも目の奥が笑っていないグレンの発言にジェイドは呆れ顔で肩をすくめる。

「お前あの方相手に腹芸する気かよ……俺はパスだな」

「えー、使えるモンは使うべきちゃう?」

「やめとけやめとけ、わざわざ危ない橋渡る必要ないだろ。ラピス様が中立の立場を崩さない以上あのガキのことで俺らにこれ以上できることはねぇ。だからシスター・マリアに粉掛けるのもやめろよ。アシュフォード伯の娘なんぞ、それこそヒルダレイアが嬉々としてラピス様を自分の派閥に引き入れようとするだろうよ」

「あ、バレとった? アレクシス説得するのに一番いい手やと思うんやけどなぁ」

「アレクシスとマリア譲……あいつら、仲良かった覚えがないんだが」

 昔何度か茶会などで顔を合わせていたジェイドが過去の出来事を思い起こして首を捻っていると、扉越しにラピスから声が掛かる。


「ふたりともー。さっきからずっと、とってもわるいことを考えてますねー?」


「滅相もございません」

「ないない!」

 腐敗が進み、権謀術数渦巻く教会において、影で暗躍するのも悪巧みするのも二人の担当だ。

ただ隠していても今のようになぜかラピスにはお見通しなので、基本的には彼女に黙って事を進めたり、意に添わないことはしない。

「……例の件は」

「大丈夫や、まだひぃさんは気づいとらん」


 しかし、一層声を潜めて行われた会話は、ラピスにひた隠しにしている計画があることに他ならなかった。



「すみません。ちゅうだんしてしまって」

「いえ、大丈夫です」


 扉越しにジェイドとグレンに声を掛けたラピスが居住まいを正す。

 修道院の共同サロンの一つで、先日中止されたラピスとカトリーヌのお茶会が改めて開かれていた。

 カトリーヌが用意した茶や菓子はラピスの侍女である修道女が毒見してから出されることになっている。

 カトリーヌは怪しいものなど入っていないと主張したかったが、食中毒の一件で警戒するのも無理からぬことであるため談笑しながら待つ。

 はじめは高位の聖職者との対面に緊張していたカトリーヌであったが、ラピスの鷹揚な気質やのんびりとした話し方もあって次第に会話が弾んでいった。


 ふと、ラピスが目を瞑ったままきょろきょろと辺りを見回すように首を動かし、何もない空間に向かって手を振った。

「あちらに光の精霊さまがー。今日はずいぶん聖女さまから離れたところを飛んでいますねー」

 ラピスの手が窓の方を指し、カトリーヌはじっと目を凝らす。

 意識を集中させると、窓の外にぼんやりと小さな光球が飛んでいるのが見えた。


「あぁ、本当ですね! 私は時々気配を感じる程度で……まだまだ未熟者です」

「んー、聖女さまがみじゅくというわけではなくてですねー。わたくし、目はもう光を感じるていどでしてー。ゆえに光のマナや精霊さまのそんざいが分かるようになったのですー。光の精霊はめったに姿をみせないのですよー」

 深刻な話をころころと笑いながらするラピスに、カトリーヌはどう返事をしていいか分からないでいると、助け舟と言わんばかりにラピスの侍女が茶と菓子を運んできた。


「このかおりは、ハーブティですかー?」

「は、はい。ここの修道女が薬草を育てていて、彼女からもらったオリジナルブレンドなんです」

「まぁ、とてもたのしみですー」

 菓子はラピスが食べやすいようにカラトリーを使わないものを用意した。

 菓子を並べた皿が置き、ティーカップに茶が注ぐと、侍女は一礼して壁側に下がる。

 ラピスのティーカップは取っ手の形状がやや特殊で、持ちやすいデザインだった。

 二人で食前の祈りを捧げると、ラピスは目の見えない不自由さを感じさせない所作でカップに口をつける。


「! このあじは……」

 お茶を一口飲んだラピスが閉じていた目を見開いた。

「あの、ひょっとしてお口に合いませんでしたか……?」

 その反応を見たカトリーヌが恐る恐る伺うと、ラピスは静かに首を横に振って穏やかに目を細めた。

「……いえ、なんだかとても、なつかしい味でー。セシリアとのお茶会を思い出しましたー」

「先代の聖女様の?」

「はいー。もうあの子の話をできるひとも少なくなって、さみしいですねー」


 先代聖女・セシリア。カトリーヌに勝るとも劣らないほどの秘跡の使い手であったが、生まれつき病弱だった彼女は三年前の儀式を最後に退位し、その後病状が悪化して静かに息を引き取ったという。

 セシリアが新王との間に持ち上がっていた縁談を断り続けていたのは、己の死期を悟っていたからだとも言われている。

 聡明で心優しい女性だったと語り継がれているセシリアは、カトリーヌにとって憧れであり、同時にそんな彼女の後継となることへの重責を感じている。

 ただ、昔を懐かしむように微笑むラピスの様子から、人々が知っている聖女としてのセシリアだけでなく、他の一面も知りたいという気持ちが湧き起こった。


「あの、大司教様……。よろしければ教えていただけませんか、先代様……セシリア様がどんな方だったのか」

「はい、もちろんですー」

 ラピスは様々なことをカトリーヌに話してみせた。

セシリアの話は意外性に富んだものもあり、間延びした口調ゆえどこまでが冗談なのか、誇張されているのかカトリーヌには分からなかったが、ラピスの唇から弾むように零れる言の葉の心地さに耳を傾けるのだった。



 不意に和やかな雰囲気を切り裂くようにガチャンとカップが落ちる音が響くと、ラピスが両目を押さえ、机に突っ伏した。

 カトリーヌが立ち上がりいち早くラピスに駆け寄るのと同時に、ジェイドとグレンによって扉が音を立てて開かれた。

 カトリーヌは顔を青ざめさせたまま秘跡を発動させる。

 侍女が毒見を行い、カトリーヌもそれを飲んだ。カップはラピスの物だから細工をするのは不可能であるにも関わらず、ラピスだけが両手で目を覆って苦し気に呻いている。


「ひぃさん、今度は一体何が視えたんや!?」

 グレンの一言で、カトリーヌはラピスの未来視なのだと悟った。

 毒ではないことに安堵したが、同時にラピスの未来予知が苦痛を伴うものだと知ることになった。

 顔を上げたラピスが部下たちを手で制すと、唇を戦慄かせながら口を開く。


「聖女と魔王が──」


 ラピスが小さく呟いた言葉を拾ったのは、カトリーヌのみだった。

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